浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



関西風お好み焼き

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1月17日(金)第3食

さて、関西風お好み焼き、で、ある。

最早、関西風と冠を付ける意味も、東京では
なくなってきたいるかもしぬ。

東京にもお好み焼きはちゃんとあり、子供の頃から食べていた。
しかし、関西風、を食べて、明らかに比べ物にならぬくらい、
うまい、ということが分かった。
他の、東京育ちの方も同様ではなかろうか。
島風もうまいが、あれは、焼きそばであろう。
関西風は、独自の進化を遂げて、完成度が違う。

私自身も大阪でもなん回か食べているし、
東京で、大阪のチェーンで食べてもいる。

なん回か、自作で再現をしようとしている。

だが、これがなかなかうまくいかぬ。
いや、そこそこのものができたこともあるのだが、
なかなか安定しない。

では、関西風はなにがうまいのか。

特徴は、もちろん、味の基本となるソースが違うのだが、
厚みであろう。

東京のものは、上からヘラでペシペシ叩いていた
くらいで、平たくする。
まあ、これは、今考えると、火を通すためであったのでは
なかろうか。
お好み焼きというのは、むろん水で溶いた小麦粉を
焼いた食べ物。
火が通らない生焼けは食べられない。

ここが、ポイントであろう。
関西風というのは、厚い。
厚いので、火を完全に通すは、難しい。
どうしているのか、ずっと疑問であったのである。
あれだけの厚み、鉄板やフライパンで完全に火を通すのは
不可能なのではなかろうか、と。

なん度か大阪のお好み焼きやで、食べてみて、わかってきたが、
例えば、ホットケーキ(パンケーキ)のようには、
おそらく、完全には火が通っていないということ。

生焼けだと、とても食べられないのでは、と思って
きたのだが、むろん程度の問題はあると思うのが、
感覚的には、生焼けに近くとも食べられる、いや、それでも
うまい、ということが、わかってきた。

よく大阪の人は、大阪のお好み焼きを形容するのにフワフワ、
などというが、実際にはホットケーキ(パンケーキ)、
蒸しパンのようなフワフワではなく、むしろ、トロトロ、
に近いのではなかろうか。もちろん、それでも十分にうまいのだが。
ちなみに、同じく大阪名物たこ焼きも、トロトロ、
という表現があっていよう。もちろん、うまいが。

これが半生なのか、どうか。東京人の感覚では、トロトロは
半生ではないか、と思っていたのだが、微妙なところだが、
生ではおそらくない。十分にうまく、食べられる。
半生に近くともよい、ということ。

ここを理解するのに、時間がかかったのであった。

レシピもわかるので、お好み焼き専用の粉と、豚バラスライス、
長芋を買ってくる。
キャベツも関西風には、欠かせないが、これは残っていたものが
あった。

まずは、キャベツみじん切り。
必ずしも、みじん切りでなくともよいようなのだが、より火が
通りやすいだろうと、みじん切り。
前にも出しているが、これを使う。みじん切り器。
http://www.dancyotei.com/2020/jan/okonomi_kya1.jpg

荒く切って、入れて、回す。

まあ、簡易フードプロセッサのようなもの。

簡単に細かくなる。
関西風はかなりの量のキャベツを入れる。

皮をむいて、長芋もおろす。

量は、5cm程度か。

粉100gに水100cc、おろした長芋、
ベーキングパウダーも一つまみ。

ここに全卵一個。これで二枚分。
キャベツも合わせ、

よく混ぜる。

フライパンを熱し、一枚分広げ、

豚ばらも切って上に並べる。
火加減は一番大きな五徳の弱火。

ひっくり返すタイミングは側面が固まってきたら。

こんな感じであろうか。
ん!?。ちょっと火が強かったか。ひっくり返す。

難しい。粉の袋のレシピではこれでふたをして4分半、とのこと。
中まで火を通すために蒸し焼きにするのである。
タイマーで計って、ひっくり返す。

肉がはがれ、切れてしまったし、もう少し焼いた方が
よかったか。

厚いのでひっくり返すのも、火を通す塩梅も難しい。
やはり、経験値とかなりの技術が必要である。

ただまあ、形はともかく、焼きあがった。
中もある程度目標の塩梅にはなったか。

ソースは関西ではなく、冷蔵庫にあった広島のオタフクソース
マヨネーズもかけ、青海苔も。

出来上がり。

(ちょっとピンがあまい。)

ビールを抜いて、食べる。

味は?。
ふむふむ、まあまあ。
焼き加減もミテクレはともかく、まあ、合格点であろう。
今日のところは、よし、と、しよう。

 

 

赤酢の酢飯で煮いかとヅケまぐろのにぎり

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1月14日(火)

さて。

年明け最初だが、昨年からの赤酢の酢飯で
にぎり鮨シリーズ。

昨年はこんなものを作ってきた。

いくらの軍艦巻

鰺、鰯

サーモン、カジキ、マグロ赤身

鯛、煮穴子

稲荷ずし

〆鯖

赤酢の酢飯に、これほどはまる、とは思わなかった。

もちろん、赤酢の酢飯がうまい、ということもあるのだが
作るのが愉しくなっている。

今日は、ROXの西友で、小型のやりいか。
これは煮いかにできる。

もう一品、まぐろの切り落とし。
赤身なので、ヅケにできよう。

やりいか。

5~6杯あって400円。
一時期よりは安くなっている。西友が安いのか。

まぐろ切り落とし。

最初に米を洗って軽く浸水。
カタメモードで、炊飯器のスイッチオン。

まぐろヅケ用のたれを作る。
これはいわゆる、ニキリ。

しょうゆを酒で割って、煮立て、アルコールを飛ばす。
鍋ごと冷水に入れて、冷やしておく。

やりいかは、エンペラを取る。
煮いかにするので、赤い皮を付けておきたいのだが、
一緒にむけてしまう。

下足を引き抜き、内臓も一緒に抜く。
一気に引っ張るときれいに取れることもあるが、
たいていはきれいに取れない。
指を入れて残りを取り出す。

フライパンに水を入れてゆでる。

下足、エンペラも入れ、一緒にゆでる。

やりいかは、時間をかけても堅くならないのだが、
火が通ればOK。

上げて、水洗いし、ざるにあげておく。

残ったゆで汁に、酒、砂糖、しょうゆを入れて煮詰める。

これはいかのたれ。

飯が炊ける前に、飯台と鮨酢の用意。
鮨酢は赤酢と穀物酢の半割で1合に対して、30cc。

炊飯器が切れてから、8分蒸らし。

飯台に飯を取り、鮨酢をかけ回し、混ぜ込む。

やはり、全体に行き渡らせるのは難しい。

気温が低いのですぐに飯が冷めてしまうので
長々混ぜているのは、禁物。
飯がつぶれてきてしまう。

ここも8分置く。

まぐろ赤身を数切れニキリに漬ける。

即席のヅケ、である。
漬ける時間は5分以内。
思ったよりもすぐに漬かるのである。

鮨やではサクごとヅケにするが、この場合は漬かりすぎぬ
ように、表面を霜降りにしている。

大きなやりいかから、にぎり用に切る。

ヅケをニキリからあげて、ペーパータオルでふき取る。

いか、ヅケを三個ずつにぎる。
ヅケは、わさび。
いかは、たれをかける。

皿にのせ、食卓へ。

が!。
どうしたことか、まさかの写真なし!。
食べるのに気がはやったのか、撮り忘れてしまっていた。
お許しを。

いかが、うまい。
やりいか、というのは、ゆでても本当に柔らかい。
プチッとした歯応えと、いかの味が広がる。

甘いたれ、ゆでたやりいか、赤酢の酢飯との相性が
案の定、とてもよい。
やはり、なにか仕事のしてあるものの方が、赤酢の酢飯には
よいのである。

ヅケ。
これは、まずくはないが、もう一つ。
ヅケというのは、赤身まぐろのうまみ、あまみ、というのが
際立つのだが、そこまでいかぬ。即席のせいか。

小さなやりいかに、酢飯を詰めて、印籠詰め。
半分に切って、たれをかける。

これだけ、写真を撮っていた。

同じもののはずだが、なぜであろうかにぎりの方がうまい。
不思議、で、ある。
にぎることで、鮨はうまくなる、という証(あか)し
かもしれぬ。

写真は撮れなかったが、赤酢で煮いかのにぎりは、成功である。

一つ、おまけ。
残った、すみいかと、赤酢の酢飯。レンジで温めて丼に。

これも、うまかった。

 

 

 

 

断腸亭の浅草町歩き~うなぎ・駒形・前川

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1月11日(土)

引き続き、久しぶりの断腸亭の町歩き、浅草編。

浅草寺浅草神社、浅草の街を歩いた。
そして、昨日書いた、六区。

連休の土曜日で浅草はごった返すよう。

ただ、1/3から半分近くが、外国人の観光客であろう。

まだ正月、土曜日、ということで、浅草神社、三社様の
本社神輿の蔵の戸も開けられており、観ることができた。

名前の通り、三社様の神輿は一之宮、二之宮、三之宮の三基ある。

落語「百川」に出てくる、四つの神様の旗、四神旗(しじんき)も
飾られていた。これがある神社は少ないかもしれぬ。
私の住む元浅草の鳥越神社では見たことがないように思うのだが。
旗は縦長。
ちなみに、四神とは、青龍、白虎、朱雀、玄武。
これがそれぞれの旗に描かれている。
起源は中国であるが、ご存知の通り、我が国でも
古来から四方を守る神と考えられていたものである。
あの高松塚古墳の壁画にも描かれていた。

浅草でご案内すべき食い物やを挙げてみる。
すき焼き[今半別館]

ここは、外からは見えないが、なんといっても
有形文化財の数寄屋造りの座敷が見事。
浅草にあって、まったく稀有な存在である。

[弁天山美家古寿司]

天ぷら[中清]

池波レシピでもあり、天ぷらでは浅草一の
老舗といってよいだろう。

この日記ではお馴染み、洋食[ヨシカミ]

並木[藪蕎麦]。
ここは、今は列が常態化してしまった。
これに並ぶ気にはとてもならないのが偽らざる気持ちである。
残念。

観光客のおかげで、スイーツであったり、歩きながら
食べられるものを売る店だったり、どんどんできている。
行列になっているところも多い。

人がたくさん集まるのは、よいこと。
そして、新しいものが次から次とできてくるのは、
歓迎である。
街が活性化していることのなによりの証しである。

元来浅草というところは、そうそう気取ったところではない。
庶民の街。いや、むしろ、銀座などと違って、あやしさ、
いかがわしさも浅草の本質の一つではあると私は思う。
今回、六区の昔を調べてもこれは如実に感じられる。
これがなくなってしまったら、逆に浅草は他の東京の
盛り場と同じになってしまう。
なんでもあり。それだけの懐の深さを持っていたい。

そして、新しい物と同時に、老舗もちゃんと繁盛している。
これはよいこと。

再び雷門に戻ってきて、正面の並木通りを駒形方向へ。
[藪蕎麦]はやはりこの日も列。
唯一、観光客と競合してしまっている食い物や、
かもしれない。

駒形堂から浅草通りを渡って[前川]。

[前川]というのは、江戸だがざっくり文化文政期創業と
言っている。明確な年代はわかっていないのであろう。

浅草には老舗でも江戸創業のうなぎやが数軒あるが、
最古は寛政年間と言っている田原町の[やっこ]で
[前川]はそれに次ぐ。

今[前川]の座敷は二階以上。
これはもちろん、隅田川の堤防があるから。
一階からは堤防が前にあり、川は見えない。

座敷からは、目線の下に隅田川が見え、左側に駒形橋、その先に、
アサヒビールの例の黄金の建造物、さらにスカイツリーと見え、
浅草では座って最も手軽によい景色が見える場所であろう。

その昔の[前川]の前には堤防がなく、専用の船着き場があり
直に船でもくることができた。

意外に東京の方でもご存知のない方が多いと思われる。
隅田川には江戸の頃から堤防、堤は基本なかったのである。
唯一あったのは、墨堤、堤に桜を植えた向島だけ。

名所江戸百景 両ごく回向院元柳橋 広重 安政4年(1868年)

これはもう少し下った両国あたりだが、隅田川を描かれた浮世絵を
見ても堤防のようなものは一切ない。
(江戸の治水と水害というのは、一度詳しく書いてみたい。)

では、隅田川に堤防ができたのはいつなのか。
ちょっと気になって調べてみた。

すると震災後、昭和初期から計画と整備は始まっていた
ようなのであるが、戦争で中断。
戦後、台風と高潮による浸水被害があり早急の建設が求められたが
都の財政難で整備は二回に分かれていたよう。昭和31年(1956年)
までに一度、さらにより高いもの(今のものか)に、この駒形橋
右岸あたりは昭和40年(1965年)※には完成しているようである。

それ以前であれば、船着き場があったのか。
であれば、池波先生は、子供の頃、昭和初期、
錺物職人だったお祖父様に連れられてよくきたと言っていたが、
その頃はまだ、そんな情景であったのか。

ともあれ。

皆さんで、ビールやら燗酒をもらって、
肝焼きがある、というので、先に肝焼き。

お重。

見てわかると思うが、蒲焼の表面がたれでベタベタしてはいない。

甘すぎない。さっぱり、きりっとした江戸前の味。

これはここだけではなく、浅草の鰻やに共通する。

甘めでもうまい蒲焼は東京でもいくらでもあるが、
この、きりっとした味の蒲焼は浅草らしさを象徴するもの
かもしれない。

いつも通り、うまかった。

そして、ご参加いただいた皆様、
ありがとうございました。

さて、次はいつになるやら。

 


前川


※「隅田川における防潮堤の建設史」望灘崇・島正之・篠田裕 1998

 

 

浅草芸人・浅草松竹演芸場のこと

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1月11日(土)

さて、土曜日。

久しぶりの、町歩き、浅草。
詳細を書くのはひかえるが、お話をしたことのエッセンスを
ちょっとだけ書いてみる。

今回は、浅草でも六区のことに重点を置いてみた。

浅草六区というのは、皆さんある程度聞いたことぐらいは
あろう。

浅草の明治からのエンターテインメントの街。

映画館が軒を連ね、浅草オペラ、その後のエノケン、ロッパ、
シミキンなどの軽演劇、そしてもちろん活動写真から映画。

あるいは、北野武氏が今も語っている、浅草芸人。

キーワードを挙げるとこんなところか。

だが、今、浅草には映画館は一軒もない。

かろうじて残っているのは数軒のホール。
落語定席の浅草演芸ホール、旧フランス座の東洋劇場。
あるいは、大衆演劇などの木馬亭。さらにストリップの
ロック座など。まあこんなところ。

ここ数年は、海外からの観光客の増加で、街はにぎわっている
ようには見える。

だが、数年前までは、夜7時には人がいなくなり、店も
シャッターをおろし、薄暗い街になっていた。

栄えていた頃は、不夜城などともいわれていた浅草六区
だったのに、で、ある。

私が浅草に引越して、15年ほどである。

子供の頃、親に連れられて浅草に来たのは、一度だけ。
確かほうずき市だったと思うが、私鉄沿線の郊外に
住んでいた小学生には東京の盛り場は怖い街、という
印象が残っているくらい。

戦後、戦前、大正、明治にしても、その盛況ぶりは
文字や写真では読んで知っているが、実体験としてはもちろん、
浅草オペラにしても、軽演劇にしても、動画として
まったく観たことがない。実際にどんなものであったのかは、
知らない。

動画は、探せばあるのであろうか。
一部、エノケン、ロッパなどは、映画にも出演してものが
あるので、彼らが動いているものは観たことはある。
しかし、それもやはり、実際の舞台とは違うものであろう。

なにか方法がないのか。これは私の宿題。

そして、今回の発見は“浅草芸人”。

先にも書いた、北野武氏などが語っているものである。
戦後であろう。

たけし氏などと一緒に語られるのは、フランス座

フランス座は、浅草演芸ホールのビルの2階。
今は、色物の演芸場東洋館。漫才協会の本拠、定席である。
ちなみに、今、1月中席の番組はこんな感じである。

その前は、フランス座という名の、ストリップ劇場。
たけし氏は、このこエレベーターボーイを
ふり出しに、育った、と語られている。

その他、浅草芸人といって思い出すのは、コント55号
萩本欽一氏、坂上二郎氏。アズマックスの父、東八郎氏。
伊藤四朗氏などもそうか。あるいは、寅さんの渥美清氏も
浅草で育っていたはず、、あとは、、意外にちゃんとした
知識を持っていないのである。
一番近い時期の浅草六区のことだが、ほぼ知らない。

今回調べて、わかったのが、浅草松竹演芸場という存在である。

戦後の浅草芸人の出演るところといえば、ほぼここと
フランス座東洋館しかなかったといってよいようなのである。

規模からしても、松竹演芸場の方がメインであろう。
これ、私は知らなかった。
一般にもあまり知られていないのではなかろうか。

ウィキペディアにページがあった。

開場は昭和19年の戦中。

主な出演者が上記のウィキペディアにあった。
これはおそらく戦後のものだと思う。

見てみると、私たちが子供の頃、昭和40年代、50年代、
テレビのお笑い番組に出演ていた落語家ではない色物、
漫才、コントその他の芸人のほとんどがここに出演ていた
といってよいのではなかろうか。

「レッドスネークカモン」の東京コミックショウ、いわずと知れた
コント55号、談志家元も出演ていた。ケーシー高峰、関武志と
指パッチンのポール牧のラッキーセブン。青空球児・好児
昭和のいる・こいる、「わかるかな~、わかんねえだろうなぁ」の
松鶴家千とせ、地下鉄漫才の春日三球・照代、「ナポレオンの帽子」
なんという帽子芸を覚えているが早野凡平、「田園調布に家が建つ」の
星セント・ルイス、そして、ツービートも。(敬称略)

浅草松竹演芸場が閉じたのは昭和58年(1987年)。
当時漫才ブームなどもあってか、赤字ではなかったという。

松竹が閉めた理由はよくわからない。
この時期、浅草六区の映画館はどんどん閉館しており、
松竹の浅草撤退、あるいは、東京の演芸からの撤退、
そんなことだったのかもしれない。

浅草六区地図・昭和50年当時の建物を記入

浅草松竹演芸場のあったのは、今のROXのメインビルの一部。
この区画は昭和50年には、松竹浅草演芸場以外に、浅草松竹(映画館)、
国際通り側に丸石家具センターがというのあったよう。
これらが再開発され、昭和61年(1986年)今のROX
TOC経営)になった。

浅草松竹演芸場の戦後、元は「デン助劇団」の軽演劇が
番組のトリで、これは昭和48年まで続いていた。
戦前からのエノケン・ロッパの軽演劇の流れをくんでいると
いってよいのか。
デン助は、大宮敏充(おおみやとしみつ)氏。
名前くらいは聞いたことがあるか。デン助の写真を見ると、
たけし氏が、演る、口のまわりを黒く塗って「じょーだんじゃ、
ねーよ!」のおじさんに似ているキャラクター。
(あれは、たけし氏の物真似、オマージュであったのか?。)
私はほぼ知らない。

もはや神話のように感じられる浅草芸人。
戦後の浅草芸人の根城、浅草松竹演芸場
なんとか明らかにしたくなってきた。

 

 


※資料「浅草六区台東区文化財調査報告書第五集
台東区教育委員会

 

 

 

銀だら煮付け

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1月9日(木)第二食

最近、健康によいという食い物の考え方が変わっている。

一体、なんであったのであろうか、と思うくらい。

ダイエットにはカロリーを気にする、のが普通であった。

それが、今は、カロリーは関係ない。
炭水化物、糖質、を気にするべきであると。

それから、油。
オメガ3脂肪酸というものの効果。

オメガ3脂肪酸というのは、魚、甲殻類などに含まれる脂、
DHA、あるいは植物性だと、エゴマ油、アマニ油、
ナッツのくるみ、などなど。

血液サラサラ効果、というのが前から医薬品としても
認められていた。
これに加えて、神経系への効果も言われ始めている。
まだ、医薬品レベルのエビデンスの蓄積には至っていないようだが、
うつ病産後うつの緩和によい、あるいは、ストレスへの耐性、
アルツハイマーなどへの効果も、指摘されているよう。

肉(の脂)ばかり食べていると怒りっぽくなる?。
トランプさんなど肉ばかり食べているのであろう。

まあ、研究が積み重ねられ証明されるのは
まだこれからなのであろうが、オメガ3脂肪酸類を
含むものを意識して摂ることはかなりよさそうである。

また、海藻系をたくさん食べること。

「ガッテン!」(19年11/20)でやっていたもの。
腸内の善玉菌の話である。
海藻に含まれる食物繊維が善玉菌を増やす。
これは長寿効果。
腸内環境をよくする効果は、まだまだ解明されていないことが
多いようだが、人体で腸の果たしている役割は、単なる消化器官
以上のものがあることは、確かなようである。

一方、腸内環境というと、乳酸菌。
だが、乳酸菌は腸内を通過するだけで、腸内細菌が増える
わけでない。(常在菌を助ける働きはあり、効果が
ないということではないが、食べ続けなければいけない
という。)
乳酸菌の効果は、最近はむしろ免疫力の向上の方が、
宣伝されている。

あまり、こういう健康によい食い物情報は、日々表れては
消えていくものもあって、右往左往するのはあまり
賢いことではないのだろう。
科学的にどのくらい確からしいか、ということもちゃんと
見ていかなければいけないのは言うまでもなかろう。

まあ、自分の好きなもの、うまいと思うものに、
そういったものがあれば、重点的に食べてもよい、
そんな感じであろうか。

さて、そんなことで、今日は脂の多い魚。

吉池で、銀だら。
銀だらの脂ののりは、間違いない。

カナダ産。書かれていないが養殖であろう。
北米では、魚のオメガ脂肪酸といえば、銀だらが
人気の魚で、大量に養殖されていたと思われる。

銀だらは、もちろん煮付け。

それから、海藻。
めかぶ。
これは好物。
週一回は、食べている。
もちろん、ぽん酢しょうゆ。

健康によいというのは、ここまで。
もう一品。

地下の野菜売り場。
吉池の野菜売り場は、先日も書いた、生の山椒の実、
青山椒があったり、少し珍しいものを扱っていることがある。

今日見つけたのは、あさつき。
庄内産。
これは、ぬた、で、ある。

OK。三品。

たいしたことはないので、詳細な調理法は省く。

あさつきは、熱湯をかけてしんなりさせ、冷水。
ペーパータオルで水気をよくふき取る。
酢味噌は白味噌西京味噌)に和辛子で辛子酢味噌。

銀だらは、二切れ。
霜降りはせず、酒、しょうゆ、砂糖、
水で、そのまま煮る。
アルミホイルで落としぶた。
煮る時間は、いつも通り、濃い汁で8分。

めかぶはそのまま、
ぽん酢しょうゆ。

ビールを抜いて、食べる。

銀だら、というのは少し前から安い魚ではなくなったが、
やはり、この脂ののり、うまいものである。
まさに、EPA豊富であろう。

銀だらというのは少し深い海の魚で、
我が国では近海から北洋で獲っていたが、漁獲量は減少をしている。

国内での養殖はあまり聞かない。
輸入した方が安いのか。
技術がないのか?、わからぬが、もう少し安く出回れば
うれしい。

めかぶ。
めかぶというのは、わかめの根元部分を、細く切ったもの。
うまいものである。
こうして、酢の物として食べるのであれば、わかめよりも
私は、断然、めかぶ、である。
ネバネバもよいが、このコリコリとした食感がうまい、
ではないか。

あさつきのぬた。
まあ、ネギ類で、長ねぎなどとそう大きな違いはないのだが、
ちょっと目先がかわってよい。

あさつきは、加熱しても気持ちエシャロット
(若どりらっきょう)に近い刺激的な風味が残るのが
ポイントであろう。

まあ、身体によいなど、いろいろいうが、うまいものを
食べたい、というのが、私の場合は基本なのだが。

 

 

 

蕎麦・神田まつや

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1月5日(日)夕

引き続き、1月5日。

国立の芝居がはねて、タクシーで神田須田町へ。

半蔵門からの帰り道、どこへ行くかというと、
神田須田町。便利、なのである。

内濠通りから、靖国通りを真っすぐ。

須田町だと、あんこう鍋の[いせ源]もあるし[やぶそば]もある。
昨年の正月は、こちらであった。
ウイークデーであれば、軍鶏鍋の[ぼたん]もある。

今日は神田[まつや]。

着物を着ているので[やぶそば]よりも、こちらの方が、
気分が出るではないか。

4時半。
このくらいの時刻であれば、すいているであろう。

硝子戸を開けて入る。

案の定、席にはだいぶ余裕はある。

座って、お酒お燗。

つまみは?まずは、天ぬき。
寒いのでちょうどよい。

あとは、わさびいも、うに、あたり。

酒と、そば味噌、わさびいもと、うにがきた。

酒の燗は?。
ちょっと、熱いか。
それとも、冷えていたせいか。
湯気は出ていないが、熱めである。
もちろん、いつもの通り、ただ、お燗、としか
言っていない。

ここの酒は、なんであろうか。
辛口だが、菊正であろうか。
薮であれば、四斗樽を見えるところに置いているので
わかるのだが、ここはそういう真似はしていない。

わさびいもというのは、味が付いていない、とろろ。
ここはわさびがのっている。
藪蕎麦にも同じ名前である。
じょうゆで食べる。

うに。
ここには、つまみに、うにが昔からある。
店頭でも売っており、暮れの年越しそばを買いに来るときに
毎年、同じもの、下関の[岡本]というところのもの、を
買っていた。
しかし、数年前からなぜか店頭では売らなくなっていた。
一瓶、3000円超というなかなかのものであったのだが、
うまかった。

なめてみると、岡本のものではない?、
扱いをかえたのかもしれぬ。

天ぬきも、きた。

冬、そばやにくると、かなりの確率で頼んでしまうのが
天ぬき。

天ぷらそばの、そば抜き。
つまり、温かいそばつゆに、天ぷらだけが浸っているもの。

これを酒の肴にする、のである。

歌舞伎座で演っていた「河内山」のもう一つの話。
直侍(なおざむらい)の出てくる、入谷そばやの場。
五代目菊五郎がそばやでの江戸っ子の振舞い、粋な美意識を
詰め込んだ芝居。
ここで、天ぷらそばを、テン、と略している。

天ぬきを、それ風にいうと、テンのヌキ。

この場合、テ、と、ヌ、にアクセントがくる。

ともあれ。
ここは藪蕎麦と違って、天ぷらはかき揚げではなく、
一本の海老天なので、テンのヌキはこういうことになる。

天ぬきは、フニャフニャになった、衣がうまい。
従って、衣の多いかき揚げの方が、合ってはいる。

お酒をもう一本。今度は、ぬる燗と指定する。
つまみも、追加。
葉わさびと、焼鳥。

葉わさび。

乙、で、ある。

焼鳥。

そばやだが、ここには焼鳥がある。
これがまた、ふっくらと焼けており、うまい、のである。

呑み終わり、もりを頼む。

ここは、わさびは付いていないが、
盛りが多い。

ご飯ものも置いているし、うどんもある。
老舗には珍しいといってよい、庶民派、で、あろう。

これが、池波先生が贔屓にした理由の一つであった。

息も継がずに、手繰り込む。

うまかった、うまかった。

ご馳走様でした。

勘定をして、出る。

今日は、芝居もよかったし、
なかなか充実の一日であった。

 

 

神田まつや

03-3251-1556
千代田区神田須田町1-13

 

 

 

2020国立劇場初芝居 その2

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1月5日(日)

引き続き、国立劇場初芝居。

先に、今日の弁当を出しておこう。

国立なので(?)こんな感じ。
なぜか、カツサンドと、稲荷ずしが同居している
不思議な弁当。(まあ、知ってて買ったのだが。)

さて。
「菊一座令和仇討(きくいちざれいわのあだうち)」。

綯交(ないま)ぜ、という言葉がある。

歌舞伎の、特に南北作品の、ストーリーに対して、
使われる表現である。

三省堂大辞林第三版によると、綯交ぜとは
「1)いろいろなものをまぜ合わせて一つの物に
作り上げること。 」とある。これは一般的な使い方。
「2)人物や時代を全く異にする二つ以上の脚本をまぜ合わせて、
新しい脚本を作ること。」これが歌舞伎で使われる、綯交ぜ。

つまり、よく知られた複数の脚本、役(人物、キャラクター)、
舞台設定、ストーリーなどを合体させてしまう、のである。

荒唐無稽、奇想天外、でご通家にはおもしろいのだが、
歌舞伎を知らない初心の観客には実にハードルが高い。
ある種、既存の作品を下敷きにしたパロディーのような
ことなのだが、元を知らない者はまるでわからないではないか。

南北作品が現代まで残っていないのは、もしかしたら
この綯交ぜのわかりにくさが原因の一つにあるのかもしれぬ。

実に、今回の芝居も“綯交ぜ”が多用されているのである。

先に書いているように、曽我五郎、十郎兄弟の仇討の話が、基本にある。
つまりまず、時代は鎌倉で、仇討、お家騒動的要素がストーリー
の底流にある。

そこに幡随院長兵衛。
これは、もしかすると、ご存知の方もあるかもしれぬ。
江戸初期の実在の侠客で、池波作品にもあるが、旗本奴と
町奴の争いで有名。

歌舞伎では、この話もなくはないが「鈴ケ森」が、圧倒的に
親しまれている。
侠客の親分、長兵衛が、刑場のある鈴ヶ森で白井権八という
若侍を呼び止める「おわけぇ~~~の、お待ちなせぇ~~」
の台詞が、超、有名、なのである。
芝居のタイトルそのものが「御存知鈴ヶ森」なんというのまで
ある。もう、前後の話は、どうでもよくて、この場面のこの台詞が
聞きたい、というのである。

今回の芝居には、この幡随院長兵衛も、白井権八も登場し、
鈴ヶ森も登場する。

そして、笹野権三。
この名前だけだと、私も思い出せなかったが「鑓(やり)の権三」
といわれると、ああ、聞いたことがある、という存在。
原典は近松門左衛門作品で鑓の名手。

また、吉原三浦屋の花魁、小紫(こむらさき)。
寺西閑心。この人物は私はまったく知らなかったが、
江戸初期に実在した人物。元は武士で侠客になり、十三人を斬り
逃げたという。やはり、芝居、浄瑠璃では知られていたよう。

実は、今回は登場しないのが、原作にはさらにもう一人いるのだが、
これだけ挙げるだけでも、もはやもうなんだかわからない。
滅茶苦茶である。
これらの別々の時代の登場人物、舞台、ストーリーを
混ぜて、つなげているのである。
これが、南北の原作。

今回、これらを整理し、削るところは削り、変化させ、
加え、また、残すところは残し、おそらく台詞も大幅に
判りやすくし、現代の観客に受け入れられるように
改作(補綴し)ているのである。

実際に、それでも複雑だが、私などが初見で観ても、様々なお話を
ミックスしたもの、フィクション、場によってはハチャメチャ
ファンタジーといってよいものであることも理解でき、
それを前提に全体のお話を愉しむことができた。

これは、ひとえに、国立劇場スタッフの力量であろう。

そして、それを生かす芝居をした、菊五郎劇団の役者達。
これがなければ、むろん芝居にはならない。
ハチャメチャですよ、を前提にした演出で、役者達は
生き生きと、洒落を飛ばし、舞台を飛び回る。
古典の芝居は壊さないのは前提だが、現代的であったといえよう。

そして、今回の芝居の最大の売り物は、菊之助松緑
尾上家、音羽屋の若旦那二人。
ツートップの主役級ということになると思う。
ネタばれになるので、詳しく書けないのが残念だが、
一対(いっつい)でよい舞台を演じている。

特に、松緑
やはり、心境著しいのではなかろうか。

この人、押し出しもよく、存在感がある。
ただ、それが強すぎて私は嫌味に感じるようなところがあった。
また、技術的なことだが、口跡が今一つであると感じていた。

この二点、なにかあたったのであろうか、と思うほど、
気にならなかった。
今回、役に恵まれた、ということもあるのかもしれない。
だが、よかった。

菊之助
ちょっとだけ、ネタばれになるが、今回、女形ではなく
色若(若い色男)ということもないが、美形の若侍。
とあることで、女装をしなければならなくなる。
これが、あたり前だが、女形は自家薬籠中の物の菊之助
実に、はまる。これが愉しい。

時蔵
女形では重鎮、立女形の一人。菊五郎の女房役。
以前からなん度もこの人の芝居は見ているし、実力は、
言うまでもないのだと思うが、特に、この舞台、重み、と
いうのか押さえというのか、この人が舞台上にいると
絶大な安心感があった。

そして、もちろん。
先に書いているストーリー全体のハチャメチャは、
一座全員で作り出さねばならない。
舞台上でも、座頭菊五郎が「ワンチーム」といっていたが、
昨日今日集まったわけではない菊五郎一座面々で、一致して
舞台を作り上げていることがよく伝わってきた。

「菊一座令和仇討」、センセーショナルだったり、キャッチーでは
ないかもしれない。だが、良質でエンターテインメント性も高い
佳作であろう。

正月から、おもしろかったし、愉しかった。

「よっ、音羽屋!!」。

 

 


三代目豊国 初元結曽我鏡台 法華長兵衛/四代目坂東彦三郎
白井権八/四代目市川小団次 笹野権三/八代目市川団十郎
嘉永2年(1849年)江戸・河原崎座
(これは二回目の上演のもの。)