浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その65 金原亭馬生 笠碁

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引き続き、十代目金原亭馬生「笠碁」。

三年前[ミノヤ]の主人が暮れになって、金を借りにきて、
喜んで貸した。

あーたも喜んだね。
これ以上ないというくらい喜んだ。
わかってますね。

助かりました。あの時あの金がなかったら、今の店はおそらくなかった。

そうでしょうねー。
それだけのお金だった。ね、、、、、で、、、
これ、、、、、一目待って、、、、

その三年前の話を聞く前だったら、待ったかもしれません。
それを聞いて待てなくなりました。

え?、そりゃ、どういうわけです!?。
じゃ、言いましょう。
あの時、あなた、なんて言いました。
二十日正月(はつかしょうがつ)までには必ず返します。
目途がございますと。

二十日正月にあなたは来た。
返しましたか?。
返さなかったでしょう。

どうしてもできません。
二月までお待ち願います、と。
その時に、あたしが待てないと言いましたか?。
それに引き換えて、なんですこんな石の一つくらい、
待てないわけがないでしょう!。

なんか、話が違ってきましたね。
ですが、ちゃんと付けるものを付けて、お返しいたしました。

当たり前でしょう。
返すのは。
返さなきゃ、泥棒でしょ。

泥棒?!。
泥棒とはなんです!。
そりゃーね、お宅には世話になってます。
ですから、暮れやなんかの、大掃除にも家の若い衆を
こっちへ寄こします。
家の若い衆をね、あーたは一日中こき使って、蕎麦一杯
食わせるわけじゃなく、小遣いをやるわけでもなく、
あんなケチな旦那はいないって。

ケチ?!。
ケチとはなんです。
いいですか?!、あなたもご商店の主だ、人の家へ知らない
若い衆が来て、役に立つと思いますか?。
邪魔なんです!あんなものは。

邪魔?!。
言葉は謹んで頂きたいですね。
人の厚意で、手伝いに来ているのに、それを邪魔とはなんです?!。
あたしがこうやって碁を打ちにくる。
これだって、あーたが退屈してるだろうなーと思うからきてるんです。
こんなヘボな碁の相手を。

ヘボ?!。
あたしはね、他のことは我慢できんですよ。
ヘボと言われるだけは我慢できない。
あたしだって、忙しいんです。
あーたが来るからしょうがなく碁の相手をしてるんです。
やめりゃいいんです。こんなもの。
(石を放り出す仕草。)
帰っていただきましょう。

ええ、帰ります。

二度と来ていただきたくありませんな。

え~~~、来ませんとも!。
こんなヘボな家。

ヘボとはなんだ!。
二度と来るな!。(怒鳴る。)
グゥ~~~!(なんだか、わからない雄たけび。)

これで、お仕舞んなるのかと思うと、そうでない
ところが、おもしろい。

それから、三日ばかり、しょぼしょぼと雨が続く。
昔の、大店の旦那なんて、なんにもすることがなくなってしまう。

(場面は[ミノヤ]の隠居所。
 [ミノヤ]は代を譲っているのか、お内儀(婆)さんと二人。)

よく降るね。

(煙草をのんだり、お茶を飲んだり。)

空によくこれだけ水がありますね。
え?退屈でしょ?。
忙しそうに見えますか?。
え?、碁会所?。
碁会所なんか行って、どうすんですよ?。
相手なんかいませんよ!。

みんな強すぎんです!。
あたしの相手はあいつしかいないんです。

よく我慢してられんねー。

いや、わかってるんだよ。
マテ、って時に、ポンと待ちゃよかったんだよ。
待ったって勝てたんだよ。
そうだ、あそこの家に、煙草入れ、忘れてきた。
取ってこよう。
あんなヘボな家に置いておくと、煙草入れがヘボんなる。

若い衆に?
いいんだよ。お前はすぐに若い衆を使おうとする。
私は身体があいてるから、あたしが取ってきますよ。
でー、退屈をしていたら、一つ、、。

およしなさいって!、そいでもって、ヘンテコんなちゃったんだから。

いー、わかった。やらない、やらないよ。

あー、その傘だめなの。私の。
これからお使いに出ますから。

たく、お前は。
あ!。
(壁に掛かった、被り笠(菅笠?)に気が付く。)
これ、去年富士山登った時の笠。
こんなもんでも、こうすりゃ、
(被って、手と袖を前で合わせて身体を小さくする。)

じゃ、行ってくるよ。

んな、ヘンな恰好して行かなくたっていいじゃない。
およしなさいよ。

いいよ、行ってくるよ。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その64 金原亭馬生 柳田格之進~笠碁

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引き続き、十代目金原亭馬生「柳田格之進」。

この噺は、最初に書いたように、講談種という。
馬生師は、今残っている一つの録音の枕で、父であり師匠である、
志ん生から習ったと言っている。

志ん生は、講釈師であったこともあるので、その時覚えたのか。

志ん生の音も残っているし、志ん朝のものもある。
今の落語家では志の輔師のものがある。

実は、この噺の結末、志ん生志ん朝のものは、馬生のものと
違っている。

志ん生志ん朝版は、徳兵衛と柳田が湯島で出会った段階では
柳田の娘は吉原から身請けをされておらず、翌日、万屋を訪れ、
碁盤を切った後、万兵衛によって身請けをされ、娘は徳兵衛と
夫婦になり、さらにその子供が柳田の家を継ぐということに
なっている。

これが原形で馬生師が変えたと考えてよいように思う。
帰参が叶ったのに、娘を吉原に置いたままというのは、さすがに
おかしかろう、という。
また、娘を徳兵衛にくっ付けて、子供を柳田の家に戻すのも
いかにも俗である。

吉原から戻り、老婆のような姿になった娘を語った、
馬生のものの方が、作品性は高いと考えるのである。
また、余計なことを言わず、淡々と季節感の中でドラマを
展開させている演出も優れている。
むろん馬生の練った馬生オリジナルであろう。
志ん生志ん朝版を前近代とすれば、馬生版は近代作品と
いえるのではなかろうか。

ちなみに、志の輔版。
志ん生志ん朝版をベースとするが、先に柳田によって身請けは
されている。雪の明日、柳田と娘二人で万屋へ出向き、最後の場面、
柳田は碁盤を切り、再度二人を切ろうとするが、娘自ら二人を許し、
よく言った、それでこそ柳田の娘だと柳田に言わせ、終わっている。
徳兵衛にくっ付けるのも、子供を柳田の家に戻すのもない。

志の輔版、よく考えたと思われる。
破綻はない。ハッピーエンドにしたかったのであろう。
だが、こんな娘はいないのではなかろうか。できすぎに感じる。
私は、馬生版を評価したいと思う。
なにしろ、語られる季節感が好きである。
そして、どちらが人間を深く描いているのか。
皆様はどう思われようか。

この噺、講談種で、志ん生から馬生に伝わった段階からが
落語としてのスタートなのであろう。戦前か戦後早い時期。
つまり、古典のようで、古典ではない。
多くの演者、多くのお客によって、噺は磨かれる。

「柳田格之進」志の輔版も一つであろう。
馬生版を引き継ぎ磨く落語家はいなかろうか。

さて。
馬生師、もう一席。

もう一席といえば、なんであろうか。
いろいろある。

「目黒の秋刀魚」。
これも馬生師といえば、出てくる噺。
かなりよい。

この噺、難しい。
皆、筋から下げまで知っている。
いかに、秋刀魚をうまそうに演じられるかということであろう。
馬生師、武士や殿様が上手かった。人(ニン)であった
ということもあろう。
人物が、きれいにうまく演じられていれば、秋刀魚も
うまそうに感じられるというものであろう。
やはり、この人独特の人物描写のリアリティーがあるのである。

「そば清」。
落語ファンならはご存知の方が多かろうが、一般にはそう知られている
噺ではないだろう。この噺も馬生師だと思う。
そばの大食いの掛けをする噺。
賭けで大食いをする清兵衛が、商用で田舎をまわっていると山で道に迷う。
うわばみが猟師を呑むところに出くわす。人を呑んで大きな腹になった
うわばみはなにか赤い草をなめるとあっという間に大きな腹が
小さくなってしまう。
これを見て、清兵衛はその草を持って帰る。
江戸に戻り、掛けに臨む。
限界に近づくと、風に当たらせてくれと言って、隣の座敷へ。
なかなか出てこないので、皆で座敷を開けてみると、、、、。
そばが羽織を着ていた。

考え落ちなどというが、やはり、この噺も下げ、結末だけの
噺といってもよいだろう。毎度書いている通り、落語というのは
なん度も聞くことに耐えられなければいけない。
結末まで惹きつけられる技術の高さである。
やはりこの人ならではのもの。

今、「そば清」は喬太郎師が演り、音もある。
おもしろい。

そして「笠碁」。
小さん師、人間国宝五代目の小さん師ものもよいのだが、
馬生師としてこの噺を取り上げたい。

碁将棋に凝ると、親の死に目に会えない。

碁敵は憎さもにくし なつかしし

こんなところから入り、碁会所でのちょっとした一コマの
小噺を演じ、噺に入る。

近所に住む、商家の旦那二人同士。
おそらく幼馴染でもある。

碁の腕前も同程度で、言うところの碁敵。
ありがちなことたが、親しいので、二人ともマッタ、ばかり。
マッタばかりしてると、ちっとも上手くならないと習っている
先生に言われ、今日は一つ、マッタをしないで、やってみよう、
ということになる。

最初の内は、パチパチとすんなり置いているが、
あるところで、、一方が、マッタをしたくなった。
モジモジ、言っていたが、段々、マテ、マタナイで
エスカレートしてくる。

「人間というのは、そういうもんじゃないでしょ」
「?」
「あーた。三年前の暮れの二十八日、覚えてますか?」
「?!」

三年前、この男の店で急に商用の資金に不足ができて、
もう一人の男の家に、借りられないかと来た。

馬生師の録音ではなぜか触れていないのだが、小さん師、談志師は
この噺では一方の店の名前は[ミノヤ(美濃屋?)]と出てくるが、
もう一方は出てこない。
どちらでもよいのだが金を借りた方が[ミノヤ]である。

で、その[ミノヤ]の主人が借りにくる。
[ミノヤ]でない方が、少し店は大きいようである。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その63 金原亭馬生 柳田格之進

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引き続き、十代目金原亭馬生師「柳田格之進」。


「あー、大切な友達を失くしてしまった」と、
万兵衛は慌てて、人を出し、柳田を探す。

だが、ようとして、柳田の行方は知れない。

季節は冬、暮れになる。

商家は煤払い、大掃除。
万屋も煤払い。
すると、離れの額の裏から、五十両の財布が見つかった。

万兵衛は、月見の夜、手水(ちょうず)に立った時に自ら
額の裏へ置いたのを思い出す。

煤払いは、すぐにやめ、再び柳田を探す。
だが、やはり見つかるものではない。

年が明ける。

元日から雪になり、二日は雪景色。
主人の万兵衛と番頭の徳兵衛は手分けをして年始回り。

徳兵衛は山手方面。
湯島の切通しを降りてくると、下から駕籠から降り、
坂を登ってくる身形(みなり)のよい武士がいた。

武士は雪の坂を登る駕籠かきを気遣い、駕籠を降りて
歩いていたのである。

武士の方から徳兵衛に声を掛けてきた。
これがなんと、柳田格之進であった。

徳兵衛はむろん驚く。
これで、自分と万兵衛の首がなくなる、と。

柳田は湯島天神境内の料理やへ徳兵衛を誘う。
元の彦根藩に帰参がかなったという。

徳兵衛は五十両の財布が出てきたことを柳田に話す。

柳田は、めでたいな、あの折の、約束を忘れていないな、と。

明朝、その方と万兵衛の首をもらいに行く、
よろしくな、と、徳兵衛を帰す。

徳兵衛は万屋へ帰り、万兵衛に話す。

万兵衛は柳田の帰参を喜ぶ。
首はあげましょう、と。

翌朝、雪の明日の日本晴れ。
目に痛いような白い雪を踏んで柳田が現れる。

新年の挨拶。
世話になったが、お蔭で帰参が叶った、喜んでくれ、
と柳田。
万兵衛は柳田に祝いを述べる。

徳兵衛から聞いたな、今朝はそれをもらいにきた。

はい。柳田様に申し上げます。
私はもう老い先短く、かまいませんが、この徳兵衛、
十一の年から天塩にかけて育てて、これだけの商売人に
いたしました。先行きもあります。どうぞ私だけで、徳兵衛は
助けていただきとうございます、と万兵衛。

徳兵衛は、柳田様、それは違うんです、ご主人様、なにを
言ってるんです、ご主人様はよせと言ったのに私が勝手にやったこと、
わたくしが全部わるいんです。あたくしだけ首を討って、、

万兵衛は、なにを言ってるんだ、柳田様、私が一人切られれば、、

黙れ!、
だまれ、、、だまれ、、、、、、、と柳田。

赤貧の浪々の身の中、あの五十両をどうして拵えたと思う。
娘を売った金なんだ。

主家に帰参が叶い、すぐに金を借りて吉原へ行き、身請けをした。
だが、娘は泥沼へ入ったことを恥じ、誰とも会おうとはしない。
この父親に顔も見せぬ。食事もほとんどせぬ。
日毎やせ衰え、その後ろ姿はまるで老婆のようだ。
その姿に慰める言葉があるか。あるなら教えろ。あるなら教えろ。

娘に、お前達二人の首を並べてわしが頭を下げる。
それしかない。

両人とも切る。

申し訳ございません。手前どもだけ勝手なことを申しました。
どうぞお切りください、と万兵衛。

だぁー、

っと切り落としたのは、万兵衛、徳兵衛の首ではなく、
床の間に置いてございました、碁盤。

白と黒の石が、凍てついた畳の上に、ぱーっと散った。

どうしても、その方(ほう)をわしは切れぬ!。


柳田の堪忍袋という一席でございました。


これでお仕舞。
枕も入れて、50分弱。

いかがであったろうか。
私はよい噺であると思っている。

なにがよいのか。
季節感である。

春に始まり、夏の暑い盛り柳田は万兵衛と碁会所で出会う。

そして十五夜。五十両の一件が起こり、
柳田は娘を吉原へ売ることになる。

暮れの煤払い。
十両は出てくる。

雪の正月。
湯島の切通しで帰参が叶った柳田と徳兵衛が出会う。

柳田は万兵衛、徳兵衛の首をもらいに万屋へ行くが
切れず、碁盤を切る。
凍てついた畳に白黒の碁石が散る。

かなりの名作ではなかろうか。

映像が見えてくるし、なによりも肌感覚に伝わってくる。
落語、人情噺で、このようなものは珍しかろう。

最後の「凍てついた畳」など、もはや私も忘れている
遥か子供の頃の体験か。素足の裏に貼りつくような畳である。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その62 金原亭馬生 柳田格之進

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引き続き、十代目金原亭馬生「柳田格之進」。

碁会所通い、万屋万兵衛と打つのが数日続き、
今日は特別に暑い。そして、碁会所は満員。
万兵衛の申し出で、これならば、手前の家へいらっしゃいませぬか
と誘われ、行ってみる。
店の奥の離れで、町の喧噪を離れ、静かで誠に涼しい。

馬道の万屋万兵衛の家の離れで碁を打ち終わり、
酒、肴のもてなし。
柳田は浪々の身で、返すことができぬと、遠慮をするが、
すすめ上手で、受ける。
お土産までもらって帰る。

明くる朝になると万屋の小僧が柳田の家に迎えにくる。
今日は、行けないというと小僧は、きっと柳田様はそうおっしゃる
だろうから、お前は柳田様が来るまで帰ってきてはいけないと
言われてきたという。
それではしょうがないと、柳田は出かける。
碁を打ち終わると、またご馳走が出てお土産をもらって帰る。

これが度重なる。
そのうちに、米が一俵、柳田の家に万屋から届く。
沢庵が樽で届く。
酒も届く。

生活に困っている柳田にはありがたいことは間違いない。
あー、こんなことをしていてはいけない、自分が世に出たら
この恩は返そうと思う。

そのうちに、秋になり、涼風が立ってくる。

中秋の名月
万屋で月見をするというので、柳田は招かれる。

例によって万兵衛と柳田は碁になる。
二人、夢中になる。

碁の最中に、番頭の徳兵衛が小梅の水戸様の掛け、五十両
主人の万兵衛に渡しにくる。万兵衛も碁に夢中で、はいはい、と
受け取る。

なん番かの勝負が終わり、遅くなったことに気付き、
柳田は、お嬢様へと土産ももらって帰る。

柳田が帰った後、番頭が先ほどの五十両は、と聞くと、
万兵衛は、、、受け取ったことはなんとなく、覚えている
のだが、持ってもいないし、あたりにもない。

番頭の徳兵衛は、ことによると柳田様が持って行ってしまった
のでは、という。万兵衛は慌ててたしなめる。

もし仮に、柳田様が持って行ったとしてもそれはそれでいい。
差し上げたいと思っていたのだが、あの方は受け取らない。
私の小遣いの方に付けておきなさい、と万兵衛。

忠義の番頭、徳兵衛は納得がいかない。

翌日、徳兵衛は万兵衛に内緒で柳田の家にくる。

十両がなくなったことを言い、知らないか、と聞く。
柳田は怒る。
武士に対して、失礼な奴。

徳兵衛も引き下がらない。

柳田は天地神明に掛けて、金は盗まぬ、と。

徳兵衛はあくまで、そうおっしゃるなら、お奉行所
訴え出るという。

柳田は、旧主家への差し障りを考え、わかった、という。

わしは取らぬ。
だが、そうまでいうのであれば、わしは取らぬが、
十両用意してやる。
取っていないので今はない。明日、取りにまいれ。

取っていないので、必ず後で、その金は出てくる。
その時はどうする、と、柳田。

まあ、そんなことはないでしょうが、私の首と主人万兵衛の首を
差し上げます。

そう言って徳兵衛は帰る。

しばらく考えて、柳田は手紙を書く。
娘の糸に、久しぶりに牛込の叔母のところへ行ってこい。
今日は泊まってきてよいぞ、と。

狭い家、話しは聞こえていたので、糸は、むろん気が付く。

お父様は、お腹を召す(切腹する)おつもりなのでしょ。

どうぞ、この糸をご離縁下さい。
女という者は、吉原というところへ行くと、お金になる
と聞いています。私がまいりますのでその金を徳兵衛に
おやり下さいと、いう。

お腹を召すと、柳田は盗人の汚名を着て腹を切った、だらしの
ない奴だ、といわれます。
取らないものは、必ず後で出ます。その時に、徳兵衛、万兵衛の
首をお打ちになりまして、ご武名をお上げください、と。

、、そうか、、、そうか、すまない。
馬鹿な父だ。万兵衛とつきあったのが、誤りであった。
だが、柳田の家名は汚したくない。
お前、吉原とやらへ行ってくれるか。

はい。どうぞ、お売りください、と。

ちょうど一軒置いた隣に、女衒(ぜげん)がおり、その手配で
吉原の[角海老]へ。
糸は器量もよく、躾も行き届き、教養もある。
柳田は、五十両を手にする。

さすがに、柳田はこの五十両の金を前に涙をこぼす。
すまなかった。愚かな父を恨んでくれ。
と、声を上げて哭(な)いた。

明くる朝。
徳兵衛が訪れる。

柳田は、わしは取ってはおらん。だが、そこに居合わせた不運で
その方(ほう)へ遣わすんだ。よいか。取ってはおらんものは必ず出る。
その方と万兵衛の首をもらうという約束を忘れるなよ、といって、
十両を渡す。

徳兵衛は、見ろ、やっぱり取ったんだ、すぐに五十両出てきた、と。

帰って、主人万兵衛に事の顛末を話し、五十両を渡す。

万兵衛は、あれほど私の小遣いにしておけと言ったのに、
なぜそういう余計なことをするんだ。
慌てて下駄を突っ掛けて、阿部川町へ。

柳田の家の雨戸には釘が打ってある。
戸を開けてみると、手紙があった。
家主と万兵衛宛に、故あって当地を立ち退くものなり、柳田格之進、と。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その61 春風亭柳好 野ざらし 金原亭馬生 柳田格之進

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引き続き「野ざらし」。

私は身の程知らずにも「野ざらし」を談志家元のもので覚えて
しまったのである。
もちろん、これは大間違い。
さらに、唄うような柳好版でも間違い。

正解は、比較的ノーマルな柳枝版だったのであろう。

ただ、それでも、この噺、素人に手におえる噺ではとてもない。

例えば、志らく師にも指摘されたが「鐘がボンと鳴ぁ~りゃ」の
サイサイ節が唄えない。小唄でも都々逸でも唄ったことのない者は、
邦楽の独特な節回しがまるでわからない。そんな体たらくであった
のである。
私などは演ってはいけない噺であったのである。

さて。
柳好、柳枝以降、噺として大メジャーになったからか、談志家元も
然りだが、この世代では、志ん朝小三治、先代円楽など、
いろいろな人が演り、音がある。

その後となると、どうなのであろうか。

立川流は、家元の十八番でもあったので、若手でも演っている
と思われる。志らく師も演っている。

その他は平治時代の当代桂文治師、花禄師などの音がある。
それ以外にも今も演る人はあるのか。

やはり、この噺も段々に難しい噺なってきているのでは
なかろうか。
爆笑系の噺というのはそもそも、書いてきている通り、
技術とセンスが不可欠である。
それに加えて、この噺は、明治から昭和初期に爆笑系として
完成されているため、当時の言葉とセンスの、くすぐりがふんだんに
入っている。江戸ではなく、中途半端に古い。
古典になり切れていなかったといってよいのかもしれぬ。

例えば、この部分。

八「半鐘の鐘が、ジャンジャン~~~~
  鉄道馬車の鐘がカンカンカンカァン~~~~
  
  (唄)
  え~、ただぁ~~~~~~~~~~
  鐘がカーン、カーン、ポーン、ポーン、
  叩いて仏になるならば、時計やのまわりはあらかた仏にぃ
  なる~~~~~~~だろぅ~~~~~。
  ってな知ってるかぃ!。」

鉄道馬車は、電車(市電、都電)に変えるとしてもちょっと微妙。
路面電車が、カンカン~と鳴らすことを知っている若い人は東京などでは
ほぼいなかろう。時計やも、もはやこの世から消えつつある。
これらを含めて、センス自体が中途半端に古い。
陽気でここはかなりのハイテンションで演じなければ、いけないのだが、
以前であれば、爆笑であった部分であるだけに、俗にいう、
スベル可能性は高く、その場合、噺の流れ自体を壊しかねない。

かといって、ここを省くのも爆笑噺「野ざらし」のバランスを崩す。
別の演出に変えるのか、、、。
志らく師は、この部分の直後に八五郎をクレイジーにする駄目押しの
演出を入れている。

ちょっとイレギュラーな形で完成してしまった噺だけに
どんな風になっていくのか。ちょっと悲観的にも思えるが、、。

さて。

三代目春風亭柳好師とともに「野ざらし」、八代目柳枝師
を少し書いてきた。

円生師から書き始めた昭和の落語家、というくくりである。

この他に、どうしても書いておきたい落語家。
次は、ここまでの落語家の下の世代。

書かねばならないのは、五代目柳家小さん師であろう。
まさか、人間国宝を書かないわけにはいかないだろう。
もう一人、とかく忘れられがちのような気もするのだが、
金原亭馬生師。

小さん師の方が生まれは早く10歳以上年上なのだが、亡くなったのは
後なので馬生師を先に書きたい。

十代目金原亭馬生
落語ファンであればいわずと知れた、五代目古今亭志ん生の長男。
志ん朝の兄。女優池波志乃さんの父。
亡くなったのは昭和57年(1982年)なのでもちろん私の記憶のある
落語家。CMなどにも出演ていたのではなかろうか。

十代目金原亭馬生といえば、なんであろうか。

ネタ数は多いと思うのだが、この人だけ、というのは、
そう多くはないかもしれぬ。
爆笑系でもなく、大名人でもなく、暗くはないが多少地味。
優しそうでどこか上品で、私は好きである。

挙げたいのは「柳田格之進」である。
講談が元で、人情噺といってよいだろう。
コアな落語ファンの方はご存知ではあろうが、やはり
一般にはあまり知られていないと思うので書いておきたい。

舞台は旧幕時代の江戸。

主人公の柳田格之進は江州彦根藩の浪人。
(江州(ごうしゅう)は近江)

文武に秀で江戸藩邸では、留守居役をしていた。
留守居役というのは江戸での藩の外交官などとも言われる。
幕府や諸藩との情報収集、交換を行う役目。

柳田格之進は有能なのだが、真面目一辺倒。
融通が利かず、嫌われ、浪人となってしまった。

浅草阿部川町の裏長屋で娘の糸と二人暮らし。
(阿部川町は私の住む、元浅草。うちは一丁目で、町内会は七軒町。
この界隈の町内会は旧町とイコール。阿部川町は三丁目の一部で
今も町会としてあり、江戸からある町名である。)

娘は長屋の縫物などをし、柳田は子供に読み書きを教えるが、
剛直一辺倒でそのうちに子供もこなくなる。

季節は夏になり、暑い。

娘のすすめで柳田の好きな碁を打ちに、近所の碁会所(ごかいしょ)へ
行ってみることにする。

雷門の方へぶらぶらくると、一軒の碁会所があったので入ってみる。

ここで万屋万兵衛という男と出会う。
碁の腕前もちょうど同じくらいで二人で打っていると誠に愉しい。

この万屋万兵衛、浅草馬道の大店の主人。
二日三日と、柳田もおもしろいので、碁会所に通う。
二人は、親しくなる。
碁会所の費用も万兵衛が出してくれる。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その60 春風亭柳好 野ざらし

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引き続き、三代目春風亭柳好師「野ざらし」。

明治の三代目円遊師の速記の、土手に着いて、土手下の釣師との
やり取りの場面がポイントである。

八 「<前略>
   (鼻歌)ポンと突き出す鐘の音は陰に籠って上げ汐南(あげしお
   みなみ)物凄(ものすご)く烏が飛び出しや骨があるサツサアー」
釣師「大変な奴が来やアがつた」
  (「口演速記明治大正落語集成」(講談社))

とある。
「サツサアー」がサイサイ節かどうか断定できぬが、既に唄にして
いる。これはまさに、ステテコ踊り、爆笑王で売った、円遊らしい
といってよいのではなかろうか。

先に書いたように柳好師は他の噺も唄うようなリズムで
特に「野ざらし」は数か所も唄が入り、正統派から見れば、
まともな落語家ではなく、色物ともいえるような存在ではなかった
のではなかろうか。

これは取りも直さず三代円遊をどう評価するのか、ということにも
なるように思う。

円朝師のところで見たが、明治天皇ご前で「塩原多助」を演じた
円朝は寄席からの自立を目指し寄席と対立。弟子の円遊ら、爆笑系は
寄席側に付き、円朝は東京の寄席に出演られなくなった。

爆笑系と正統派の対立ということになるのだが、対立ではなく、
どちらも落語、で私はよいと考えている。
正統派以外は落語ではないと考える人もいるかもしれぬが。

もちろん爆笑系はお客に受ける。受けるから爆笑系なのである。
お客を呼べる。あたり前のことである。それを誰が否定できよう。
円朝も、円遊の芸風を否定してはいなかった。
http://www.dancyotei.com/2019/apr/encyou18.html

売れるためになんでもする。芸人としてはあたり前のこと
ではある。

ただ、中でも唄うような落語をここまで完成させた落語家は
おそらく三代柳好師の後にも先にもいないのではなかろうか。
そういう意味で、不世出、忘れてはいけない落語家であると
思うのである。

さて。もう一度「野ざらし」の噺自体に戻る。

どうしても「野ざらし」は私自身も覚えて演った噺なので
考えてしまう。もう少しお付き合い願いたい。

この「野ざらし」という噺を語るには、もう一人忘れてはいけない
人がいる。

似た名前なのだが、八代目春風亭柳枝
柳好(りゅうこう)ではなく、柳枝(りゅうし)。

八代目柳枝は明治38年(1905年)生まれ。大正10年(1921年)、後の
四代目柳枝に入門。大正14年(1925年)春風亭柏枝で真打。
戦後昭和34年(1959年)53歳の若さで亡くなっている。(wiki)。
昭和の三名人+金馬、柳好と比べても最も生まれが遅いが、柳好の次に
早く亡くなっている。

「野ざらし」といえば、柳枝と柳好とも言われていたと
いってよい。

ただ、それはどちらかといえば、後輩のプロの落語家から、と
いうのではなかろうか。

お客から、やはり、唄うような柳好の方が聞いて心地よく
魅力的であろう。

だが全体が唄うような柳好の「野ざらし」は書いている通り、
台詞として略されたり、きちんと発声していなかったり
している部分が多い。

私、この「野ざらし」を覚えて演っているので、演る立場で
考えてしまうのである。

演るとすると、柳好師版は金馬師同様に台詞だけ真似しても
噺としては成立しない。リズムとメロディーも含めて完コピする
しかないのである。

柳好のリズムとメロディーはもちろん彼固有の特殊なもの。
こうなると、ただの物真似でしかない。
ただ、物真似というのはプロでもできる人とできない人がいる。
物真似の才能のない者は、気持ちのわるいものにしかならない。

これに対して、柳枝は多少のクセ(個性)はあるが、柳好と
比べれば、かなりノーマル。また、言葉もきちんと発声されている。
さらに、言葉、台詞からの笑いも実際には柳好よりもずっと多い。
もちろん一般のお客が聞いても十分におもしろい。

ちょっと横道にそれるようだが、こんなことがある。
「野ざらし」で最もおもしろい台詞、フレーズはどこか。

ここである。八五郎が土手に着いて、下の釣師に

 (大声で)
八「骨(こつ)ぁ~釣れるかぁ、骨ぁ~~~~!」
 (下の釣師、上を見上げて。)
A「骨ぅ~~?。
  骨だってますが、なんですかね?」

この下にいる釣師が竿を構えた仕草で、斜め後ろ上を見上げで、
「骨ぅ~~?。」である。

このフレーズ。
「野ざらし」の中でも、コアなお客はここが最もおもしろいと感じる。
演者の方も、これを演りたいので「野ざらし」を演じる。
志らく師が語っていたことなので、広く同意されることであろう。

実は、この部分は、メロディーで売った柳好版にはない、のである。
柳枝師のものにはある。
これは一例だが、テキスト、コンテンツとしての、といってよいのか、
噺とすれば、柳枝版の方が優れているといってよいのである。

「野ざらし」というとご存知の方も多いと思うが、談志家元が比較的
若い頃、売り物にしていた。

談志家元は、やはり天才であったといってよろしかろう。
物真似の才能にも優れたものがあった。
談志家元の「野ざらし」は物真似を交え、柳好と柳枝、正確にいえば
言葉、台詞は柳枝、ところどころ柳好のリズムを入れて演じていた。
まあ、こんなことができた落語家は、そう多くはなかろう。
(家元は「寝床」でも円生、志ん生文楽のそれぞれのフレーズを
物真似を交えて演っていた。)

柳好も柳枝もどちらも知っているコアなお客は大喜びである。
もちろん、いいとこ取りをしているので、二人を知らないお客にも
おもしろさ、よさは伝わる。

で、まあ、結局、私は、柳好版も柳枝版もどちらも聞いたが、
談志家元版を覚えたのである。
これはまだ、志らく師の落語教室に入る前。
それを教室に入ってから、師の前で演ったことがあるが、
ケチョンケチョンにやっつけられた。
20年もたって今、こうやって、噺の丹念な分析をしてやっと
腑に落ちるのだが、そもそも、いいとこ取りをした天才家元のものの
真似がトウシロウにできるわけがない。(他の噺でもそうだが、凡人は
天才談志家元のもので絶対に覚えてはいけないのである。)

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その59 春風亭柳好 野ざらし

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引き続き、三代目春風亭柳好師「野ざらし」。


八 なんでもいいから、早く出てこい!。
  出てきたら酒を掛けるよ~。
  
  俺んとこは、浅草門跡裏、角(かど)に酒やあっから、
  そこ入ってくっと三軒目。
  腰障子に丸八(まるはち)としてあら~。

  てなこと言うと、くるよ。
  
 (頭の上を指さして)
  こんなとこから声出して、

  こ~~んばんは、こ~~んばんは。

A「ほら、そっちいってろ。ちょっと見ろ。」

八「誰だい?。

  あたし、向島からきたの、入ってよくって?。

  向島なら待ってたんだ、入(へぇ)んねえ。

  ごめんなさい。あ~らあたし、今晩からあたしあなたの
  お内儀(かみ)さん。よくって?。
  ふん、様子がいいわぁ~。
  浮気なんかしない~?。
  
  浮気なんかするもんかぁ~。

  浮気をしそうだわよ~。

  浮気なんざぁするもんかぁ~。

  浮気をするよ~。

  するものか~。

  するよ~。チクショー、
  (仕方話で隣を叩く仕草。)
A「痛いよ~」
八「そいで、この口でごまかしゃがんだろー。
  コンチクショー」
  (同じく、隣の口をつねる仕草。)
A「おい!、ほっぺたつねっちゃしょ~んねーなぁ~。」
八「お前さんなんか、つねるよりくすぐるよ

  って、から、俺ぁまた、くすぐられんのいやだ

  よせよ~。

  いいからあなた、くすぐるよ~
  (同じく、くすぐるられる仕草。

  (ここまでずっとそうだが)片手で竿を持ったまま、もだえる、、、

   自分の釣針が自分のあごに引っかかる。)

  痛て、て、て、て。」
A「おい!、あごを釣っちゃった、あの人。」
八「どういうはずみで、針がここへかかちゃったぃ。
  おーい、笑ってねーで、取ってくれ。
  あ、っと血が出てきやがった。おー痛ぇ。

  釣りをすんのにこの針は邪魔だぃ。
  (針を取る仕草。)
  こんなもん、いるかぃ。
  さーこい!。
  (再び、竿をかまえる。)
  
A「おい!。あの人針なしでやってらぁー。」

「野ざらし」でございます。

~~~~~
これでお仕舞。

噺としてはここで落ちているが、下げらしい下げには
なっていない。

いかがであったろうか。
金馬師もそうであったが、文字に起こして果たして伝わる
ものなのか。

文字に起こすのは、この人は他に比べてかなりたいへん。
早いし、はっきり喋っていない言葉の多いこと。これ、特徴
であろう。

枕を抜くと10分程度。
内容の割に、時間は短い。

「野ざらし」。
明治期は「手向けの酒」という名前であった。
いつもの「口演速記明治大正落語集成」(講談社)以下「集成」、
にはこの名前で出ている。明治26年1893年)、演者はこれも
三代目三遊亭円遊

(前にも書いているが、一般には三代目円遊は長く初代といわれて
おり、今のwikipediaなどにも初代としてあるが「集成」には三代目と
表記されている。当円遊の前に二代あることはwikiにもあり、
史実のようでこの文章では「集成」に倣い三代目表記としている。)

円遊の「手向けの酒」には釣りのあとがあり、骨を見つけ酒を
掛けて帰ってくると夜、いい女ではなく、オカマの幇間
(たいこもち)がくるというもので、演じられなくなっている。

骨を回向するとオカマがくるという原話は中国にあり、
類話もたくさんある(「落語の鑑賞201」(末信真治編)他)
ようで、もともと、こういう話しであったのであろう。
まあ、お下品ではある。

二代目林屋(家)正蔵が落語にしたともいう。(同)
天保期であろうか。)

実際にどんなものであったのかは不明だが、仏教色の強い
因縁噺であったという。これを現在に近い明るいものに
三代目円遊が変えたといわれているよう。(同)

三代目柳好師。例えば「がまの油」「二十四孝」など他の噺でも
そうなのだが、ここまで流麗、唄うように演じる落語家は他に
例ががなかろう。とにかく明るい。それだけでも柳好師を聞く
価値がある。

柳好師は明治20年(1887年)浅草生まれ。大正元年(1912年)入門。
師は二代目談洲楼燕枝。(この人あまり名は知られていないが、
初代快楽亭ブラック師の弟子筋のよう。)1917年(大正6年)春風亭
柳枝門下で真打。戦後昭和31年(1956年)に68歳で亡くなっている。
wiki他)志ん生師の少し上で昭和の落語家の中では気持ち上で、
亡くなったのが早いということになる。

「野ざらし」は三代目円遊から弟子の四代目円遊に受け継がれ
釣りの場面がさらに明るくなり、今の形に近づいたという。
(「集成」解説・興津要

三代目柳好師は、戦前からある程度売れていたようなので
この四代目円遊のものを受け継いでいるのであろう。

 

つづく