浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



年の初めに その3

dancyotei2018-01-09



今年、平成30年が始まり、
平成も残すところ1年あまり。


年初にあたり、来年退位される今上天皇のことから、
天皇について少し考えている。


明仁天皇は戦後の象徴天皇としての新しい姿を
示され、国民もある程度の総意を以て、支持していると
いうのが私の仮説。


次に、1500年、100代余りになる天皇の歴史についても
概観をしてみた。


1500年、100代余りは世界でも類を見ないほど
長い歴史を持っているが、天皇に実権があったのは
最初の300年ほどであった。
しかし、それでも、形式的ではあるが、戦前までは
我が国の権力秩序の頂点であり続けた。


こういう存在のしかたも、アジア、中東、欧州などなどを含め
世界の王様、皇帝その他でも例がなく特殊というのか、
我が国固有のものといってよいのではなかろうか。


つまり、いかにも我が国らしい。
我が国の歴史と文化の中でなければ存在してこなかった、
という言い方もできると思うのである。


こんなことも踏まえて天皇というものは
我々にとってどんなものなのかを考えてみたい。
もちろん、現代においてである。


貴種という言葉がある。


簡単にいえば、高貴な血というようなことか。


天皇だったり、皇族、あるいはそこからなん代かたった一族。
さらにもう少し広げると朝廷の貴族あたりまで。


例えば、平氏、源氏などは我が国の典型的な貴種一族といえよう。


天皇の子息を祖として諸流あり、武家の棟梁としての
資格にもなっていた。


また、平氏、源氏それぞれでも、神話のようなものは
古くから、全国各地にある。


例えば、山深い村などに数多くある平氏(家)の落人伝説。


あるいは、源義経は東北に逃れ、殺されたことに
なっているが、生き残り、モンゴルに渡り
ジンギスカンになった、、。
荒唐無稽だが、今でも多くの方がご存知であろう。


また、源頼光、義家親子などは東日本各地に
相当数の伝説を持っている。


今年も初詣に行った、私が住む元浅草の産土神である鳥越神社の
縁起は、八幡太郎義家が奥州征伐の際、隅田川
渡りかねていると一羽の白鳥が飛んで浅瀬を示してくれたので、
鳥越とついた、とある。この類のものである。


天皇家直接の伝説ではあまりにもおそれ多く、
あり得さそうだが、平家や源氏ではまあ、あっても
おかしくはないか、と思えたものかもしれぬ。


いずれにしても、平氏、源氏など貴種に関連を求める伝説は
枚挙にいとまがない。
また、貴族でも伝説の類は数多くある。


例えば、菅原道真。天神様である。
天神様というくらいで、神様となって神社は各地にある。
伝説から芝居にもなって「菅原伝授手習鑑」は今でも
上演されている人気演目。


また、やはり私の住むご近所のものだが、在原業平
この人は天皇の孫で貴族。


伊勢物語にもあり古今集の「名にし負はばいざこと問はむ
都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という業平の和歌があり、
ここから、言問団子、言問橋、さらに言問通りがあったり。
また、少し離れているが、業平塚という実際には小さな古墳のようなもの
が元で、江戸期に神社ができて、業平という町名、業平橋という橋、
スカイツリー駅になってしまったが少し前まで駅名でもあった。


あるいは、思いつくままに書くが、小野小町なども
その類であろうか。
生誕地、墓所伝説が全国各地、特に東北に多いようだが、
存在する。


日本史上、小野小町というのは実在が確認されていないよう。
だがやはり扱いとしては、朝廷に仕えるということで
高貴な身分(で美人)という認識であったのであろう。


こんなもろもろ、貴種伝説、伝承といってよいのか。
弘法大師が杖を突いたら、水が湧いて飢饉を救った
といった伝説も日本中にあるが、キリスト教などにも多い
宗教系の奇跡伝説ということで、ちょっと違うか。)


で、なにが言いたいのかといえば、
昔から、今となって語られているのは
日本人はどうもこの手の話が好きだということ。


そして、こういう神話・伝説を通しても、
天皇そのものではなく)貴種=天皇から数代後の一族、貴族、を身近に
感じてきていた、いわば愛してきたといってよのではなかろうか。


では、こんな例はいかがであろうか。


またまた私に身近なものだが、浅草寺の縁起。


浅草の浅草寺隅田川から漁師の兄弟が観音様を
網で引き揚げた、というもの。
兄弟の名は檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)。
その主人は土師中知(はじのなかとも)という者。
この三人を合わせて浅草寺の隣に浅草神社、いわゆる三社様として
祀っている。


この三人は今までの、貴種ではない。
土着の漁師と地元の領主か。


どうであろうか。


やはりどうも、こうなると、ありがたみが減ってくる。


どうせなら、八幡太郎義家の方がありがたい。
皆様もそう思われるのではなかろうか。
日本人であれば、自然な心理であろう。


この違いはなにか。


やはり、天皇を中心とする国家秩序のようなものの
中に自分たちを位置付けたい、位置付けた方が、
安心できる、そういうことなのではなかろうか。


我が国というのは、欧米でいう国家、国民という
(どちらかといえば契約に基づいた)意識が希薄である
といわれてもおり、私もそう思うのだが、
こういうことでホンワカと意識していたということなのか。


いやぁ、そうも単純には考えられまい。


国、天皇を中心とする朝廷と、国土全体の
人々、民衆との関係というのは、もちろん1000年の間に
大きく変わっている。
明治以降は中央集権国家だが、それ以前、江戸期は
大名による封建制。それぞれある程度の独立国。
戦国期は戦国大名と豪族のような中小在地領主。
室町は守護大名と配下の地頭。
鎌倉はその前期で守護と地頭。それ以前は荘園制。
さらにその前が、大和、奈良時代が、ここまでさかのぼって
国司国府を通じて直に租庸調など税を納めていた、という形になる。


その時代時代で、民衆は違った国家感を持っていたと考えるべきであろう。








つづく




2018年1月8日 鳥越神社「とんど焼」