浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



年の初めに その1

dancyotei2018-01-07

年頭にあたり、読者各位のご多幸をお祈り申し上げます。

相もかわらずぼつぼつと書いてまいりますが、

ご愛読賜らんことをお願い申し上げます。

断腸亭錠志





さて。

2018年、平成30年が始まって早7日、

結局、年末年始休み中の更新はしなかった。

まあ、毎年、ほぼ判で押したような年越しで、

ことさら書くことも少ないわけではあるが。

晦日に神田[まつや]で年越しそばを、

上野広小路の[うさぎや]でどら焼きと最中を

買う。

(年越しそば まつやのそばで鴨汁せいろ)





お節はこれも例年通り、市谷の[鮨太鼓]から

届けてもらったもの。



まあ、まったく例年通り。

初詣は寒いので元日の昼間に、産土神(うぶすな)の鳥越神社。





火鉢で角餅を焼いて



雑煮、夜は甘辛の鴨鍋、



まったく例年通り。


といったところ。

皆様はどんな新年を迎えられたであろうか。

今年は平成30年。

旧臘、来年4月末に天皇の退位が決まり、

開けて平成31年1〜4月が平成最後の年と決まった。

元号が変わるだけで実際の世の中とはむろん

実質的には無関係であるわけだが、平成が

終わるということにはそれなりに感慨は浮かんでこよう。

とりもなおさず現天皇陛下のことである。

年初にあたり今日はそのあたりのこと書いてみたい。

天皇陛下は、ただ“天皇”と書くのが正しいと思うのだが

用語としての天皇一般との混乱を避けるため、

お名前である昭仁をつけて明仁天皇と表記したい。

(平成天皇という贈り名になると思うが、これは崩御後に

なるのでこれも不適切であろう。)

憲法下になってから最初に即位された方。

象徴天皇という言葉を、自らもよく使われている

と思うが、その役割を誠心誠意、全力投球された方

であったろう。

これは全国民がそう思っているのではなかろうか。

東日本大震災時に限らないが自然災害の

多い我が国にあって、こうした災害が起き、

国民、被災者が下を向いたときに、寄り添い、

元気付ける仕事を真っ先になさってきたことは

私達の記憶と心に強く刻まれていると思う。

昭和天皇なども戦後、人間宣言をされ、

全国をまわられ、国民に声を掛けられたが、

それともまた大きく違った印象と存在感を示された。

皇后とともに床に膝をつかれて

同じ目線で声を掛けられた。

こういうことができたのは、戦後即位の

天皇であったからなのであろう。

こういう仕事は、時の首相など政治家が

むろんやらねばならぬが、やっても、反発もされることもあろうし、

励ます力のようなものは雲泥の差であったろう。

昭仁天皇天皇としては125代ということになっている。

実際のところ今の歴史学では25代応神天皇

26代継体天皇あたりが確認できる天皇で、

年代とすれば6世紀初めで、それ以前は日本書紀古事記

いわば神話上の天皇ということになっている。

これを引いても天皇家の歴史は1500年、100代と

いうことになる。

そして、これがとりもなおさず、国家としての我が国の歴史、

といってよいのであろう。

なにかのニュースで聞いたことがあるが、

外交の世界では王や女王などの格付け順位というものがあって、

我が国の天皇は最上位という。

これはこの1500年、100代という期間が最も

長いからということらしい。

これだけ長く続いている元首というのか、君主というのは

世界で皆無である、ということである。

日本史上、天皇家は大和、奈良、平安、鎌倉室町、

戦国、江戸、明治、戦後と1500年間、時代は移って、

その権力、立場、役割は大きく変わったが、

とにもかくにも続いてきたというわけである。

明仁天皇は先に書いたように、

今、おそらく大方の国民に支持されているのでは

ないだろうか。象徴としても天皇制はやめてしまえ、

天皇はいらないという人はかなりの少数派であろう。

国民の総意として天皇の存在を認めている。

もっと言えば、必要としている、我が国に欠くべからざるものと

思っているといってもよいのではなかろうか。

昭仁天皇は時代が変わった戦後にとてもよく“適応”された

といってよいものかもしれない。

どうして明仁天皇がこうなられたのか、

裏舞台はよくわからない。

ご自分一人で考えられて行動されたのか、

宮内省、あるいは時の政府と議論して決めてきたのか。

ブレーンのような人がいたのか。

ちろん表には出てこないが、興味があるところではある。

ただ、今回の退位決定の経緯をみるとある程度透けて見える

ようにも思われる。

ともあれ。

明仁天皇自らの意思、政府・内閣、その他の

絶妙なバランスの上に出来上がったといってよい

のではなかろうか。

では、象徴天皇の役割とはなにか。

これは実のところ選択肢はかなり広かろう。

また、今の国民の求める天皇とはどんなものか。

おそらく明示的には表れてくるものでもない。

結果論として昭仁天皇がなされたことを

国民が支持しているということであろう。

これ、なかなかおもしろいではないか。

このあたりに我が国の1500年、100代あまりも続いている

天皇というものの本質が見えてくるような気がする

のである。

1500年、100代と変化しながらも続いている天皇の本質、

かなり大きな問題であるがこれが今回考えたい

本当のテーマである。







つづく