浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その1 三遊亭円生 御神酒徳利

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昨日からのつづき、ではあるが、
いい加減、タイトルを変えた方がよいか。

断腸亭落語案内?、、前にも書いたような気もするが。
まあ、よいか。「その1」として再スタートにしよう。

須田先生からも離れ、現代の東京の落語家から音の残っている、
過去の落語家について書き始めた。

三遊亭円生(6代目)、古今亭志ん生(5代目)、桂文楽(8代目)
昭和の三名人から。

私のNo.1は円生師。一般に評価の高い「包丁」。私自身「包丁」
という噺は特に好きでも嫌いでもない。
円生師の一席のものの噺では「寝床」が好きである。

「寝床」は、時代設定は明治あたりであろうか。
大店の旦那が義太夫(三味線と義太夫節という唄。唄の方を
稽古する。)に凝り、店子や店の者に料理など出して聞かせる
という、ドラえもんジャイアンリサイタルの元ネタと
いってよい噺。

前に書いたように、この三人の世代までは、誰かの看板になった噺は
他の人はしない、という不文律があったが、「寝床」は珍しく三人とも
演って、音が残っているレアな噺かもしれない。三人ともよい。

そもそも私はこの噺自体が好きである。
旦那が誰がくるんだ、と聞くのに、店子のそれぞれの事情を聞きに行った
店の者が一人一人の事情を説明する件(くだり)、ここは文楽師。
豆腐やのところでは、がんもどきの作り方を細かく説明を始め「誰が
がんもどきの“製造法”を聞いてるんだ」は肝。

志ん生師は、番頭にサシで聞かせたことがあり、この時、逃げる
番頭を追いかけて、蔵に追い込み、旦那は梯子をかけて蔵の窓から
中に義太夫を語り込み、蔵の中で義太夫が渦を巻いて、番頭は
七転八倒、、。その場でお暇をいただきたいと、いなくなって
しまった。
まさにドタバタのデフォルメ・イリュージョンである。
談志師は三人を混ぜて、ここから文楽師匠、ここから志ん生師匠、
円生師匠と入れながら演っていたのを思い出す。

円生師は子供の頃義太夫で舞台に上がっている経験もあってか、
枕で義太夫の物真似をおもしろく聞かせるのだが、これが秀逸。
一しきり、大袈裟に(?)義太夫の笑い方を演って、最後に義太夫
のことを「馬鹿ですよ。あんまり利口な仕事じゃない」とやっている。
私は、本編よりもここの方が好きかもしれない。

噺は店子は誰もこない。店の者も仮病を使って誰も聞かない。
旦那は怒って、店立て(皆、即刻家をあけてくれ)、奉公人には
暇を出すと言い始める。それはいけないというので、皆、集まる。
旦那はへそを曲げてごねるが、結局始める。
だが、皆、出されたものを食うだけ食って、呑むだけ呑んで
聞きながら寝てしまう。旦那は途中で気が付き「家は宿屋じゃないぞ。
帰っとくれ。」すると、小僧の定吉が泣いている。「番頭、見ろ。こんな
年端もいかぬ子供だが、ちゃんと義太夫の人情がわかるんだ。
え、どこが悲しかったんだ」「あそこでございます」「あそこだ?」
「あそこは私が義太夫を語っていた、床(ゆか)じゃないか。」
「あそこは私の寝床なんでございます」。下がっているような、
いないような。よく考えると不思議な下げである。
以前は、この旦那のようなことをすることを慣用句として「寝床」と
いったものである。

さて。もう一席、円生師で挙げると「盃(さかづき)の殿様」。
あまりメジャーな噺ではないが、これは確か志らく師も円生師と
いえばコレ、といっていた記憶がある。

吉原の花魁と馴染みになった殿様が、国表にいるときに、大きな
盃を足の速い家来に担がせて運ばせ、江戸吉原の花魁と盃のやり取り
をする、という馬鹿馬鹿しいもの。
こんな筋なのでもっと短くできる噺であると思うが、40分もかけて
演っている。このクライマックスが滅法おかしい。抱腹絶倒。
この盃を担いだ家来は走り始める前に「エッサッサー」というのだが
なんとも円生師のこれがおかしい。
頭のいい人なので、もっともらしい顔をして、ともすると上から
目線的な聞かれ方もできるのだが、その人のこのとぼけた味わいが
おかしいものである。このあたり、円生師の真骨頂なのでは
なかろうか。

もう一つ。これ、噺ではない。円生師のお茶の飲み方。
やはり志らく師も好きだといっていたし、奇しくも小谷野先生も
「21世紀の落語入門」

で円生師のお茶の飲み方は書かれていた。志ん生師も文楽師もお茶を
飲んでいる音が入っている録音は聞いたことがないと思うのだが、
円生師は実によく飲んでいる音が入っている。

噺の中の登場人物が飲んでいるようにも聞こえるような、絶妙の
タイミングで噺の中で飲んでいるのである。これが味がある。

志らく師は、談志家元にこれをいったら、そうかい?!俺はそんなこと
思ったことはないけど、といっていたという。
(談志師自身はお茶は飲むが、台詞の途中ではなく切れ目で飲んでいたが。)

もしかすると、我々世代はリアルの円生師ではなく、音だけで聞いて
いるのでこんなことに反応してしまうのかもしれぬが。
ともかく、気にして聞いてみていただきたい、よいお茶の飲み方
である。

さて、円生師といえば、私はなんといっても長編である。
寄席や落語会で長編を聞く機会はかなり少ない。
そういう意味で、CDの威力発揮である。
もっと皆さん聞くべきである。
長いので、なかなか寝付けなくて困っている時には是非。

文楽師は長編も演ったことは演ったが少ない。志ん生師も長編は
あるが、出来不出来が激しい。
やはり、三遊のトップ、ほぼスキなく1時間の噺でも演る。
忙しい現代人は聞きずらいかもしれぬが聞いてほしい。

私は、やはり円朝もの、怪談、因果もの、悪党ものといってよいか、は
暗いので聞かない。だが、長編にも意外に明るいハッピーエンドもある
のである。

まず定番だと思うが「御神酒徳利(おみきどっくり)」。
時代設定は江戸時代。上方種というが舞台は江戸がスタート。
小さん(5代目)師の形も音があり、柳派のものは多少系譜が違う
ようである。
そちらではなく円生師のもの。

日本橋馬喰町の老舗の宿や[刈豆屋(かりまめや)]。
「暮れの十三日。仙洞御所(せんとうごしょ)をはじめとして煤取
(すすと)りというものをいたします」と円生師は説明をする。
セントウゴショという音だけなのでもしやすると別のことかもしれぬが
まあ、仙洞御所で合っていよう。(まさか「銭湯、御所」?。)

“仙洞御所”というのは長いこと上皇がいないので、日本史用語で
あった。今回天皇の代替わりがあってニュースにも出てきたので、
耳にされたかもしれぬ。上皇の住まいを仙洞御所というのである。
煤取り、煤払いは、いわゆる暮れの大掃除であるが、師走の十三日に
するものであった。今も歴史のあるお寺などでしているのがニュース
になる。
上から下まで、煤払い、大掃除をするので“仙洞御所”という言葉
が出てきたのか。

[刈豆屋]は江戸の町ができた頃、三河の国から家康についてきた。
願い出て、宿やを始め、代々江戸の旅籠やの総取締を務める大家(たいけ)。
将軍家から拝領をした銀の一対の御神酒徳利が家宝であった。
この煤取りの日、毎年その御神酒徳利を出し、神棚に供え祝う。

 

 

 

つづく