11月4日(月)
さて。
また、歌舞伎、で、ある。
歌舞伎にご興味のない方には、またか、と、思われるかもしれぬ。
私としては、もうしばらく歌舞伎は勉強しなければ、と、思って、
意識的に観ている。
“江戸”好きを標榜しながら、落語がホームグラウンドであるが、
歌舞伎というものはほとんど観たことがなく、観たことがないくらいだから
知識もない。これではやはり、まったくもって大きな顔はできない。
わずかずつではあるが、一般レベルまで近付きたいというのが理由ではある。
が、まあ、ご案内の通り、歌舞伎というもの奥がべら棒に深い。
落語であれば、寄席や落語会は歌舞伎よりも安くて、気軽に行ける。
日になん人も、なん席も聞ける。
またテープ、CDの類も昭和の名人から現役まで豊富に、これもまた、
安く手に入る。
これに対して、歌舞伎の方は、ある程度以上の席は値段も張るし、
また、一回の観劇で見られる作品の数も限られる。
DVDなど映像として販売されているものも実際はそう多くはない。
(最近はシネマ歌舞伎といってフイルム化したものも松竹では
上演し始めているが。)
観ても観ても、まだまだ底が見えない。
毎度書いているが、通しで観たいが、そうそうやってくれないし、
毎月毎月も、なかなか行けない。
と、いうことで。
先月の「義経千本桜」に引き続いて、「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」を
今月来月、歌舞伎座で演る。これは観に行かねば、で、4日祝日、
昼夜今回も文字通り通し、切符と取って、内儀(かみ)さんとともに観てきた。
歌舞伎「忠臣蔵」というのは観たことがないという人は
ほとんどかもしれぬが、聞いたことがないという人は、おそらく
いなかろう。また、映画やTVの時代劇などで、なん度もなん度も
やっているので、これらを含めれば赤穂浪士の討ち入り=「忠臣蔵」を
観ていない、もっというと知らない日本人は皆無ではなかろうか。
最も日本人に愛されてきた、時代劇作品と、いえるものかもしれない。
歌舞伎の方では、江戸の頃から、どんなに不入りが続いても、
「忠臣蔵」をやれば必ず大入り満員。まさに救世主のような
作品であったという。
やはり、これは観ておかねば、で、ある。
朝10時、例によって着物に着替え、今日は雨が振りっぽいので下駄。
稲荷町から銀座まで銀座線。
先月同様、木挽町[辨松]で弁当を買って、劇場に入る。
席は正面のブロック。
ちょっと右に寄っているが、まあまあの席。
(直前に取っても、まあ、問題はない。)
11時、幕のあく前。定式幕の幕の前、中央に裃を着た人形が出てきて、
今日出演の配役を読み上げる。
「エヘン、エヘン(咳払い)。大〜〜〜星由良助〜〜〜〜、
な〜〜〜かむらきちえもん〜〜〜。な〜〜〜かむらきちえもん〜〜〜〜、、、、。」
これ、昼夜通しの配役全部を読み上げるので随分と長い。
これはもともと人形浄瑠璃からきていたので、こういう趣向のよう。
(現代ではこれをやるのは忠臣蔵の大序の幕開けだけだそうな。
実際江戸の頃は、人が開幕前に幕前で読み上げていたという。)
太鼓と拍子木が鳴り、トザイ、トォ〜〜ザイ〜、
トザイ、トォ〜〜ザイ〜、と繰り返しなん度も東西声を出す。
古風な幕の開け方、なのであろう。なかなか雰囲気を盛り上げて
くれる。(が、なかなか幕が開かない。)
なん度も東西声を聞いた後、普通は一気に幕は開けるものだが、
静々と徐々、徐々に幕が開いていく。
(引っ張るね〜〜〜。)
『大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場』の幕が開いた。
さて。
今回は、最初にすべてを観終わった直後の感想のようなものを
書いてしまおう。
事前にDVDもあるので観てストーリーは知っていたはずであったが、
いざ、生で観て、どうしても、釈然としないところがあって、
結局最後まで解決が付かなかった。
それはなにかというと「勘平ってもしかして、ばか?」、
で、あった。
「忠臣蔵」はいわゆる討ち入りの話と絡むように、
「おかると勘平」の話がサブストーリーとして並行して進む。
大星由良助が一方の主人公であれば、もう一方の主人公は
「おかる勘平」といってもよろしかろう。
「忠臣蔵」でもう一つの柱となるお話しである。
勘平も浪士なのだが、彼は討ち入りに至らず、途中六段目で自害してしまう。
「仮名手本忠臣蔵六段目」『早野勘平切腹ノ図』万延元年 江戸中村座
三代目豊国 早野勘平、初代中村福助
「忠臣蔵」では六段目は一つの山場でここは名場面のはず、なのだが、
これが釈然としなかったので、物語全体としても、モヤモヤっとした
感じが残ってしまった。
自害自体は別段よいのだが、その過程、舅の与市兵衛を自らが
殺してしまったと勘違いして、その結果、自害となるのだが、
この勘違いが、どうしても納得できなかったのである。
(普通こんな勘違いはしないだろう!、で、もしかして、勘平ってばか?
と、いうことになる。)
これ初めてご覧になった方は、その時同じように感じなかったであろうか。
300年も続けて演じられてきたのだから、そういうクレームは最近まで
なかったのであろうか。現代人だからか?。
いや、私だけ?。
あとてもう一度これは、考えてみたい。
さて。
「仮名手本忠臣蔵」、手本は、テホンではなくデホンと濁るのが正しいよう。
先月の「義経千本桜」と同様、人形浄瑠璃がもとで、初演は寛延元年(1748年)
で同じ年。大坂竹本座、作は同様に二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の三人の合作。
先月も書いたがこの二作に「菅原伝授手習鑑」を加えた三作が
人形浄瑠璃から移された代表三作で、同じ三人の作者で、初演年もほぼ同じ。
人形浄瑠璃(丸本)ものなので、必ず義太夫語りの太夫と
太棹(ふとざお)と呼ばれる太い義太夫用の三味線の演奏がついて、舞台上手、高いところに
彼ら専用の床(ゆか)と呼ばれるブースがある。(御簾内(みすうち)のこともある。)
ここから芝居の進行に合わせて、いや、この義太夫に合わせて舞台上のお話しが進行する。
配役を書き出しておく。
トピックスとして、9月「千本桜」で熱演していた仁左衛門が休演。
四段目の腹切りが、仁左衛門から、吉右衛門になっているのが
大きなところ。これですべて大星由良助は吉右衛門である。
また、菊五郎は四段目の塩谷判官と、五、六段目の勘平を演り、
一日に、二回腹を切る、ということになっている。
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歌舞伎座新開場柿葺落
吉例顔見世大歌舞伎
仮名手本忠臣蔵
平成25年11月1日(金)〜25日(月)
昼の部
大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
同 松の間刃傷の場
塩冶判官 菊五郎
高師直 左團次 ※
足利直義 七之助
鷺坂伴内 松之助
顔世御前 芝 雀
桃井若狭之助 梅 玉
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
同 表門城明渡しの場
塩冶判官 菊五郎
石堂右馬之丞 左團次
薬師寺次郎左衛門 歌 六
富森助右衛門 松 江
矢間重太郎 男女蔵
岡野新右衛門 亀三郎
織部安兵衛 亀 寿
木村岡右衛門 萬太郎
小汐田又之丞 種之助
大鷲文吾 米 吉
斧九太夫 橘三郎
奥田定右衛門 宗之助
大星力弥 梅 枝
顔世御前 芝 雀
原郷右衛門 東 蔵
大星由良之助 吉右衛門 ※
浄瑠璃 道行旅路の花聟
早野勘平 梅 玉
鷺坂伴内 團 蔵
腰元おかる 時 蔵
夜の部
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
早野勘平 菊五郎
女房おかる 時 蔵
母おかや 東 蔵
斧定九郎 松 緑
判人源六 團 蔵
千崎弥五郎 又五郎
一文字屋お才 魁 春
不破数右衛門 左團次
七段目 祇園一力茶屋の場
大星由良之助 吉右衛門
遊女おかる 福 助
富森助右衛門 松 江
大星力弥 鷹之資
鷺坂伴内 松之助
斧九太夫 橘三郎
竹森喜多八 歌 昇
赤垣源蔵 権十郎
寺岡平右衛門 梅 玉 ※
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
大星由良之助 吉右衛門
小林平八郎 錦之助
竹森喜多八 歌 昇
小汐田又之丞 種之助
大鷲文吾 米 吉
倉橋伝助 廣 松
磯貝十郎左衛門 隼 人
大星力弥 鷹之資
勝田新左衛門 桂 三
村松三太夫 由次郎
原郷右衛門 歌 六
※片岡仁左衛門11月12月休演に伴う配役変更
〜仁左衛門、右肩腱断裂のたま11月手術とのこと〜
四段目
大星由良之助 中村吉右衛門
七段目
寺岡平右衛門 中村梅玉