浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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初芝居 寿初春大歌舞伎 その1

dancyotei2014-01-06

1月3日(金)

さて。

正月三日、今日は初芝居。

歌舞伎座へを内儀(かみ)さんと行く。

ここなん年か正月は歌舞伎を観に行っている。


昨年は新橋演舞場で「忠臣蔵七段目」など。


一昨年は国立で「三人吉三」の通し。


さらにさかのぼって日記をみると09年に新橋演舞場
海老蔵獅童の「白波五人男」から観に行くようになっており、
今年で6年目である。

初芝居という言葉は、正月の芝居ということ。
落語だと初席というが、俳句の季語にもなっており、
風情がある言葉である。

また、歌舞伎は勉強のために意識的に観に行くようにも
ここ数年してきてはいる。
ただ、毎月欠かさず観に行っているわけでもなく、
いまだに歌舞伎トウシロウ、では、ある。

今更であるが、私のホームグラウンドの落語に比べて
おそろしいほど、奥が深いことを思い知らされている。
これだけ観ていても、わからないところだらけだし、
まだまだ観ていない著名作品も少なくない。

落語であれば、最悪、寄席にいかなくともテープなどで
過去の名人から始まって、現役の音まで触れることはできる。
車でも、電車の中でも、歩きながらでもいつでも聴ける。
歌舞伎の方は、映像コンテンツとして売っているものも
意外に少ない。また歌舞伎に比べて寄席は値段も安い。
歌舞伎のハードルの高さは落語に比べるとそうとうなものである。

これに関連して、こんなことがあった。

正月、WOWOWで落語番組を視ていたら番組に呼ばれた、
岡田斗司夫氏が「落語もオタク文化である」といっていた。
ちょっとこれ考えさせられたので、初芝居の前置きとして
書いてみたい。

氏のいうオタク文化というのは、作り手と観客の距離が
近く、共同で作っているというもの、という。
双方の距離が近いので説明がいらない環境で作り、観る
(見る、読む、聴く)。

部外者は、説明を作中ではしないので、背景がわからないと
さっぱりわからない。

なるほど、そういう言い方も正しいように思われる。
歌舞伎や落語に限らず、昔からすべてのものがそうかもしれぬ。

どのへんの昔からかというと、平安時代くらいからであろうか。

この頃は、京の都の貴族のみの世界で
古今集などの和歌、枕草子源氏物語等々の名作が生まれた。

閉じた世界で限られた作り手と限られた受け手の間で
生まれる文化。

現代のアニメなどのオタクコンテンツまで続く、
我が国の文化の大きな特徴であるというのは間違って
いないように私も思う。

その上に落語も歌舞伎も古典である。言葉からして既にわからない。

そうすると、歌舞伎を理解して愉しめるようになるのは、
今書いた、ハードルの高さを勘定に入れると
やはりそうとうにたいへんなことであるのは当然のこと
ということになる。

まあ思い出してみると、私が落語に入り込む時もそうであった。
初心の頃はやはり、落語でもわからないことが少なからずあった。
が、やはり、その頃は寄席はもとより、小さな落語会にも
小まめにいってみたし、むろんテープも買い集め、聴きまくり、
予習復習、自宅学習をそうとうしたものであった。

日本の伝統文化とはやはり本来そういうもので、
知りたい、と思えば、勉強をしなければどうしようもないもの
であると理解していた。
(伝統文化といっても、形になっているもの、絵画、彫刻、
工芸、着物などの染色、造園などはその限りではない。
これらのよしあし、あるいはよいと思うかどうかは、背景を
知らなくとも伝わってくる。
定義をすれば、言葉が関わっている芸術であるかどうか
なのかもしれない。)

その上に、初心の者へのわかりにくさには、実は以下のようなことも
関係しているように思う。

作品の構造として説明をしない、というものなのだが
これは落語にしてもそうなのだが、その上に、知らない人に、
作り手、演者などは、意識して説明をしようとしない、
という性癖も持っているのである。
(オタクの人もそうかもしれない。)

知らないのは、田舎もんだから。

これは平安の国風文化からそうだったであろう。

都の人は、知らないという土くさい田舎者に説明する気も
しなかったであろう。

こういう癖は大阪では今はなくなっているかもしれない。
TV界なども原則そうであろう。
しかし、京都にはむろん今でも強固にあるだろうし、
東京にもこの気風(癖)は残っていて、今の東京落語界でも多少
この匂いはあるだろうし、歌舞伎界ならなおさらのこと
なのであろう。

ドラマ「あまちゃん」で誰かがいっていたが
「わかる人だけ、わかればいい」と。
(←これがオタクである。)

歌舞伎にしても、分かりにくいから、分かりやすくしてほしい、と
初心の者として私は書いてきたが、本心ではそうしたくない、
勉強してこい、という、作り手側の気持ちもある、というのに
今更のことだが、気が付いた。

これも含めて文化といえるかもしれない。
説明したくないのが日本文化なのである。

だがまあ、歌舞伎はそれにしもハードルが高い。
作品全体を理解するために、やはり、できるだけ
“通し”を増やしてほしいというのは歌舞伎を
理解したいと思っている歌舞伎トウシロウからの
お願いではあるのだが。

と、いうことで毎度のことだが、前置きばかり
長くなってしまった。

観に行った夜の部、演目と配役を書き出して、明日につづく。

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夜の部

一、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
九段目 山科閑居

戸無瀬 藤十郎
大星由良之助 吉右衛門
お石 魁 春
小浪 扇 雀 ※
大星力弥 梅 玉
加古川本蔵 幸四郎

二、乗合船惠方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)

萬歳 梅 玉
通人 翫 雀
大工 橋之助
田舎侍 彌十郎
芸者 児太郎
白酒売 孝太郎 ※
女船頭 扇 雀
才造 又五郎

井上ひさしの小説を新作歌舞伎に!
三、東慶寺花だより(とうけいじはなだより)

信次郎 染五郎
法秀尼 東 蔵
柏屋主人源兵衛 彌十郎
おぎん 笑 也
堀切屋三郎衛門 松之助
美代 虎之介
おせん 孝太郎
惣右衛門 翫 雀
お陸 秀太郎