浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



隅田川花見 その1

dancyotei2012-04-09



4月7日(土)



土曜日。



東京は、やっと桜花(はな)が咲いた。



遅れた分、一気に満開。



こんな句がある。




銭湯で上野の花の噂かな 子規




子規は根岸(鶯谷)に住んでいたので、上野は至近。
(今回は、以下、すべて子規の桜の句。
かつ、おそらく、隅田川のものと思われるものを選んだ。)





第一食は、トマトソースのパスタが食べたくなり、
ペンネアラビアータ。





これは簡単。
にんにくスライスと鷹の爪を低温のオリーブオイルで炒め、
トマト水煮缶(カット)を入れて、20分ほど煮込んで出来上がり。



午後、内儀(かみ)さんと花見に
隅田川土手へ出かけることにする。


先に出ていた内儀さんと吾妻橋の袂で待ち合わせの予定で、少し遅れて
自転車できてみたら、案の定、吾妻橋の西詰、水上バスの乗り場前は、
ごった返すような、人出。
地下鉄の出口、などといっているが、わかるはずがない。


桜花とスカイツリーの二枚看板の勢揃い、で、ある。


桜花は咲いたが、今日は寒い。
ダッフルコートを着てきてしまった。


内儀さんの携帯にTELを入れ、やっと合流。


ここまでは自転車できたが、この人混みで、むろん、
押して歩く。


吾妻橋を渡るのは、人が多く、あきらめて、
浅草側の隅田公園、土手下を歩く。





手前に桜、墨田区役所のビルとスカイツリー



鉄橋や左に見ゆる花の雲








この句がどこの鉄橋かはわからぬが、
これは東武隅田川に掛かる、鉄橋。


こちら側の土手上には自転車は入れられぬ。
言問橋まできて、橋に上がる。





やっと開けた眺め。



隅田川吾妻橋から、桜橋の少し先までが、
浅草側も向島側も、両岸隈なく、桜。





正面にスカイツリー
レンズが歪んでいるのか、スカイツリーが傾いて見えるのか、
両方か。(スカイツリーは正三角形の鉄骨なので、見る方向によって
傾いて見えるのは、確かなことなのである。)





言問橋の歩道も人、人、車道も観光バスの列。



二三町押されてありく花見哉




昔も今も、変わらない花見風景か。
橋を渡り、東詰めの石段を自転車を抱えて、下へ降りる。
土手下の墨堤通りを渡って、さらに今度は石段を上がって、
土手の上に出る。


この土手の上も眺めはいい。






(浅草側の先ほどの東武の鉄橋を望む。)







真黒に花見る人のさかりかな




人を見ん桜は酒の肴かな




このあたりも、ブルーシートを敷いた花見の宴が
続いている。




茶番去り茶番来る隅田の桜哉




茶番というのは、素人芝居のこと。
今はそういうことをする人はいないが、昔の花見は
衣装やかつらまで準備し、花見の余興に素人芝居をするのが
常、で、あった。落語にも花見の仇討、なんというのがあるが、
花見の余興芝居の噺、で、ある。


子規の時代は明治の初めだが、まだ、こんな花見の情景が
展開されていたのである。




牛嶋や桜に早き蜆汁




植半の鼓聞ゆる桜かな





先日書いたが、向島は田園風景の中に、料理屋が点在し、
今でも牛島神社はここにあるが、このそばに、平岩という
家があった。蜆汁は(植半が始めたというが)向島の名物に
なっており、平岩にもあったのだろう。


また、植半は、ずっと北の白髭橋のさらに先。
今は、白髭橋までは桜はない。




平岩も植半も子規の頃にはまだあったのであろう。




桜橋まできた。



土手の右側に向島芸者さん達の喫茶サービスの
出店が出ている。これは毎年のこと。
お姐さんは全員で6〜7人。
ひょっとすると、これで全部、かもしれない。






今日はここまで、つづきは明日。