3月24日(日)
東京では金曜日であったか、
桜が満開と発表された。
東京にお住まいの方は、多くの方が花見をされた
ことであろう。
私も今日、内儀(かみ)さんとともに、
浅草、向島の隅田川へ見に行ってきた。
昼すぎ、歩いて出る。
一先ず、目指すのは吾妻橋。
墨堤の桜は、吾妻橋より南には植えられていない。
元浅草の拙亭から吾妻橋までは徒歩で15分ほど。
田原町から、雷門。
曇りの天気で、ちょっと肌寒いし、雨の予報もあったからか、
今一つ人出は少ない。
聞こえてくるのは、中国語、ベトナム語?
九州弁?、、、雷門あたりは、国内外の観光客の
方が多いか。
吾妻橋まできた。
西詰の浅草側。水上バスの行列も、いつもほど多くはない。
名前は「勝安芳(やすよし)」とある。
これは勝先生の明治になってから名乗った名前。
勝先生は本所の生まれ育ち。
やはり、墨田区が生んだ英雄といってよかろう。
江戸無血開城が最大の功績。
剣術も強く、頭も切れ、学者でもあり政治家。
写真も残っているがいい男。
女性にもモテた。
そして、なにより、江戸っ子気性。
私なども憧れる。
向島側から。
このあたりまでくると、スカイツリーもだいぶ大きい。
枕橋を渡って、東武線をくぐり、
小梅の水戸様こと水戸藩下屋敷跡の隅田公園。
墨堤に上がる。見えてきたのは言問橋。
名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと
ご存知『伊勢物語』に由来する、言問。
都鳥は、ゆりかもめのこと。
おでんでカップの燗酒を一杯。
また歩き出し。
次に見えてくるのが、桜橋。
これは歩行者専用。
この橋の袂に例年であれば向島の芸者さんたちの
お茶屋が出るのだが、今年は間に合わず、来週?。
(桜花が保たなかろう。)
桜餅を買いに、堤を降りて高速をくぐる。
お寺(弘福寺)の屋根としだれ桜。
左はもくれんかな。
長命寺桜もち。
ここも常であれば、おそろしい行列だが、このくらいであれば、
並ぶ気になる。
道を渡って、言問団子。
再び、墨堤に戻る。
桜橋の袂にある常夜灯。
これは、対岸、山谷掘の入口とを結んでいた
渡し船、竹屋の渡しの目印であった。
今日、よく見てみたのだが、ちょっとした発見があった。
「本所総鎮守」とある。
明治初期か江戸末のものであろうか。
大正時代の震災、そしてさらに本所向島は火の海となり
多くの人々が亡くなった東京大空襲を経てきたのであろう、
真っ黒でボロボロ。
そして、その下の台座部分に寄進したところの
名前が入っている。
[大七]というのが読めるであろうか。
先日拙いフィクションを書いたが、あれに登場させた
向島の料亭の名前である。
この他にも[武蔵屋][植半』など向島の著名な家。
さらには浅草側の家だが、当時江戸一の料亭であった、
[山谷・八百善]の名も読めた。
長くなった。
明日も続けよう。