浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



`10年・鳥越祭 その2

dancyotei2010-06-09



6月6日(日)



さて。



鳥越祭、二日目。



昨日は、8時半すぎ、家に戻り、
呑み直し。


10時すぎには、寝てしまった。


お陰で、というべきか、起きたら4時。
せっかく、起きてしまったので、再来週の
『講座』の準備。
皆さんに渡す資料作り、で、ある。


場所が日本橋であるため、さすがに見るべき
ポイントも多い。それを調べながらの資料作り、で、ある。
このために、旧日本橋区の区史を入手してあり、
このあたりは、かっこうの資料である。
魚河岸、三井越後屋、金座、、金座は、江戸の貨幣制度、
なんという話を始めるとたいへんなことになるので、
さらっと、、などなど。


また、日本橋そのもの。
橋そのものもあるが、端の袂にあった、高札場、
あるいは、晒場(さらしば)、なんというもののことも。


そして、『池波正太郎と』という部分で、作品に出てくる
日本橋界隈。少し探してみたり。
小伝馬町の隣、鉄砲町に住む平蔵旧知の御用聞きなんというのが
鬼平に出てくる。あるいは、十軒店(今の日本橋室町、
中央通沿いマンダリンオリエンタルあたり)にある
宿屋に盗賊が潜んでいたり、、剣客商売では、
永井源太郎(この名前を聞いて、どんは話なのか、わかる方は
そうとうな池波作品マニア、で、あろう)が本町四丁目の薬種問屋
啓養堂で用心棒をしていたり、、、。


ともあれ。


鳥越祭、で、あった。


今日は、本社神輿の氏子町内の渡御。
我々の町内は12時10分から、という予定。


三社などでは、だいたいがこの予定の時間から
随分と遅くなることが多いようだが、鳥越祭の場合は
比較的、予定通りに進む。
(やはり、三社よりもおとなしい、のであろう。)


朝から、先のような調べものと資料作りをし、
内儀(かみ)さんも起きてきて、12時少し前、
半纏を着て、家を出る。


隣町との受け渡し場所にきてみると、まだ、
の、よう。


隣町の方へ歩いていくと、どよめきが聞こえ、
(どぶ店のお祖師様のあたりで)
すぐに、担がれている本社神輿にいきあたる。


担がれているのをひとしきり見て、
反対側の路地を先回りして、受け渡し場所へ。


きてみると、既に準備は整っている。




昨日も活躍していた、鳶の衆が待ち構えている。

黒いのは、馬、と、呼んでいる、神輿を置く台。

お神酒も用意されている。

我々の町内の担ぎ手は脇の路地に列をなして、

行儀よく、座って待っている。



右手側から、神輿がやってくる。

さすがに千貫神輿、ゆっさゆっさと、担がれてくる。



到着。

隣町は、手締めをして、後方へ下がっていく。

これは、混乱を避けるため、決まっている。

担いできた方は下がり、次の町内は前から入る、

のである。

睦(むつみ=町内の祭組織)の代表の方が

昨日もそうだが、台の上に乗り、担ぎ手を

事前の打ち合わせ通り、整然と順番に、

担ぎ棒へ取り付かせる。

神輿を担ぐ人にとっては、端(花)棒(はなぼう)といって、

一番前が目立つわけだし、皆ここを担ぎたい。

よって、我先に、ここに取り付き、まあ、たいへんな

騒ぎになる、のである。

このため、あらかじめ、グループ分けされた担ぎ手には

どこは、どのグループと整然と入るように、因果を含めておく。



当町内は、このところ私が見ている限りは、

目立った混乱は、ない。



手締めから、拍子木が打たれ、担ぎ始め。

あまりに最初に棒に着く者を減らしてしまったためか、

なんとなく、頼りない担ぎ始め。



路地を曲がって、当町の神酒所前。

「サセ、サセ、サセ、サセ」といって、担ぎ手皆で差し上げる。

(鳥越の場合、重いので、なかなか、たいへん。

ちょっと斜め。)



狭い路地をなん回か曲がり、春日通りへ出る。

当町は春日通りに接しているので、この春日通り上を

担ぐことが多い。

むろん、交通は遮断。

今日ばかりは、大手を振って、広い車道で

神輿が暴れられる、というもの。



都バスも、めぐりん(台東区の地域バス)もおとなしく、

待っている。




路地に入り、担ぎ終わり。



手締め



目立った混乱もなく終了。




よい天気。
私などは、なにもしないが、
汗をかいてしまった。



気持ちよい、`10年鳥越祭の本社神輿渡御、
で、あった。



ビールだ!。