浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その13 人情噺1.芝濱


少し人情噺(にんじょうばなし)のことを書いてみたい。


噺の分類の中で、簡単に触れたが、下げ(落ち)の付いた
滑稽な、いわゆる、落とし噺(おとしばなし)としての
落語とは、狭い意味では、一応、別のもの、として
扱われる、人情噺である。


下げがない、と、書いたが、これも、明確な定義ではない。
「子別れ」「芝濱」など、下げのあるものも、ある。
いや、むしろ、その方が、多いかも知れない。
そうすると、きちんと文章で定義しようとすると、難しくなってしまうが、
落語の中では、明確にジャンルとして確立している。


思いつくままに、挙げてみよう。
「子別れ」「芝濱(しばはま)」「文七元結(ぶんしちもっとい)」
「紺屋高尾(こうやたかお)」「ねずみ穴」「唐茄子屋政談」、、、。


今でも、よく演じられるのは、こんなところであろうか。
前にも書いたが、一人前の真打は、演じられなくてはならない、
と、いう噺でもあった。
また、逆に、落語家になった限りは、人情噺を演じて、
感動させたい、と、思うものであろうかと思う。


「子別れ」については、「志ん生」の項で書いた。
人気どころとして、「芝濱」「文七元結」「紺屋高尾」について
書いてみたい。

「芝濱」


人情噺といえば、芝濱(浜)。最も人気の高い噺であろう。
明治の大噺家、たくさんの作品を残した、三遊亭圓朝の作。
「芝浜革財布」(しばはまのかわざいふ)という題で、歌舞伎の
演目にもなっている。


今は、芝濱といえば、立川談志。談志家元といえば、芝濱。
存命の落語家のなかでは、談志以外にはなかろう。
(これは、なにも、筆者が家元ファンであるから、というだけではない。
今、落語を知っているひとであれば、
異論を差し挟む人は、まず、あるまい。)


以前であれば、三代目桂三木助、と、いわれていた。
三代目三木助師は、江戸前の小気味いい口調で、
ネタ数はさほど多くはないが、ファンは多かった。
(他に、竃(へっつい)幽霊、崇徳院など。)この三代目三木助師の
芝濱も、是非、聞いていただきたい。


ストーリー


芝の裏長屋に住む、※棒手振り(ぼてふり)の魚屋。
呑んだくれで働かないため、毎日毎日、内儀さんと喧嘩。
ある日、今日こそは、と、いうので、
内儀さんにたたき起こされて、どうしようもなく、
久しぶりに仕事に出掛けさせられる。
と、仕入れに出掛けた、芝の浜で、皮の財布に入った大金を拾う。
家に持って帰り、内儀さんと大喜びをし、友達も呼んでドンチャン騒ぎ。
大騒ぎをして、寝てしまう。
起きてみると、内儀さんは、そんな大金は知らない。
なんだかわからないけど、大金が入ったから、酒やら食い物を買って来い
っていうから、買ってきた。
「夢でも、見たのではないか?」と、いうことになってしまう。
金を拾った、と、いうのは、夢で、呑み食いをしたのは、本当。
この呑み食いをした借金をどうしよう・・・。


男は、了見(りょうけん)を入れ替えて、酒もやめ、
まじめに働き始める。


ちょうど三年後の大晦日の夜。
三年経ち、借金も返し、なんとか店も持ち、
若い者も置けるようになった。


夫婦は、話しをする。


借金を取りに行くところはあるが、返しに行くところはない、
って、いうのは、いいねぇ・・・。
お前さんが、こんな、真面目になってくれて、もう大丈夫。
本当に、有難いと、思っている。
私の話しを、怒らないで、聞いてくれるか?、と、内儀さんが、いう。


これに見覚えがないか、と、出した、皮の財布と金。


あれは、実は、本当だったんだよ。
三年前のあの時、大家さんに相談すると、拾ったものでも人様の金。
手を付けたら、後ろへ手が回る。届け出なくてはならない。
そこで、夢にしてしまった。


お前さんは人がいいから信じて、今まで、一所懸命働いてくれた。
三年経って、もう大丈夫と、思って、出した。
嘘をついていて、ごめんなさい。許してほしい。
許すどころの話しでは、ない。俺から礼をいわなきゃならない。
ありがとう。


じゃあ。三年ぶりに、一杯。
と、内儀さんは、用意していた酒を出す。


久しぶりの酒、猪口(ちょこ)を口元まで持っていく・・・。


「やめた。
 また、夢になるといけない」


と、まあ、こんな話しである。
これだけでも、今でも、そこそこ、感動させられる、
よい噺、であろう。


東京の落語界では、芝濱は、暮れの風物詩でもある。


さて、ここまでは、普通の解説である。


冒頭にも述べたが、公平に見ても、現在、芝濱を語るのに、
立川談志の芝濱を抜きにすることは、あり得なかろう。
ここから、立川談志師匠がどうかえたのか、ということになる。


談志の芝濱の説明の前に、ちょっと、お断りをしなくてはならない。
そもそも、筆者、落語に夢中になるきっかけが、立川談志であった。
落語自体はもちろん子供の頃から知ってはいた。
しかし、学生時代に落研にいたわけでもなく、一直線のフリークでもない。
今から15年ほど前、30歳を前にした、ある日、深夜のテレビで、談志師が
やっていた落語を聞き、突如として、ハマッテしまった、のである。


このため、談志家元のこととなると
公平な見方で書くことができない、というのが偽らざるところである。
そういう意味で、まったく聞いたことのない方への落語案内、と、いう
この文章の趣旨から、多少、離れてしまうことを、お許し願いたい。


さて、談志の芝濱である。
談志家元は、この噺、どうしても、納得がいかない。
内儀さんのやったことは、正論かもしれぬが、いかにも、小ざかしい。
打ち明けるところも、許してくれるのを予想している。
と、いうことなのである。


そこで、家元は、演出をかえ、小ざかしさをなくし、
かわいい、内儀さんにする。



大家さんにいわれて、お前さんが縛られるって、いうし、
なんだかわかんないけど、夢にしろ、夢にしろ、
って、いうから、夢にしちゃった。
私は、三年間、ずっと、申し訳なくて、
寒い日に出掛けていくお前さんのうしろ姿に、手を合わせていた。


長年連れ添った、内儀さんに嘘をつかれ、騙されていて、腹が立つだろ。
殴ってもいい、蹴ってもいい。でも、私は、お前さんと一緒にいたい。
お願いだから、捨てないで。



と、こんな感じに、かえたのである。


筆者、この演出の初演(と、いうのであろうか。)を
聞いたが、言葉もなかった。


たいした違いではないではないか、と、
思われる方も多いのではないかと、思う。


男が聞いて、あと味がよくなる、そういう演出、
ということかも知れない。


立川談志は、古典落語のすばらしさを、若い頃から文章にもしていた。
(「現代落語論 笑わないで下さい」(三一書房1965年)。
「あなたも落語家になれる―現代落語論其2」(三一書房1985年))
また、主張としては、ただ、すばらしいだけではいけない。
博物館にいかないように、現代にも充分に通ずるように、
かえていかなければいけない、ということを持論に、
様々な噺に取り組んできた。


名作、芝濱、を、現代、充分に深く人を感動させられる古典落語にする、
という意味で、この演出の変更は、大きな意味があるのである。


談志師匠の芝濱は、公平に見て、より現代的であり、
作品としての完成度は高い。



(ちょっと、筆が滑ったついでに・・・。


古典落語を、変えていいのか?ということを
疑問を持たれる方もおれれるのではないかと思われる。
変えないから、古典ではないのか?、であろう。


しかし、前にも書いたが、昭和30年代まで、庶民の生活の中に江戸があり、
そこに、そのまま落語は、生きていたのである。
その時代まであれば、演じる方も、聞く方も、落語はすぐそこにある話しで
変える必要などなく、なんの違和感もなく入っていける存在であったのである。
オリンピックを境として、東京は加速度的に変化をしていった。
そこで、落語家は、人形浄瑠璃のような、伝統芸能
伝承者になるのか、現代にも、生で生きる、アーティストになるのか、
これを考える必要がある、と、若き立川談志は語っていた。


筆者個人の話しをすると、そんな、昭和30年代も終わり頃、
東京に生まれた。
昭和2年東京生まれの父、同じく明治生まれの爺さん婆さんと、
同居する環境で育ったせいか、江戸のあった、東京の面影は、
まだ、比較的身近であったのかと思う。
また、少年時代には、かろうじて、TVラジオで落語はまだ
流れていた。


今、それから40年の月日が経ち、東京も日本も、
どんなことになったのであろうか。
また、筆者よりも、若い世代は、どうであろうか。


今、まず、落語は、言葉がまったくわからない。
世界観がわからない。
違和感の塊であり、異次元のものであろう。


今年、少し、落語というのもにスポットがあたった、という。
これを機会に、まったく聞いたことのない、10代20代の方にも
大袈裟にいえば、江戸を伝えなくてはならない。
そんな、使命感のようなものも、あるのである。


談志師の落語論については、ご興味があれば、
上記の著作を是非読んでいただきたい。)


※棒手振り(ぼてふり)の魚屋。時代劇などで見たことはあるのでは
ないかと思われる。天秤棒(てんびんぼう)と、いう棒を肩に、
前と後ろに、桶のようなもの(飯台)を下げて、魚を売り歩く、
店を持たない(持てない)魚屋。


(この文章、たまたま、筆者の夏休み中になってしまったが、
この真夏に、芝濱、と、いうのも、場違いな感じである。)