先週に引き続いて、「大江戸スローライフ 3.」。今日は、下町の定義を試みる。
■「下町のもつ焼き」スレ -「下町って、どこ?」-
下町とはなんであろう。
今日配信予定の、三田の立ち呑み「たけちゃん」から、
立ち呑みとはなにか、など、考えていた。
某有名掲示版には、「居酒屋」板に、「立ち飲み」スレがある。
読んでいると、なんとなくわかってきたのであるが、
今日は、この話しではない。
同じく、「居酒屋」板に「下町のもつ焼き屋」なるスレがある。
多くは、立石「宇ち多゛」の話が、語られているのであるが、
ここで、「下町、ってどこ?」と、いう質問があった。
先週、旧江戸府、というようなことを、書いたが、
旧江戸府は、行政区画であるため、定義ははっきりしていた。
これに、引き続き、下町とは、どこか。下町とは、なにか、を
少し考えてしまった。
先の「下町のもつ焼き屋スレ」では、
- 「それを言うと川向こうの江東墨田も下町ではないんだがな。 」
- 「下町(葛飾、墨田、江戸川、台東、荒川、足立) 」
- 「山手線の外側」
- 「坂の無い町で隅田川の西側、かな。中央区とか台東区とか。が、墨田区とか葛飾区も下町扱いされることが多いな。北区や足立区は下町では無い。ただの東京の田舎。荒川区はギリギリ。」
など、いわれている。
■本所・深川は旧江戸府である。
最初と、最後は、同じ人だろう。
どうしても、川向こう、を下町に入れたくないようである。
墨田、江東を下町に入れない、というのは、一般的にはヘンであろう。
一方、地理的に山手vs下町を見ると、これも、定義ははっきりする。
そこで、今、仮に、「旧江戸府内で、地形的に山手ではなく、町屋が、多くあったところ」
と、してみよう。
すると、浅草、下谷、神田、本所、深川。
問題は、京橋、日本橋、芝、を入れるかどうか。
(ここでは、旧区、の範囲にしてみた。)
ある時期、戦後、昭和30年頃、まで、を考えると、
中央区、港区の一部を入れて、この定義は、さほど、間違っては
いなかろうと思う。
筆者の考えでは、長屋があり、
江戸落語の舞台になっている、ところ、で、あろうか。
芝はご存知、「芝濱」など。日本橋・京橋は、商業地であるが、
「百川(日本橋浮世小路)」、などあり、裏長屋もあり、これもよいか。
誤解を恐れずに、書くが、いわゆる、江戸っ子と、いわれた人達が
主に、住んでいた区域でもある。
狭義の江戸っ子は、本所深川を入れないものもある。
「芝で生まれて、神田で育ち・・・」という端唄の文句もある。
(このあたりが、川向こう、隅田川の東側を下町に入れない、
と、いう考えに、つながっているのである。)
ともあれ、これを、旧下町と、しよう。
■戦後の下町は川向こうへ。-路地、植木、人情-
さて、戦争で焼けた下町は、復興したとはいえ、
主な住人であった、多くの職人達は、「川向こう」(外縁部)へと
移り住んでいった。
移り住んだ先は、墨田北部、葛飾、足立、、、。
このあたりから、定義は、怪しくなる。
一方、下町のソフト的な、構成要素として、
よく言われることはなんであろう。
路地、植木(鉢)、人情、、、など、ある。
筆者、葛飾四つ木に住んでいたが、ここは間違いなく、
前記の構成要素にある、人情、路地があり、下町であった。
夏は縁台で、さるまた一つで、夕涼みをする、町工場の親爺さんがいたし、
夜、帰り道、痴漢などがでて、女性が大声を上げると、
近所の小母さんや、小父さんが、ワラワラと、出てきて、
助けてくれる。
しかし、みんながみんな、もちろん、四つ木の住人も
先の旧下町から引越してきたわけではない。
地方出身の方も多い。
そういう意味では、住人が、いわゆる、江戸っ子、
という定義でも、もはや、ない。
■職人の町
下町は、伝統的には、職人の町で、居職も多く、
すなわち、昼間も町に人がいる。そこで、必然、
人々は結び付きが強くなり、人情が生まれる。
葛飾四つ木は、町工場の町として、今も有名である。
町工場は、今の居職。昼も、町に人がいるのである。
そして、旧下町から引越した伝統職人達を中心に、
旧下町の気風が、旋盤を回すその後の職人達に、
受け継がれているのである。
■「田舎でない」こと「町」であること。「遠慮と気遣い」
そして、筆者が思う、下町の定義は、ここに、
さらに、「田舎でないこと」、というのが入る。
さきの、掲示板の、「川向こうを、下町に入れたくない」、さん、が、
「東京の田舎」、と、書いていたが、これは、賛成する。
下町は、田舎、ではない、のである。
結びつきが強く、人情がある、だけでは、それこそ、
いわゆる、ムラ、社会、である。
違いは、町、であること。
町は、人と人の結び付きは強いが、ムラのように、流動性が
ほとんどないわけではない。
江戸の町々も、ある程度、外部から、常に人の出入りはあり、
また、江戸の中でも、人口は多い。
つまり、一年中、同じ顔とだけ、付き合っているわけではない。
ここに、生まれるのが、人情と同時に、
知らない人=他者への遠慮、気遣い、で、あろうかと思われる。
(もしかすると、これ、昔は、粋、という
言葉になっていたもの、かも知れない。)
ムラ社会には、よそ者への怖れ、はある。
しかし、これは、遠慮、気遣いとは別種のものである。
ここが、町と、田舎の違いである。
また、これは、そこに住む人々が持っている、
その町が持っている、空気感である。
■定義不能。「人情と、他者への遠慮、気遣い」のある、空気感である。
この定義、結論をつけるのであれば、
「下町(葛飾、墨田、江戸川、台東、荒川、足立) 」
に、筆者は一票、である。
しかし、本当は、もはや、下町は、実際の地域としては、
広く拡散し、定義不能と、いうのが正確なところであろう。
神田はもちろん、中央区や港区の一部(旧芝区)はもはや昔からの住人も少なく、
ただの、商業地、や、オフィス街であろう。
ひょっとすると、台東区でさえ、下町といえるかどうか。
また、芝などの外縁部として、今の大田区、蒲田や羽田は
町工場も多く、下町的色彩は強いかも知れない。
住人に「(東京らしい)人情と、他者への遠慮、気遣い」があるところ、
が、東京下町である。と、いうのが、筆者の定義である。
(「田舎」と、「町」のコンセプトは、なかなかわかりずらい。
北海道出身の妻などに話しをしても、理解はしても本当のところ
わからないようである。空気などといわれるともっとわからない。
先の「川向こう」氏が、足立は「田舎」、と断じたのも、筆者は本当は
わかる気がするのである。北千住はよいが、竹の塚は違う、とか、、。
また、錦糸町は、どうか?と、聞かれると、違う、とか、小岩は?、
立石は?などなど。やはり、空気なのである。)