東京、の食い物事情を中心に書いているこの日記。
番外であるが、
ちょっと、まとめて、東京について思うことを書きたい。
東京といっても、広い。
筆者の行動範囲は、新宿区牛込、市谷界隈から東側、上野、浅草を中心に、
神田、日本橋、銀座、あたりまでで、あろうか。
また、仕事の行動範囲も出張でもなければ、
この範囲を出ない。
■近くに住みたい
前にも書いたが、筆者、祖父、父までは、今の品川区大井の生まれ。
曽祖父までさかのぼると、江戸時代になろうが、
あのあたりの農家であったようである。
しかし、筆者の育ったのは、練馬区。
郊外電車に乗っていった先である。
都心へ通うのも練馬からでは時間的にも不自由を感じていた。
時間的にかかる、と、いうことは、体力的にもたいへんである。
できれば、学校や、職場まで、30分以内で通えるところに住みたかった。
もっといえば、無理をすれば歩ける、ところなら、もっとよい。
大地震などあったとき、金がなくてタクシーに乗れないとき、
なんでもよい。
それが、地に足のついた、人間の暮らしなのではないか、
と、いうような、考えである。
遠くてもよい、庭付き一戸建て、これが、人間として
地に足のついた人間の暮らし、という考えもある。
いや、むしろ、この方が、一般的であったかもしれない。
■江戸府内に住みたい
20代後半から落語、というものに再会し、また、その後
鬼平犯科帳をはじめ、池波正太郎氏の小説を読むようになり、
この思いは、
「江戸府内に住みたい」に変わっていったのである。
旧幕時代、江戸の範囲は時代によって拡大していったが
それぞれ、明確に決められていた。
例えば、東海道では高輪の大木戸(高輪二丁目)、
甲州街道は四ツ谷大木戸(四ツ谷四丁目)、が境。
バブルも終わり、地価が下がり、また再開発などで
都心に多くのマンションが売り出された。
そして、葛飾四つ木から、浅草に引越した。
冒頭に述べたように、仕事も、まず、この
江戸府内を出ない生活である。
■便利である
江戸府内に住んでよい点は、職場に近い、という以外にも
色々ある。
生活にもさまざま、便利である。
ことに、台東区は23区で最も狭い区であるため、
区役所、郵便本局、警察、税務署、などなど行政機関が
かなりの近間にある。
また、浅草上野界隈の特徴かも知れぬが、病院がとても
充実している。
また、買い物はいうまでもない。
デパートが近いのはあたりまえだが、
近所の食品スーパーも今は24時間営業。
■道のこと
そして、筆者が思う、旧江戸府内の、ほんとうの良さ、
道が、きれい、ということである。
平らな下町と坂の多い山手で、違いがあるが
基本的には、今の道は江戸幕府が都市計画した道である。
そして、江戸府を外れたところは、街道以外は、基本的には
農道、であった。
その後、明治以降、明治新政府、東京府・都などが
東京の都市計画をどれだけ、考えてこなかったか、
あるいは、考える間もなかった、ということかも知れないが、、。
どこでもよいが、以前住んだ世田谷区などはひどい。
甲州街道、環七、等々大きな街道以外は、ほとんどが、元農道。
狭く、曲がりくねり
一度入ったら、どこへ行くかわからない、一方通行の嵐である。
どちらが住みやすいか、である。
上野浅草界隈は、江戸の都市計画から、さらに
関東大震災以降、防災上、狭い路地は広げられ、
よりよくなっているのである。
東京・大江戸スローライフ、と、いうのか
できれば、地下鉄には乗らず、歩きか、駕籠(かご)で、
生活がしたい、と、までいうと、かなりヘンであるが
そんなことも、考えてしまう。