浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



五反田・立ち喰い寿司・都々井

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11月22日(木)夜

連休前。
木曜だが、気分的には金曜。

昨日配信の「鱸の昆布〆」を書ていた、ということも
あるのだが、帰り道、ちょいと鮨がつまみたくなり
立ち喰い寿司[都々井]に寄ることにした。

ここは長らく五反田駅東口前にあったのだが、
駅の再開発にあって、しばらく休業、今年に入って、
目黒川沿いのビルに入って再開していた。

今時珍しいともいえるチェーンではない
立ち喰い鮨。
カウンターに手を洗うための水道の蛇口が、前の店には
あった。
そうそう。浅草橋駅ガード下の[美家古鮨]の立ち喰いにも
蛇口があった。(こちらは閉めてしまったよう。)

握り寿司発祥、江戸の屋台、立ち喰いのDNAを受け継ぐもの
といってもよいのではなかろうか。
鮨は手でつまむ。昔はおしぼりではなく、手を水道で
洗っていた。

にぎりの鮨というものは今でいうファストフードとして
発達してきた。もちろん発祥当時から高級な鮨店というのは
既に存在していたようだが、気軽につまめるのもずっと
にぎり鮨のスタイルであったのであろう。
この系譜は回転寿司に受け継がれているといってよい。

回転寿司というのは、この前も富山で入ったが、地方へ行けば
地の魚を使ってうまいものを握ってくれる。だが東京では、
私自身はまず入る気にはならない。

毎度書いているが立ち喰そば、路麺もまったく同じ。
チェーンと個人営業の違いなのであろうか。
満足感が違う。
これは回っていなくとも同じである。

さて[都々井]。

駅前にあった頃の店は、駅前というのか、駅構内というのか
三角形の妙なスペースにあったので、店内も妙な三角形の
カウンターであったが、今は四角い普通の店舗でちょっと広い。
カウンターと立ち席だがテーブルのようなものもある。

7時前、暖簾を分けて入る。

カウンターの真ん中があいていたので、そこに。

お酒をお燗でもらう。

以前から変わっていないと思うが、握り手は三人。
私の前はご主人、親方であろうか。
ちょっと怖そうな四角い顔の親父さん。

まずは、光物といか。

鰯、秋刀魚、いか。

いかはするめのよう。

立ち喰いだと二つずつのところが多い思うが、
いわなくとも一つで握ってくれる。

鰯がばかうま。
秋刀魚よりも脂がある。
あたりである。

続いて、小肌、鯵、いなだ。

いなだは鰤と書いてあったような記憶もあるが、
やはりこれはいなだであろう。
まだ脂はないがたくさん獲れているのであろう。

小肌は自家製か〆たものを買ってくるのか、
おそらく後者であろう。
鯵は脂はあまりない。鰯がよければ、鯵はもう一つ。
おおかたそんなものかもしれない。

かんぱち、しまあじ、鯛昆布〆。

先ほどの鰤(いなだ)とかんぱち、しまあじ
見た目にはほぼ見分けがつかなかろう。
まあ、食べても分かりにくい、か。

そろそろ、終盤。

下足と青柳。
青柳は生。下足は先ほどのするめいかであろう。

最後に、鉄火巻

以上。

ご馳走様でした。
勘定は3,000円ほど。

回転寿司でもこのくらいかもしれぬ。
ただ、回転寿司は一皿二つであるが。

最近は回っていない立ち喰いのチェーンもよく見る。
入ったこともあるが、やはりなにかが違う。

チェーンと個人営業の違い。
では、なにが違うのであろうか。

チェーンの方が大量に仕入れるので
場合によってはよいものがあることはあろう。
個人営業でも出来合いの種を握っているだけ
ということもあるやに思われる。

それでも私は個人営業の方がよいと感じる。

満足度が違う。この原因は技術と人なのではなかろうか。

回っておらず、対面の立ち喰いでもチェーンは
やはり顔が見えないように思うのである。

かたや本部で決めたものを決められたように、
握っているだけ。よけいなことは、おそらくしては
いけなかろう。なげやりとまでいうのは言い過ぎだとは
思うのだが、、、。
チェーンの鮨職人の技術が劣っているのというのでは
なく、モチベーションの違いというのか。

気軽に入れて、ささっと、つまめる立ち喰い鮨は
なくなってほしくない。ただチェーンはいやだ。
個人はチェーンと比べたら経営はたいへんであろうことは
想像できる。ここもずっと続けてほしいし、若い鮨職人にも
個人で立ち喰いを開業してほしい。
ここには若いサラリーマンや、女性も多い。
明らかにチェーンとは違う。
支持は得られると思うのだが。

 


03-6417-3564
品川区西五反田1-9-3 リバーライトビル半地下

 

 

 

 

鱸(すずき)昆布〆

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11月22日(木)朝

さて。

いきなりだが、初めて昆布〆をしてみた。

昨日、内儀(かみ)さんが買ってきた鱸(すずき)の刺身、
私は、大阪出張で新幹線の車内でビールやらつまみやら
仕込んでしまい、食べなかったのである。

そこそこ量があったので、もったいないので、
昆布ではさんでおいたら、と、内儀さんにいっておいた。

昆布は少し前に買った利尻のもの。
そこそこよいものであったと思う。

朝、冷蔵庫にあったので開けてみた。

通常は鯛や平目などの白身の切り身をそのまま
はさむのだと思うのだが、刺身に切られたものを
一枚ずつ、はさんである。

開けてみる。

昆布からちょっと粘りが出ていたりして、よい感じ。
見た目には色も少し黄みがかっているようにも見える。

基本昆布〆というのは、刺身から水分を抜き、
昆布の旨みを魚に移す、といわれる。

どうであろうか。
冷ご飯があったので、温めて、朝飯に食べてみることにした。

(いくらはたまたまあったので。)

わさびはなしで、しょうゆをちょいとつけて食べてみる。

ん!。

これはこれは。

かなりうまい。

昆布〆というのは、江戸前鮨やで、にぎりとして
食べているのと、北陸で、カジキ、ブリなどを食べたことが
ある程度ではある。
北陸は別にしても、江戸前鮨の白身の昆布〆は確かに
生とはまた違ったうまさがあることはある程度
意識はしていたが、格別大好物というレベルでは
なかった。

水分が抜けて、うまみが増しているのは想定内としてだが
もう一つ、大きなポイントに気が付いた。

他の白身とは違って、鱸というのは、内湾の魚で
ものにもよるが、それなりに独特のくさみがあるものが多い。

これが、で、ある。
昆布〆をしたものは、ほぼなくなっている。

それでかなりうまくなっていると思われる。

なるほど。
こういうことであったか。
まったく別物である。

これを肴に酒を呑んでも、もちろんよかったので
あろうが、白い飯に合うこと、夥(おびただ)しい。

こんなことであれば、もっと前からやってみるのであった。
昆布ではさむだけ。
まったく簡単である。

今回は利尻のよいものを使ったが、安いものだと
どんな風になるのか。

昆布〆というと、江戸前の技。
あるいは富山など北陸では、白身以外にも多用されている。
そのぐらいの認識ではあったが、昆布締めをちょっと調べてみた。

すると、ウィキには元は富山の郷土料理などと書いてある。
本当であろうか。

富山発祥だとすると江戸前鮨の技というのは、伝播してきたのか。
一説では、江戸前仕事でもそう古くない、などともいうので
あるいはそうかもしれぬ。
ではそれはいつ頃からのことなのか。
知りたくなる。
よし。それは宿題として、昆布〆、もっと多様しても
よさそうである。

またまた、調べてみると、我が国の昆布の消費量というのは
ご多聞に漏れず、年々減っているようである。(ついでだが
鰹節削り節なども減っているよう。海苔は微減で踏みとどまっているのに
である。これはコンビニおにぎりがささえているのか。)

出汁用の高価なものでなくとも機能を果たすのであれば、
一般の家庭でもどんどんやるべきではなかろうか。
はさむだけであるし。

ちょっと目から鱗

余りものでなくとも、最初っからやってみてもよいかもしれぬ。
白身の昆布〆。

断腸亭、大推薦である。

私も、もちろん、またやってみよう。

 

 

 

蛤の湯豆腐

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11月19日(月)夜

月曜日。

帰り道。

だいぶ寒くなった。
鍋がよろしかろう。

ウイークデーの鍋といえば、池波レシピが好適である。
池波先生の鍋は基本シンプル。

具材一品に野菜も基本一品。

これは、その素材に集中できる、つまり味がよくわかる、
という先生のポリシーであった。またその上に
東京下町の鍋というのは、こんなものが多かった
のではないかと思っている。

ここには書き忘れたが少し前に鶏皮と大根の鍋
http://www.dancyotei.com/2014/dec/toridaikon.html

をやったが、これも大根と鶏皮、せいぜい油揚げでも
入れればよいので、簡単。そして、うまい。

しょうゆだけかけて食べるが、大根の味が
実によくわかる。

そうだ、今日は「蛤の湯豆腐」にしよう。

蛤が高価である、というのが難点ではあるが、
簡単でうまいのは、共通すること。

吉池に寄って、蛤2パック。
そこそこ大きなもの。
(細かい値段は忘れた。二つで1,000円は超えていたか。)

地下で豆腐二丁購入。

帰宅。

さて、池波レシピである「蛤の湯豆腐」。

登場する作品はエッセイ集「食卓の情景」。

新潮文庫

初版は1980年(昭和55年)。
先生はこの10年後、90年に67歳で亡くなっているので
57歳の頃のものである。
(自分も55になったが、改めて年をとったものと
思い知らされる。)

この中の「勢州桑名」という一篇。

ここでは桑名の[船津屋]という老舗旅館のことを
昭和20年台に名古屋の御園座新国劇の演出をした
追想を交えて書かれている。

桑名というのはむろんのこと、東海道
宿駅の一つであり、桑名十万石の城下町。
尾張の宮(熱田)から海上八里、
伊勢湾に面した主要な港であった。
時代小説の舞台としては格好のところであり、
この頃はまだ、そんな趣が残っていた
ようである。

桑名といえば、蛤。
「その手は桑名の焼き蛤」なんという地口
(ジクチ・洒落言葉)を知らない人も増えたかもしれぬが。

この[船津屋]へ泊ると夜に焼き蛤ももちろん出るが、
朝飯に蛤の湯豆腐が出たらしい。
朝飯だが、これが出ると酒を呑まずにはいられない
とも。

調べると[船津屋]というのは今もあって、
建物などは以前の面影は残っているようだが、
旅館業はもうやっておらず、結婚式場と
料亭という業態になっているようである。

さて、蛤の湯豆腐。

本当は火鉢で、燗酒なのだが、
そこまではまだ寒くはない。

ステンレスの小鍋でカセットコンロ。

水に蛤を入れ沸かす。

一度、ふたをする。

貝が開いたら、豆腐を入れる。

温まれば、OK。

まったくこれだけ。

味付けは、取り皿に塩だけをかけて豆腐と
蛤の身を食べ、つゆを飲む。

余計な調味料は一切入れない。
まったくシンプル。
これでなくては、いけない。

蛤の潮汁に豆腐が入っていると
考えればよろしい。

これで酒を呑むわけである。

蛤の潮汁、すまし汁がうまい、というのを知らない
人はおるまい。
これと酒が合って、うまいこと夥(おびただ)しい
のである。

汁で酒を呑むというのは、私も最初は妙に思ったが
これは実に、あり、なのである。

まあ、具材がまるっきりないのは寂しいが、
なにかちょいとあればよい。

かなり豪勢であるが、松茸の土瓶蒸し。
もういうことはない。

あるいは、毎度書いているがそばやの
いわゆる、ヌキ。
天のヌキ、鴨のヌキ、玉子のヌキなんというのもあった。
天は天ぷら、鴨は鴨肉、玉子は生卵。
それぞれ、天ぷらそば、鴨南蛮、月見そばの
そば抜きである。
つまり、つゆに具だけが入っているもの。
これらがとてもよい酒の肴になるわけである。

蛤が高いので、そうそうできないが、
蛤の湯豆腐で、朝、風情のある旅館で、
一杯呑みながら、なんというのは、
この上ない贅沢であろう。

 

 

スタンドカレー探検隊? カレーハウス・CoCo壱番屋

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11月17日(日)第二食

さて、いよいよ、ココイチ、で、ある。

先般からのスタンドカレーめぐり。
今のカレースタンドとはなにか、どんなものなのか、
という私自身の疑問。

もともとは[日乃屋]から始まっていた。
意外にうまい、ということ。

そして、先日の[カレーは飲み物。]


そして、いよいよ、と、いうべきか、
大御所、最大手、愛知県発祥のココイチ、こと[CoCo壱番屋]。

やっぱりここに行ったことがなくて、
カレースタンドを語る資格は当然なかろう。

先日も書いたが、20年ほど前名古屋単身赴任時代に
一度入って、それ以来入っていない。

全国で1400店以上。東京都だけでも180店程度。
押しも押されぬ、ダントツのNo.1である。

ちょっと沿革をみてみようか。

1978年(昭和53年)名古屋市郊外西枇杷島町に一号店
オープン。

意外にと、私は思うが、古いのである。
既に40年もの歴史がある。

その9年後、1987年(昭和62年)東日本本部・配送センター開設、とのこと。
京進出ということであろう。
9年が早いのか遅いのか。
昭和62年に東京に店があったのは私も知らなかった。
数は少なかったのであろうが。
翌年の1988年(昭和63年)100店舗達成。
10年で100店舗である。
当時独立系、単独資本なのか、着実な足の運びというべきか。

1992年(平成4年)東北営業所・配送センター開設。
東北進出と、200店舗達成。わずか4年で2倍である。
当時はバブル期といってよいのか。(バブルは1991年(平成3年)までか。)

1996年(平成8年)400店舗達成。さらに4年で2倍。
バブル後にも関わらず、なのか、バブルは関係なかったということか。

ちょっと飛ばして2001年(平成13年)700店舗達成。

2004年(平成16年)東証2部、名証2部上場。同年1,000店舗達成。
翌年すぐに東証1部上場。

2014年(平成26年)1,400店舗達成
翌2015年(平成27年ハウス食品グループ本社株式会社による
公開買付けにより同社の子会社となる、と。

と、まあ、こんなところであろうか。
この間に、海外にも展開している。

社是が「ニコニコ・キビキビ・ハキハキ」。

創業者は宗次徳二氏と奥さんの直美氏。
奥さんの作られたカレーを出すために喫茶店を始めたの
最初のようである。

この宗次徳二氏というのがやはり傑出していた人であったのであろう。

カレースタンドという業態を他にない大チェーンに
仕上げたという。
今は宗次氏は経営からは引かれているが、前記の社是の
「ニコニコ・キビキビ・ハキハキ」はその頃からのものの
ようである。

おそらく、ココイチの成功モデルは、こんな1回分では
とても追いつかない。稿を改めて書いてみたい気もする。
小説にしてもおもしろいかもしれない。
大会社にした創業社長というのは、どなたも大同小異であろうが、
人がやらないこと、やれないこと、やっているのだと
思われる。

さて、訪れたのは、秋葉原のJR秋葉原駅昭和通り口店。

どこもそうだが、ココイチは店は小さい。
入ると、右側にレジ。
先に頼むのかと思うと、左にあらず。
席に座り、オーダーを取りにくるのである。

基本、この手の業態は、券売機式であろう。
[日乃屋]も[飲み物。]も然り。
なにか哲学がありそうである。

メニューの数の多さに圧倒される。
ノーマルにも、例の具材を選んでのせられるオプションも多い。
辛さも選べる。ただし、足せば高くなる。

ロースカツカレー。ご飯も辛さもノーマル、774円。
ノーマルなポークカレーが484円に対して、割高な印象はやはり
ぬぐえない。

 

登場。


 

まったく、普通のポークカレー。

もちろん、そこを狙っているのであろう。
欧風でこってりでもなく、ハウスのバーモントカレーなのか
わからぬが、まったくフツーのカレー。

カツはまったく脂っこくはない。
私の好みとすれば、やっぱりラードで揚げてほしい、
などと思うが、これももちろん脂ギッシュにしないのを
狙っているのであろう。

従って、まったくまずくはない。
おいしく食べられる。

辛さが足らないので、置かれている辛味のパウダーを足す。

これで食べ終わる。
レジで勘定。

食べていて、関心をしたのが、店長さんなのか、
男性の若い店員さんの対応。
日本語ががまったくわからず、頼み方に困っていた
外人の女性に、ほぼネイティブな英語で説明をし
オーダーを取っていた。
秋葉原だからなのか、わからぬが、これだけの英語力があれば
ここにいなくともよさそうにも思えたのだが、、、。
あの方、なんであったのか。

ともあれ。
スタンドカレー考察というよりもココイチ自体を
もっと深く調査、考察せねばいけない、ということに
気が付いた次第であった。

 


https://www.ichibanya.co.jp/

 

 

 

 

浅草寿・とんかつ・すぎ田

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11月17日(土)夜

土曜日。

今日は内儀(かみ)さんの希望で、浅草寿町のとんかつや
[すぎ田] へ行くことにした。

ミシュラン、ピブグルマン。
創業は1977年(昭和52年)。
今は、二代目。

ここに行き始めてどのくらいになるのであろうか。

先代が元気であった頃。
私が浅草へ引っ越してくる前であろう。
20年近くなるかもしれない。

ウイークデー、会社があると御徒町にある二軒の
老舗[ぽん多本家][井泉本店]のどちらかがに寄るので、
ここまでくることはまずない。

従って、土日、内儀さんの希望でくることになる。

5時からなので少し前にTELを内儀さんが入れてみると、
土日は予約をとらないことにした、とのこと。
なぜであろうか。

まあ、いずれにしても、5時に入れば問題はなかろう。

元浅草の拙亭からは歩いても10分はかからない。

真っすぐ東へ向かい、新堀通りを渡り、国際通りも渡り、右。

春日通りとの交差点の手前、左側。

ここは夜は先代の頃からかなり明るいライトで店前を
照らしていたが、それがちょうど今、点いた。

一番乗り。

大女将、先代の奥さん、小柄な二代目の主人が迎える。

カウンター、揚げ鍋の前に座る。

バイトらしい女の子に、瓶ビールを頼む。

今の女将さんは不在のよう。

数年前にここは先代が亡くなって代替わりをした。

ガタイも大きく、声もでかい頑固親父で、この店の
文字通り、大親分、大黒柱であった。
息子さんである今のご主人は書いたように小柄で、
ちょっと違うタイプに見えていたので、どんな風に
代替わりをするのか、ちょっと心配なところもあったのだが、
もう、今は立派なものであろう。

内儀さんはロースソテー、私はロースのとんかつ。
それから、エビフライも。
判で押したように、いつも同じ。

ビールがきた。

お通しは先代の頃と変わらないが、心なしか
うまくなっているのではないか。

小学生の息子さんが帰ってきた。
ご主人が、作業をしながら、おかえりー、と声をかける。

かーちゃんは?
いないよ。
どこ行ったの?。
知らねー、お前がいうこと聞かないから、出て行っちゃったよ。

いつも、こんな感じ。
下町の家族。
微笑ましい。

先代が存命の頃は、こんなことはなかったかもしれぬ。
お子さんは二人で、娘さんもいる。
こんな感じなのだが、店の中をちょろちょろと、走り回って
うるさい、というようなことは、ない。
そこは客商売、きちんと教育されているようである。

フライパンからソテーのための火が上がる。
もうすぐか。

出来た。ソテーから。

次に、エビフライ。

ロース。

ロースから。

この写真を見ていただきたい。
美しいと思われまいか。

切り方、盛り付け方。
ほんのりピンクの切り口がこっちをチラッと
向いているのもにくいではないか。

油切れもよさそう。

今までは、ソースをかけていたが、塩でいってみようか。
かじりつく。

や!。
やはり、これは、うまいぞ。

もちろん、代替わりをしても、親父さんの技を
受け継いで、決して味が変わったという印象はなかった
のだが、これは、今まで以上ではなかろうか。

ワンナップ、どころではないかもしれぬ。
二段階以上、うまくなっている。

晩年の先代は確実に越えていると思うし、
それ以前の先代も越えているかもしれぬ。

なんというのか、とても勢いのある。
そんな感じである。

ロースソテーも濃厚で、抜群。

エビフライも心地よい揚げ上がり。
タルタルソースもうまい。

ロースのとんかつは最後まで塩で食べた。

二代目ご主人、まだ40代ではなかろうか。
勢いがある。
なんだか、まだまだ伸びしろがあるような、
そんな気がしてくる。

素晴らしい。
おいしかったです。
ご馳走様でした。

 

 

台東区寿 3-8-3
03-3844-5529

 

 

 

 

いなだ

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ちょっと戻るが、いなだ。

11月9日(金)夜~

金曜日。

例によって帰り道、御徒町の吉池に寄る。

目に付いたのは、いなだ。

いわずと知れた、小型の鰤(ぶり)。
いなだは、関東での呼び名。
(ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ。)
関西では、ハマチでよいのか。

イナダというのは、漢字はあまり見ない。
調べると、鰍というのもあるようだが、これはカジカと読ませる
ことの方が多いだろう。
落語にも「鰍沢」というのがあるが、カジカザワで山梨の地名。
秋に獲れるからか。
(由来はわからぬが、魚偏に水でいなだというのもあるよう。)

ともあれ、いなだはかな書きでいこう

吉池の売り場にはいなだが、二種類。

値段が倍ほど違う。高い方は北海道。
安い方は、銚子。

銚子は一匹しかなく、閉店間際の半額で300円ほど。

買ってみようか。

時間があれば自分でさばくが、頼んでしまおう。
三枚。

もう一つ。
やっぱり、半額。
明石のたこ。
たこというのは、国産の真蛸はかなり高い。
半額でも700円ほど。
だが、やはりうまい。
買おう。

帰宅。

いなだ。

半身。

今日は刺身であろう。

刺身包丁で皮を引く。

身側を上にして尻尾から刃を入れる。

ウワッ、、切れてしまった。
なかなか難しい。
実際のところ鯵、鯖、鰯以外は、ほとんどさばいたことがない。
経験値の不足である。

あきらめて、刺身に切りながら皮から外すことに
方針変更。

半身のさらに、半分ほど切って皿へ。

たこは切るだけ。

いなだは、きれいに盛り付けられなかったが、
味はまあまあであろうか。

いなだというのは、脂のない鰤?。
いや、いなだには、いなだのうまさがある。
状態はそこそこよいのかもしれぬ。

脂が少ないと白身のような感じでもあるが、
うまみは濃い。

蛸は流石に地物の真蛸。
水分は少なめでコリコリとした歯触りと、うまみ。

上々であろう。

残ったもの。
いなだはそのまま冷蔵庫。
蛸は甘酢に漬けて、酢蛸にしよう。

さて。
残った半身と1/2。

翌々日。

焼いてしまおう。
時間も経っているので、ただの塩焼きではイマイチであろう。

ポワレ、で、よいのか。
バターでフライパンで焼こう。
脂が少ないのでバター。

洗って半分に切る。
http://www.dancyotei.com/2018/nov/inada_pan.jpg

皮はそのまま。

フライパンを熱し、バター。
皮側から置く。

身側に塩胡椒と、タイム。
魚にはやはりタイムが必須。

皮はパリッと焼くのがうまい。
強火から中火、じっくり長めに。

焼け具合をみて、順番にひっくり返す。
脂が減ってきたので、バターを足す。

全部ひっくり返して、、
いいかな。

皿にのせ、ケッパー。

食べる。

フライパンで焼くとパサパサになりがちなのだが、
なかなかよく焼けた。
しっとり。
たっぷりバターがよかったか。

銚子産いなだ、成功であった。

 

 

おでん

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11月11日(日)夜

そろそろ、本当の季節到来であろう。

なにかというと、おでん。

もちろん、私のいうおでんは東京風のしょうゆで真っ黒のもの。

もはや東京でも風前の灯。
コンビニのおでんはもちろん、飲食店として
おでんを看板にしているところも、ほぼすべて、透明なつゆの
関西風。

東京風の真っ黒なつゆのおでんやの名前を挙げる方が
簡単である。
日本橋やら銀座、新橋になん軒かある[お多幸]。
そして、私の近所では池之端仲町の[多古久]あたり。
それこそ限定されてしまう。

さて。
東京のしょうゆで煮〆たおでんがいつ生まれたのか。
このことである。

毎度書いているがこの問題。
去年かなり詳しく考察している。


落語、歌舞伎など江戸から明治にかけてのおでんの
取り上げられ方などから考えている。

江戸の末期には味噌で、温めたこんにゃくなどを食べる味噌おでんが
流行していた。これは「煮込みのおでん」と呼ぶのが
正しそうである。
「煮込みのおでん」はそれ以前のいわゆる豆腐などに味噌を塗って
焼く焼いたおでん(いわゆる田楽)に対する言葉。

江戸末でもしょうゆで煮〆たものはまだなかった。
紀文のサイトには、明治20年創業の「呑喜」(東京・本郷)という店が
最初である、という説を紹介している。

結論はおそらくこの店でなくとも明治20年頃と推測してよさそうである。

意外に新しい。
前から書いている通り、これが関西に伝播し透明な関西風の
つゆになり、関東大震災後、京都・大阪の料理人が東京に
流入し、これとともに透明なつゆのおでんも東京に逆移入
された。つまりつゆで煮込んだおでんは生まれてから40年ほどの間に
行って戻ってきた。それも透明になって。なんと早いことか。

まあ、この震災後のタイミングが先日の[八百善]などの
江戸固有の料理屋料理が勢いをなくしたタイミングと同じ。
つまりおでんに限らず、ここが江戸固有の味の転換点である。

しょうゆで煮〆たおでんも事実上とっくに滅んだ
といってもよいのだろうが、

スーパーで種の買い出し。
色々入っているので、セットものを一つと別にがんもどき、
つみれ、すじ。すじは、棒状のものではなく、つみれのような
丸いもの。それから、やっぱり里芋は欠かせないであろう。

今、コンビニのおでんに里芋はあるのであろうか。
セブンイレブンで調べるとやはりないようである。
里芋はおでんが先の、味噌を塗っていた頃からの種である。
志ん生師匠の落語「替り目」にも出てくるが、東京では大きな
八つ頭を使うことが多かったと思う。しょうゆ味との
相性はすこぶるよい。

作る。

里芋だけは下ごしらえ。
皮をむいて、圧力鍋で下煮。
10分ほど圧をかけて放置調理。
同時に、玉子も茹でる。

30分、里芋に火が通ったら、煮込む鍋に移す。

 

入れるのは、水としょうゆ、のみ。

江戸・東京の下町人の味の好みは、しょうゆのみ。
あまいのを嫌う。いろいろな種から、あまみが出るのである。
酒も入れない。私の親父は特にうるさかった。

しょうゆが濃ければ、すぐに食べられる。

まあ、いかにも東京下町らしい即席感であろう。

真冬でもないので、ビール。

朱色の平たい皿。先シーズン合羽橋で調達した。
ご存知の方はご存知。この皿は[お多幸]のもの。
しょうゆのおでんといえば、やっぱりこれが気分である。

メラミンの“塗り”モドキ。合羽橋の塗りの器を扱っている
店のおばさんに教えられた。「おでんやさんは、お皿の上で
包丁を使うでしょ。だから塗りなんて使えないんですよ」。
だそうな。

一皿目は、

玉子、、なのだが、茹でた時に割れ目が入って、黄身と白身
分かれてしまったがそのまま煮込んだ。

下がすじで、その隣がつみれ。
里芋が一番味が染みるのに時間がかかるので次。

二皿目。

里芋、がんも、さつま揚げ、もう一回すじ。

里芋というよりも、この大きさなので、小芋?。

里芋もうまいが、がんもも、しょうゆの煮〆は、
うまいもんである。
がんもだけでも煮ることもある。
できれば、スカスカよりも、身が詰まったものよい。
上等なのか、わからぬが、その方が、うまい。
だが、スーパーなどではなかなかそういうものは、置いていない。
今度探してみようかしら。

たが、おでんはそうそうたくさんは食べられない。
おでんというのは、腹にたまるのである。
やっぱり、安くて腹にたまる。
庶民の食い物。

食べ終えたらすぐに片づけ。

しょうゆが濃い分、このまま置いておくと、翌日には
しょうゆが染みて、食べられなくなってしまう。
従って、食べ終わったらすべてつゆからあげて、
別々に容器に入れて冷蔵庫へ。

東京おでん?!。
最近は、静岡おでん、金沢おでん、ご当地おでんが知られるように
なっているが、元祖のはずが、東京おでんといわねばならぬか、、。
いや。それほどにも存在感がないか。

だが、これが、うまい。