浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



年の初めに その5

dancyotei2018-01-11



結局、5回に渡ってしまったが、
年初にあたり、天皇について考えている。


まあ仮説ではあるが、1500年100代あまりの天皇の歴史の中で、
天皇に実権があった(ことになっている)のは最初の300年ほど。
その後は最高の権威はあるが、実権のある者を是認する、
ある種の“象徴的”な存在であったといえるのかもしれぬ。
だからこそ生き残ったとも考えられる。


また民衆、国民の意識はどうかといえば、
天皇そのものではないが、平氏や源氏など皇族から出た一族や、
天皇を取り巻く貴族の“高貴”さに対し、尊敬の念、頼もしさや
親しみを抱き、これが自分たちも含めた“ほんわかとした”国統合の
文字通り“象徴”として機能していたといってよいのではないか
ということ。(江戸期と一先ずは限定するとして。)


だが、明治以降一変し国家経営のため、特に対外的膨張政策のための
手段として、国主導の天皇崇拝政策が行われ、甚大な痛手をこうむり
敗戦となった。
(もちろん、ここに天皇個人の責任はほぼないといってよろしかろう。
天皇家は本来お公家さんの親玉である。戦いなど好むわけがない。)


ざっくりまとめると、こんな感じであろうか。


今日は、戦後の即位時からの象徴天皇である明仁天皇から
まず少し見てみたい。


いわゆるご公務、一般にいう視察旅行、内外への訪問のこと。
国内においては災害のお見舞い、各種行事以外では
訪問先は離島などが目につく。
これ、ご自身の意志がある程度含まれているのではなかろうか。


また、海外では東南アジア、パラオなどのミクロネシア
いわば第二次大戦の激戦地、あるいは人々に戦争の爪痕が
残っているところ、を巡礼するようにまわられた。
これらもご自身のご意志があったのか、、。


天皇の名のもとに行われた戦争への償いの思い、か。


戦後70年が経ち、大多数の国民は既に忘れているところだが、
身体の動くうちに行かねばならないと思われていた、
ようにみえる。
また、だからこそある程度ご自身で考えていたところへの
ご訪問は終わったという思いで、ご退位を望まれた
ということなのかもしれぬ。


さて。


話が変わるようだが、こんなことがある。


池波先生のエッセイに「散歩のときなにか食べたくなって」


散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)


というのがある。


この中の滋賀県彦根について書かれた部分。


彦根も落ち着いた城下町で、あの大老井伊直弼の曽孫にあたる


現市長(当時)・井伊直愛(なおよし)氏は、


(むかしの大名というものは、およそ、こうしたものではなかったか……)


 とおもわれるほど、公正無私の……それが当然であるという自然さで


市政に当たられ、生活をいとなまれている。


 (中略)


 旧大名の大半は、清らかで、何事につけて領民と領国を先ず第一に


念頭に置いたのであろう。」



とある。



今は故人である井伊直愛氏は9期に渡って彦根市長を務めた。
実際にどんな市政をしたのか、つまびらかにわからないが9期も
務めたのは市民の支持が大きかったことをある程度裏付けている
のであろう。


明仁天皇と比べるのは不釣り合いなのかもしれぬが、
なさってきたことを考えると、いつも私は、池波先生の
井伊彦根市長について書いたこの部分を思い出す。


「公正無私の……それが当然であるという自然さで」
「旧大名の大半は、清らかで、何事につけて領民と領国を
先ず第一に念頭に置いたのであろう。」と。


むろん人によろうが。


ポイントは“公正無私”ということ。
政治家など清らかな公正無私とは対極にあるような者もある。


生まれながらの大名は、地位が保証されているので
公正無私になれる、という皮肉な言い方もできるかもしれぬが、
この二人をみていると本来殿様にしても、天皇にしても、
およそ君主というものは教育なのか、血なのか、民のため国のための
“公正無私”が染み渡っているように思えるのである。


個人的には、国連高等弁務官を務められた
緒方貞子氏にも同じようなものを感じる。
氏はご存知のように犬養毅の曾孫にあたる。


先に述べた明仁天皇の離島訪問も、あまねく国土全体に足を運ばねば
という民をおもう君主らしさを感じる。


こういう姿も我が国のある種の伝統、あるいは文化になっていた
のではないかと思えるのである。
(ただ、歴史的に正確にいうと冒頭の限定条件の「江戸期」というのが、
ここでもつくような気がする。いやもっというと江戸期に定着、
確立してきたということかもしれぬ。
戦国大名が公平無私で領国・領民を愛していたとはさすがに
考えにくい。)


ともあれ。
こういう殿様、天皇であれば領民、国民は親しみを持ち、尊敬し、
頼もしくも思い“ほんわかと”愛する、のではないか、と。


現代においても、我々にはこういう関係がしっくりくる。


なればこそ、1500年100代あまり続き、明治から敗戦までの
不幸な時期を乗り越えて、天皇は今、国民統合の象徴として
我々の誇りであると言い切れると私は思う。


さて。


皇太子殿下はどんな天皇になられるのであろうか。