浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



池の端藪蕎麦

2月24日(月)夜

今日は寒かったが、明日から暖かくなるとの予報。

やはり段々に日も長くなり、春の足音が聞こえてきているのか。

昔は春永(はるなが)という言葉があった。

旧暦を使っていた頃の言葉であろう。

落語にも出てくる。
商売をしている者は皆、暮れの内その年の掛けを取りにまわるが
払えない家もあり「向こうさんも都合があるんだろう、
まあ、春永にゆっくりもらいに行けばいいさ」
などと使ったりする。(芝濱)

正月のことを初春(ハツハル)、新春などと今でもいうが、
旧の一月は春、なのであろう。
むろん、旧の一月は今の二月である。

文字通り、春永を感じられる頃になってきた。

さて。そばでも食って帰ろう。

久しぶりに帰り道、上野御徒町で降りて[池の端藪]だ。

久しぶりでもないか、去年の11月であった。

実は、先週頭から原因不明の腹痛に悩まされ、
出張に出る前に近所の救急で診てもらった。
すると血液検査などではわからず、過去に胃潰瘍をやっているので、
胃ではないかというので、かかりつけの病院で胃カメラをやって
もらって下さいといわれ、今日、会社の診療所で診てもらったのであった。

診断は帯状疱疹

私くらいの歳の人は罹った経験がある方もあるかもしれぬ。
歳を取ってきて免疫力が落ちると出るものらしい。
水疱瘡のウイルスが原因とのこと。)
疱疹(ブツブツ)が出る前に一週間ほど腹だけが痛かった。
どうもウイルスが神経を刺激して痛くなるようなのだが、
痛いだけの時に病院へいってわからなかったというわけ。
この土日で疱疹が出て、今日は難なく診断が決まったので
あった。

抗ウイルス剤でよくなるようで、とにもかくにも
深刻な病(やまい)でなくてよかった。
ほっと一安心である。

ということで、池の端藪蕎麦。

なにを食べようか、やっぱり温かい蕎麦が食べたいなぁ〜、
と考えつつ天神下、池之端の飲食街を抜けて、池之端仲通り。
藪蕎麦の格子を開ける。

7時半すぎ。
お客さんは二組ほど。
いつものこの時刻であればもう少しあるのだが、
2月だからか。

お好きな席へどうぞ〜、と、若い衆。

では、私の好きな、座敷の窓のそばへ。

コートを脱いで壁を背にして座布団に座る。
どっこいしょ。

お酒、お酒。

お燗で。

普通でいいですか?
はい、普通でいいです。

これも妙な会話である。
むろん、お燗の温度を聞いているのだが、
ただお燗といえば、普通に決まっているが、
わざわざ聞くのはやはり、熱燗という人がかなりの割合なのであろう。

熱燗が別にわるいとはいわないが、
お酒の味をよりよく味わうには、熱燗でない方が
よいのは周知のことだと思う。
なんでもかんでも、お燗=熱燗、というのは
日本酒文化と市場に対してもあまりよくはないと
思うのである。
私なども今は燗酒を呑み慣れてそんなことはないが、
自分の若い頃を思い出しても、呑み慣れていない頃は、
特に安い酒の熱燗というのは、ムヮっとする匂いに
やられてしまって、日本酒嫌いを作ってしまうことになる。
無自覚に熱燗という言葉を使うのはやめようではないか。

つまみはここでは私は、柱わさびだったり、すいとろ
なのだが、今日は目先を変えて、板わさ。

お酒がきて、すぐにきた。



燗の具合は少しぬるめの上燗。

厚く切った板わさで一合をゆっくり呑んで、そば。

温かいそばであるが、なにがよかろう。

前回のように、シンプルにかけ、と、いうのもよいのだが、
やっぱり気分を変えて、今日は花まきにしようか。

花まきというのは、海苔をかけただけのもの、で、ある。

ふたをして出てきた。

なにも出前用のふたを間違えてかぶせてしまった、
と、いうのではない。
花まきだけ特別に、ふたをして出す。

そのわけは、海苔の香りを愉しむため、と、いう。

ふたを取る



そばが見えぬほどの、一面のもみ海苔。
なるほど、海苔の香りがよい。

もう一つ、他のそばと違うのは、薬味のねぎがつかないこと。

これもこの店のやり方で、薬味はわさびだけを使ってください、
と、いうこと。

わさびをなめながら海苔とともにそばを手繰る。

藪蕎麦の細くて色の濃いそばが、ほかほかに温かく、
濃いめのつゆと、海苔の香りと相まって、うまい。

海苔は食べていくうちに溶けてくるので、つゆごと全部飲み干す。

花まきというそばは、海苔をかけただけで、素朴といえば素朴、
シンプルだし、今ではあまり見られなくなってものであろう。

落語「時そば」で「なにができるんだい」との客の問いに
「へい、花まきにしっぽく」とこたえており、以前は
一般的なものであったと思われる。

昔は海苔そのものが浅草海苔というくらいで東京の名物で
かつ高価であり、贈答用に使われたし、田舎から出てきた人は
東京みやげとして買って帰ったという。

そんな以前がしのばれる、花まき、なのかもしれない。

ご馳走様でした。


池の端藪