浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)
断腸亭料理日記本店
 

池波正太郎と下町歩き8月 その5

引き続き『講座』の8月。
銀座の回。


銀座北部の江戸の地図。



現代







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さて。
いよいよ(やっと?)、おしまいに近づいてきた。
昨日は、数寄屋橋から、マリオン、イトシアと、
南町奉行所の遺物まで。


であるが、実は、イトシアのことは、まだ続く。


有楽町駅前のすし屋横丁、というのをご存知の方は
どのくらいおられようか。
(まあ、少なくとも、私は知らなかった。)



・すし屋横丁
現在、交通会館になっている有楽町駅の目の前も含め、ここは戦後、
バラック建ての闇市から始まり、長く、小さな呑みやなどが林立する
区画であった。現在、イトシアになっている区画は、直前までごみごみとした
ところだったのは、むろん私も憶えている。
中でも、ある一画などは、小さな寿司屋がびっしりと
軒を連ねているところで、それですし屋横丁と呼ばれていたという。
(交通会館ができてからも、その交通会館と有楽町駅の間、道路も
含めた狭いスペースになるが、ここにもびっしりと飲食店が
立ち並んでいた時期があった。私にはびっくり。)



・交通会館
交通会館は1965年(昭和40年)開館。
回転式展望レストランは当時話題になったという。
当時すし屋横丁のなん軒かは交通会館に入ったという。


なぁ〜んとなく、交通会館の地下は味のある店があると思ったら、
こういうことであったか、と、私も、膝を打った。
(そういえば、交通会館ではなく、すぐ近所の銀座INZだが、
あの、ジャポネも、もしかして?!)


(戦後65年、闇市の延長が、ここまで尾を引いたのは、
土地の権利関係が複雑であったから、という。
交通会館にはパスポートを取れる、都の施設があるが、
この土地は、東京都と三菱地所の持ちものであった
ということなのである。これに加え、詳しいことは、
私にはわからないが、闇市からそのまま商売をしてきた人々にも、
なんらかの権利は発生していたのであろう。
そういったものの調整が難しかったということなのか。)



・有楽町駅
有楽町駅は1910年(明治43年)開業、今年、100周年。
新橋(当時烏森駅)から上野まで高架鉄道として始めて建設された。
今も各所に残る赤レンガのアーチは当時からのもの。
フランク永井の「有楽町で逢いましょう」は昭和32年、有楽町そごう
(読売会館、現在はビックカメラ)のPRのための映画主題歌。



新橋から上野のJRは、開業が明治43年だが、
最初から、高架であったというのは、私も驚いた。
(むろん、知らなかった。)
江戸期から建て込んだ市街地で踏切のない高架、というのは、
とても合理的である。当時の海外の鉄道を見習ったのではあろうが。


また、赤レンガのアーチは、そう思って見てみると、
いたる所に見つかる。むろん大きなガードなどは、
鉄製のものに架け替えられているが、思いがけなく多い。
作られてから100年も経っているので見た目にはそうとう
レンガの形も不揃いだったりし、劣化も見られ、
見かけはぼろぼろではあるが、立派に残っている。
いや、ぼろぼろさ加減に、また、味がある。
安全性が少し、気になるが、東京都心のものでもあり、
さすがに、大丈夫、なのではあろう。


で、あるならば、どうであろうか、まるごと、
新橋から上野までの高架を、100年経ったのである、
歴史的建造物に指定し、積極的に保存したらどうだろうか。
高架下の呑み屋やら、飲食店やら、私のご近所、上野御徒町には
アメ横もある、こうした店々も含めて。


いろんなものが再開発されていく東京。
利便性やら合理性を追求するのもまた一つの東京ではあるとは思うが、
それだけでいいのか。
明治当時、高架を作った鉄道工事関係者の苦労も偲ばれるし、
また、高架下の様々な店舗は、間違いなく、
東京庶民史の一面でもあるはずである。
(戦後の闇市とも関係が深かろう。)


といったところで、灼熱の銀座、有楽町めぐり。やっと終了。
少し時間的には早いが、慶楽へ向かうことにする。


赤レンガのアーチを左に見て、高架際の路地を歩く。
晴海通りも渡って、ちょいといくと、慶楽。


お席は二階、ということで、
トン、トン、トン、と、あがっていく。


時間がずれているので、他にお客さんはいない。
二つのテーブルに皆さんで座る。


注文をしておいたのは、前菜盛り合わせ。
(これは、団体の場合は、入れておいてくれ、という
店からの依頼のもの。)


それから、池波先生が編集者を連れてくると、
必ず食べさせたという大きくて長い、春巻き。
それから、同じく、お好み、もやしと豚肉の焼きそば。
もう一つ、これは、私がここへくると、必ず頼む、
牛ばら肉かけご飯。最後は、ここの名物、スープ炒飯。


待ち切れず、私をはじめ、皆さん、炎天下の
酷暑を耐えてきたので、ビールを流し込む。






前菜盛り合わせ。
頼まされたことになっているが、どうしてどうして、
どれもうまい。





太さ5cmはある、大春巻き。
白状をすると、ここでこれを食べたのは、
私は初めて。大きいだけではなく、うまいので、
またびっくり。





池波先生といえば、もう焼きそばはなんとしても、
好物から外せない。揚子江菜館であろうが、
銀座のRであろうが、Aであろうが、どこでも、
焼きそば、で、ある。


だが、ここのは、もやしと豚肉、その通りの焼きそばなのだが、
形容しがたく、お世辞でもなんでもなく、べら棒に、うまい。





牛ばら肉かけご飯。
これはもう、私はここで、15年以上食べている。
ちょっと八角の香りのする、トロっとした
牛ばら(カルビ)肉が、うまい。





スープ炒飯。
一般には上湯炒飯などというが、ここでは、
それこそ創業当時からのメニューである。
さらさらと流し込めるが、それでもご飯は
しっかりと、炒飯らしく、うまい。


今日は、どれといって、普通にうまい、なんというものは、
まったくなし。どれも飛びっきり、うまい。
今まで、私は、なん度もこの店にきているが、
このメニュー選択は、どうも秀逸であった。
さすがの池波レシピ、と、慶楽。


これが池波先生の好きな、気取らない、
東京中華の王道、と、いうべきか。


少し、蛇足だが、これで、一人、2000円ちょい。
これも驚いた。(人数がものをいう中華だからか。
むろん、腹は、はち切れるほどであった。)


ご馳走様でした。




といったところで、池波正太郎と下町歩き、8月、
銀座北編、一巻の読み終わり。
ご愛読、感謝。



来月は、今期最終回。
お楽しみに。





広東料理 有楽町慶楽
千代田区有楽町1丁目2?8
03-3580-0290