浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



有楽町・広東料理・慶楽

dancyotei2006-11-19

■第二回断腸亭落語会開催迫る!


来週、26日(日)、に迫ってまいりました。
浅草合羽橋・太助寿司、14:00〜


ご予約いただいた方々には、お忘れなく。
お待ちいたしております。よろしくお願い申し上げます。


※ご欠席になられる場合、太助寿司の用意の都合もありますので
必ず、メールをいただけますようお願い申し上げます。

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11月15日(水)昼


忙しさで、一つ飛ばしてしまった。
「忙」という字は、心を亡くす、と書くが、その通りである。


ともあれ、有楽町、広東料理の慶楽、で、ある。
「チュ−ボーですよ」などにもたまに出たりする。


有楽町駅から、西側へ出てJRの線路沿いの道を、
帝国ホテル方向に歩くと右側にある。
このあたり、イメージとしては、日比谷なのだが、
住所は有楽町一丁目。


この右側のブロックには日比谷シャンテやら、東京宝塚劇場やらあり、
普通は、このあたりを日比谷、と呼んでいると思われる。


調べてみて驚いたのだが、日比谷、と、いう町名はない。
その向こう。通り(日比谷通り)をはさんで向こう側、は日比谷公園
日比谷公園の住所は、「日比谷公園」。そのまま、で、ある。


その角。晴海通りとの交差点名は日比谷。
その向こうはお濠だが、ここは日比谷濠。
つまり、少し西側が、日比谷、と、いうことなのかもしれない。


江戸の頃。



このあたり、外濠の内側、数寄屋橋そばには、南町奉行所、があり、
江戸城も近く、まわりには、徳川譜代大名の屋敷が立ち並んで
いたところである。


ちなみに、有楽町の町名の由来はご案内の方も多かろうが、
織田信長実弟にあたる、織田有楽斎(うらくさい)の屋敷が
このあたりにあったことによる。


武家地のため、有楽町の町名は明治になってから付いたもの。


もともとは、「“ユウ”ラクチョウ」ではなく、有楽斎の名から、
「“ウ”ラクチョウ」と呼ばれていた、という。


それが今のように、ユウラクチョウというようになったのは
フランク永井の、有名な「有楽町で逢いましょう」が全国的に大ヒットし、
この歌で大々的に、ユウラクチョウ、といっているため、
ユウラクチョウになってしまった、と、昔、聞いたことがあった。


(これ、「有楽斎」が有楽町の由来である、という話は本当であるが、
フランク永井」の方の真偽のほどは確かではない。


もっとも、東京の地名の読み方で、変わっていったものは、他にもある。
秋葉原は、今はアキハバラ、だが、以前は、アキバハラ。
あのあたりは、元々火除け地で大きな原っぱと、秋葉神社という神社があり、
秋葉様の原っぱで、アキバッパラ、だったらしい。
そんなこともある。)


さて、与太話は置いといて、慶楽。


今日は、一日、この界隈で、缶詰になっての仕事。
このあたりで昼飯といえば、筆者には、慶楽しかない。


98年

05年


もう15年以上はきているだろう。
それも、昼は、メニューまで決まっている。


2時前、ばたばたと、食べにくる。


牛肋飯。牛ばら肉あんかけご飯、で、ある。
これは、あまりにうまいので、何度も自作してもいる。


99年9月

99年11月



座ると、迷わず、頼む。


きたきた。これである。牛ばら肉あんかけご飯。





トロトロに煮込まれている。
味は、思いのほか、濃くはない。
八角が強過ぎぬほどに、利いている。


まさに、はふはふと、かっ込む、飯、である。


いやいや、うまいうまい。




有楽町、慶楽、上湯炒飯などが有名だが、筆者には、
牛ばら肉あんかけご飯、これがナンバーワン、で、ある。





慶楽
住所 東京都千代田区有楽町1−2−8 慶楽ビル
電話 03-3580-1948