浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その19 廓の噺、の、こと 3.「三枚起請」

さて、先週に引き続き、廓の噺をもう少し書いておきたい。


先週は、「五人廻し」、廓の噺ではないが、吉原のスケッチとして
「欠伸指南」と、これにまつわる吉原の若干の周辺情報(?)を、書いた。


どっちにしても、廓の噺、人間、と、いうものを見事に描いている。
落語の中で、これほど深く、人をとらえている噺も、少ない。


文化としての江戸の廓、または、見たこともないが、そうしたものへの
郷愁、のようなものだけでとらえるのではなく、見てほしいのは、人、
であろう。男と女は、昔も今も変わらない。
現代の演者も、そうした目で、演じるべきであろう。


例えば、「五人廻し」も然り、である。
また、前に書いた、「紺屋高尾」などもそうである。
「紺屋高尾」は、紺屋の職人の、純愛の噺、だけでもよいのであるが、
ちょっと踏み込んで、高尾の側から見てみると、
もう少し、違う側面も見えてくる。


なぜ、吉原にいる遊女3000人の頂点、
花魁の中では、最高位の、松の位の太夫職の、
高尾が、紺屋の職人の内儀さんにならねばならなかったのか。


廓とは、一面、美しく粋な世界である。
しかしまた、ある一面、金にまみれ、見栄と虚飾に満ち、
手練手管(てれんてくだ)、嘘で塗り固めた、
世界でもあったのかと、思う。


昔も今も変わらない。今でいえば、人気絶頂のアイドル、
とでもいえばわかりやすかろうか。
(事実、紺屋の職人は、当時のブロマイドにあたる、
花魁の錦絵を見て、惚れてしまう、のである。
花魁は単なる、今いう、AV女優やフードルといった、
風俗系のアイドルという存在だけではなく、
当時一級の本当のアイドルスターでもあったのである。)


そして、さらに、彼女達には、金で縛られ、身体を売る、
ということが、常に付いて廻っている。
そんな世界に暮らしていたのである。


いかに派手でちやほやされる立場であっても、
そんな世界に長くいたくないという人も、いても不思議はない。


ストーリーとして、紺屋の職人が行った翌年に、ちょうど、
年期(ねん)が明ける、というのは、できすぎ、である。


だが、高尾は、そんな世界から、脱したかった。
紺屋の職人は、そんな時に現れた、まったくけがれていない、
救世主であったのではなかろうか。
(これはこれで、ありがちな解釈でもあろうが、、。)


男の純愛に動かされた高尾、憧れのアイドルをゲットした、
ラッキーな紺屋の職人、という捕らえ方だけでなく、
高尾側からのアプローチをすれば、もう少し、作品としての、
深みも出ようかと思う。
(この件、もっと、いろいろな解釈があろう。
もう少し、考えたいような気もするが、ここでは、このへんにしておく。)

三枚起請


三千世界の烏(からす)を殺し 主と朝寝がしてみたい


これは、都々逸(どどいつ)であるが、
幕末の志士、長州の高杉晋作が即興で作った
として、有名である。


落語「三枚起請」の下げはこの都々逸がベースになっている。
もともとは、上方のネタであるようである。


花魁が客をつなぎとめる手練手管は色々あろうが、
「五人廻し」のお大尽(だいじん)のセリフにもあったが、
年期(ねん)があけたら、夫婦になる、というものが
よく登場する。


これを、いわゆる、起請文、夫婦になることを、
誓いの文章にし、客に渡すのである。


この起請文は、多くは、紀州熊野神社の守り札の裏に書いた。


熊野神社は先頃、世界遺産に指定されたが、平安時代の後期には
たいそう、盛んになった。
その本体は、役の行者を開祖とする、神仏習合修験道、と、いうものである。
この、熊野信仰は江戸まで盛んで、東京でも新宿の十二社(じゅうにそう。
西新宿の中央公園のそばである。)などに熊野神社はある。


熊野神社では、烏(からす)が、神の使いの鳥となっている。
このため、熊野神社の守り札には、烏が描かれているのである。
(蛇足だが、神様には、こうしたお使いの動物がたいてい、ある。
お使い姫、などというが、お稲荷さんでは、ご存知、狐。
八幡様では、鳩、春日大社は、鹿、などなど。)


舞台は、吉原。
登場人物は、猪之さん、棟梁、清公の三人の男と、
またまた登場、喜瀬川花魁。


話しは簡単である。
喜瀬川は、三人の客に起請を書いていた。
この三人が、それぞれ知り合いであった。
そして、それぞれが、同じ相手から起請をもらっていたことが
わかってしまう。
腹を立てた、三人は、吉原に乗り込む。
三人が顔を揃え、喜瀬川に、詰め寄る。
喜瀬川も海千山千、最後には、開き直る。


頭「おめえは、たいそうな腕だなぁ。客をだますのに、起請を書かなきゃ
  だませねえのか。口先でだませ。
  卑怯なことすんな。いやで起請を書くときにはな、
  熊野で烏が三羽死ぬ、ってんだぞ。」
喜「あら、そぉ?あたしゃ、三羽どこじゃないよ、
  いやな起請をどっさり書いて、世界の烏を殺すんだ」
頭「烏を殺して、どうするんだ」
喜「朝寝がしたい」
 

どうも、男の馬鹿さ加減ばかり、目立つ。
まあ、実際のところ、男の方が、馬鹿であることは、
間違いなかろう。
男なんぞ、だますのは簡単である。


(一方、女がだまされる噺もある。
「文違い」である。
舞台は新宿。女がだまされると暗い。


誰かの歌にあったような気もする。男はだますより、
だませる方になりなさい、、であったか、、、。
その通りかも知れぬ。)


三枚起請」は、志ん生師。


さて、冒頭に登場した、高杉晋作、三味線を爪弾いて、
あんな都々逸なんぞを唸っていたようであるが、
そんな、粋なところもあったらしい。


実はこれ、品川の話である。


高杉晋作は、幕末、文久2年(1862年)、尊皇攘夷の名のもとに、
後の、伊藤博文井上馨などと、当時、品川御殿山にあった
英国公使館の焼き討ちをしている。
(余談ついでに、浅草のうなぎ屋、例のガラッパチの親爺さんの色川
は、この前の年、文久元年、に創業している。)


このとき、高杉晋作が泊まっていたのが、品川の土蔵相模という、
女郎屋であったということなのである。
(正確には、前に述べた通り、宿場である品川は、
女郎屋ではなく、飯盛り女郎を置く食売旅籠、である。
ちなみに、本来は、花魁といういい方も、吉原のみで、
四宿では、花魁とは呼べなかったらしい。)


と、品川が出たところで、今日は、このへんで。
廓の噺はまだ続く。


明日は、気分を変えて、南(品川)へ、いってみよう。