浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



かんだ やぶそば

f:id:dancyotei:20190110115226g:plain
引き続き、1月6日。

国立の芝居がはねて、さて、どこへ行こう。

神田須田町あたり。

タクシーで内濠通りから靖国通り
神保町をすぎて、[まつや]の手前で降りる。

着物を着ているのでやっぱり和食系がよい。
それも、老舗。

と、すると須田町界隈。

戦前以前からの老舗が残っているこの一角は
老舗でも選択肢が広い。

[まつや]は日曜休み。

靖国通りから[まつや]の手前を左に入る。
鳥鍋の[ぼたん]が手前にあって、その向こうが
あんこう鍋の[いせ源]。

[ぼたん]も日曜休みだが[いせ源]は冬は休みなしで
やっている。

あんこう鍋はちょっと重いか。

[やぶそば]。

[やぶそば]は日曜もやっている。

晦日に[まつや]に年越しそばを買いにきた。
[まつや]も[やぶそば]も長い行列であった。

正月6日の日曜のこの時刻であれば、大丈夫であろう。

ここ、五叉路。斜め右に曲がり[やぶそば]。
営業もしているし、行列もなし。

門を入る。

建物に入り、左。

「いらっしゃい~~」。

二人、と指を出す。

お座敷でも、テーブルでも。

テーブル席に。

座って、お酒、お燗。

熱燗ですか?
いや、熱くしないで。

ここでも毎度お馴染みのやり取り。
この店もこうか。
[かんだやぶ]が知らないわけはない。
やはり、お客の問題なのであろう。

ちょっと考えてほしい。
湯気が出るほど熱くしたのを熱燗というのである。
それが呑みたいのか?。
ほんとうに熱燗を呑みたい人に物申すつもりはない。

ただ、馬鹿の一つ覚えのように、なにも考えずに、
燗酒といえば、熱燗というのは
やめていただけなかろうか。迷惑である。

熱燗は燗酒の代名詞ではない。

毎度書いているが、熱燗は最良の呑み方ではない。
熱くもない、ぬるくもない、適温=上燗というものが
あるのである。
湯気が出るほど熱くすれば、お燗用の酒でも風味は飛ぶ。※

「お酒、お燗」といえばよいのである。

お店もお燗とだけいわれれば、適温、
上燗を出せばよい。

皆様、ご協力をいただけまいか。
“アツカン”撲滅運動。

ともあれ。

きた。

ちょっと熱め。

ここのそば味噌は、ゆずが入っているのか、
うまい。

肴は鴨と、天のぬき。

鴨。

添えられている、溶きがらしがよい。

天ぬき。

品書きに書いていないそばやがほとんどだと思うが、
ここは、鴨ぬき、天ぬきが品書きに載っている。

藪系は、芝海老かき揚げが天ぷらそばなので
天のそば“ぬき”は、かき揚げ。

車海老など一本の大きな海老天を天ぷらそばにしている
ところは、それになる。

天ぬきは酒の肴。
上品ではないが、衣がつゆにふやけたものが
うまい酒の肴になる、のである。
衣が割合が多い、かき揚げの方が、天ぬきには
ベターであろう。

お酒をもう一本。

そばも頼む。
私は、せいろ。

途中、ちょいと席を立っている間に、きていた。

こんなふたがあったのか。
細かい配慮である。

藪系は緑色が強いと昔からいわれているが、
ここは特にその傾向が強い。
浅草並木はここまではなかったと思う。

ともあれ、うまいそば。

今年の、そば初め、であった。

ご馳走様でした。

 

 


かんだやぶそば

 

 

 

菊政宗

熱燗〇ではあるが、◎ではない。

蛇足だが。
言葉そのものが変わってきたのであろうか。
アツカンという言葉がノーマルな燗酒を指すのであれば、
店も、アツカンといわれて、上燗を出している?。
いや、まだそこまでではないと思うが。
とにかく。
湯気が出るまで熱くするのは、うまい呑み方ではない。
言葉と実体が混乱しているのかもしれぬ。

 

 

 

 

初芝居 国立劇場 その2

f:id:dancyotei:20190108151542g:plain
引き続き、国立劇場の歌舞伎「姫路城音菊礎石
(ひめじじょうおとにきくそのいしづえ)」。

この芝居、平成3年(1991年)に国立で「袖簿播州廻(そでにっき
ばんしゅうめぐり)」という原作と同じ名前で上演されている。
初演後一度も再演されておらず、この時が初めての再演であった
という。名前は変わっているが、江戸時代の初演から3度目の上演
ということになり、まあ、ほぼ知られていない芝居といってよろしかろう。

マイナーなものを掘り起こすのは、国立ならではのことなのではあろう。

やはり、プログラムを参考に一応型通りに書いてみよう。

その「袖簿播州廻」の初演は安永8年(1779年)大坂角の芝居。
作は並木五瓶(なみきごへい)。
安永というのは田沼時代。江戸中期といったところ。

作者の並木五瓶もあまり知られていない。
現代に残っている作品は石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな。」
の名台詞で有名な「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」くらいのよう。

ただ、文化文政期に活躍した有名な鶴屋南北の師匠筋に当たる人で
この並木五瓶があって初めて南北が生まれたといってよいほど
歌舞伎の作風に影響を与えたといってよいとのこと。
作者として前半生を大坂ですごし、この芝居もその頃のもの。
その後、江戸に下り、江戸歌舞伎界で活躍した。

この芝居の背景、まずは刑部(おさかべ、小坂部とも書く)姫
伝説から書いてみる。

姫路城に伝わっていた、妖怪(?)伝説といってよいのか。
国宝姫路城にそんなものがあったのか。ちょっと私も驚いた。

天守最上層に夜な夜な、十二単(じゅうにひとえ)に緋(ひ)の
袴を着た鬼女が現れるというもの。

この刑部姫伝説。その由来がさらにおもしろい。
時代はさらにさかのぼり、奈良時代光仁天皇の皇子に
他戸(おさべ)親王という人がいた。光仁天皇桓武天皇
父にあたるが、他戸親王は当時朝廷の権力闘争で敗れ非業の死を遂げ
その後怨霊となったという。
刑部姫というのは、その娘の富姫という。

姫路ではこの伝説、土地の神と関係したさらにおもしろい
ストーリーがあるようなのだが、長くなるのでやめる。

むろん、すべて伝説ではあろうが時代を超えてダイナミックなもの。
芝居のネタとしては絶好である。

この姫路城の刑部姫伝説は、この芝居の後、初代尾上松緑
文化11年(1814年)「復再松緑刑部話(またぞろしょうろく
おさかべばなし)」という怪談ものを演じ、ここで尾上家との
関係が生まれている。
この刑部姫伝説はさらに明治になり、五代目菊五郎、黙阿弥作で
「闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)」に受け継がれ、
小坂部(刑部)姫は尾上家、音羽屋の家の芸「新古演劇十種」
というものになっている。

五代目菊五郎は、例の直侍「入谷そばや」の菊五郎である。

「新古演劇十種」というのは市川宗家成田屋の例の
歌舞伎十八番」に対抗して音羽屋のものとして作ったもの。

さて、この芝居、これだけでは終わらないのがすごいところ。

この刑部姫伝説に、姫路藩主、榊原家のスキャンダルが
加えられているのである。

この事件もあまり知られていないかもしれぬ。

姫路というのはもともとは室町の守護大名赤松氏の地盤であったが、
赤松氏が衰えた後、姫路城は、かの黒田官兵衛の居城となっている。

関ヶ原後、池田輝政が入り、今の姫路城はこの時に整備されたもの。
池田家は三代までで鳥取に移され、その後は譜代大名に代わる。
本多(忠勝系)家、奥平松平家越前松平家、榊原家、などが
たらい回しのように転々と代わり、二度目の榊原家の頃、
大スキャンダルが起きる。

徳川家康の四天王というと酒井、榊原、井伊、本多。
酒井忠次榊原康政井伊直政本多忠勝
江戸期この四家は譜代名門の家として、大老、老中など
幕府重職を務めるのであるが、その榊原家である。

榊原宗家の八代当主で、姫路藩主榊原政岑(まさみね)。
この人が大スキャンダルの主。

政岑は享保17年(1732年)、吉宗の頃、榊原宗家継承。

江戸期、ダメな殿様というのはなん人かいる。

やはり歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に
なっている仙台伊達藩の伊達騒動
これは三代伊達綱宗が元。吉原の高尾を身請け。
仙台高尾というが、身請け後も心を開かないので
隅田川の三又で吊るし切りにしたという。

一方、姫路の殿様榊原政岑も遊蕩三昧。やっぱりこの人も、
吉原の高尾を千八百両で身請け。
高尾というのは新吉原の三浦屋の店で持っていた名前で
なん人もいる。先の仙台高尾、紺屋の内儀(かみ)さんに
なった紺屋高尾は落語になっており、ご存知であろう。

榊原政岑の高尾は榊原高尾(または越後高尾)だそうな。

まったく、同じようなことをするものである。

将軍が吉宗であったのが致命傷であろう。
吉宗はひっ迫していた幕府及び、武家の財政立て直しのため
倹約令を出し、自らも一汁一菜、木綿の着物を着ていた。

譜代名門の当主が吉原で遊びまわり、あまつさえ大金を投じて
遊女を身請けするとは、なんたることかと、吉宗は姫路にいた政岑を
江戸に呼び出し、隠居、蟄居。家督は長男に継がせたが
幼少のため北国の越後高田藩に転封となった。さすがに譜代名門を
改易にはできなかったのであろう。
(その後の高田藩は幕末まで榊原家が続き、戊申戦争では
新政府軍に恭順、東北を転戦、榊原家は子爵を与えられている。)

さて、さて。
この怨霊、妖怪の刑部姫と、大名家のスキャンダルを
合体させて、お話ができているわけだが、はたして
どんな話になっているのか、興味が出てこられまいか。

不勉強ながら私もこの姫路城の刑部姫伝説にしても
榊原高尾の話は知らなかった。勉強になった。

最後、芝居に戻ろう。
こんなことで、簡単にしているとはいえそれでもお話は複雑。
だが、昨日書いたようにかなりわかりやすく、見やすく作られている。
佳作であろう。
菊之助松緑が三役で大活躍。特に松緑は儲け役。よろしい。
また、菊之助子息、寺島しのぶ子息の二人同時に舞台に登場する
場面もあり、かわいい。
菊五郎の親方にとっては目の中に入れても痛くない、孫二人である。
大詰めでは舞台中央、親方の脇に菊之助子息の和史君が出ており、
かわいい台詞に表情が緩みっぱなしに見られたのもご愛敬であろう。

よい初芝居であった。

 

 


仙台高尾
「都幾の百姿」「たか雄 君は今駒かたあたりほとゝきす」
明治18年(1885年)芳年

 

 

 

 

 

初芝居 国立劇場 その1

f:id:dancyotei:20190108151542g:plain

1月6日(日)

正月六日。

今日は、国立。
またまた、歌舞伎、で、ある。

初芝居は毎年、歌舞伎座か国立のどちらか
であるが、今年は両方観ることにした。

国立は、菊五郎
菊五郎劇団といってよいのか、区別がわからぬが、
音羽屋中心の配役、で、ある。

12時開演なので10時半すぎ、着物に着替えて出る。
着物は先日と同じもの。

半蔵門というのは拙亭からは地下鉄では行きづらい。
大江戸線で春日まで行って、南北線で永田町から歩く
といいうのもあるのだが、面倒なのでいつも三田線
神保町まで行って、タクシー。

チケットを引き取り、入場。
弁当を買う。国立は途中で弁当を買うところもなく、
劇場の中のもの。カツサンドとなぜか稲荷が入ったもの。

ロビーでは正月の余興、獅子舞。
富司純子寺島しのぶ親子の顔も見える。

なるほど。
富司純子はご存知の通り、菊五郎の奥様で、菊五郎
公演には歌舞伎座でもここでもよく見かける。
去年も歌舞伎座の團菊祭りでも観たが、この公演は、寺島しのぶ長男の
眞秀(まほろ)君も出演るのであろう。

パンフレットを買って着席。
今日の席は、一階、ほぼ中央。

さて、芝居は「姫路城音菊礎石
(ひめじじょうおとにきくそのいしづえ)」というもの。
以前に国立で掘り起こして上演したもののさらなる
改作のよう。

演目と配役を写しておく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国立劇場平成31年初春歌舞伎公演
並木五瓶作「袖簿播州廻」より
尾上菊五郎監修
国立劇場文芸研究会補綴

通し狂言
「姫路城音菊礎石」
五幕九場

序幕  曽根天満宮境内の場

二幕目 姫路城内奥殿の場

    同 城外濠端の場

三幕目 姫路城天守の場

四幕目 舞子の浜の場

    大倉谷平作住居の場

    尾上神社鐘楼の場

大詰め 印南邸奥座敷の場

    播磨潟浜辺の場

・・・・

印南内膳       尾上菊五郎

生田兵庫之介     中村時蔵
桃井家後室碪の前

古佐壁主水      尾上松緑
百姓平作
 実ハ与九朗狐
加古川三平

弓矢太郎       尾上菊之助
 実ハ多治見純太郎
主水女房お辰
小女郎狐

印南大善       坂東彦三郎
奴灘平

久住新平       坂東亀蔵

桃井陸次郎      中村梅枝
桃井八重菊丸

高岡源吾       中村萬太郎

庄屋倅杢兵衛     市村竹松

傾城尾上       尾上右近

平作倅平吉      寺島和史
 実ハ桃井国松

福寿狐        寺島眞秀

金子屋才兵衛     市村橘太郎
早川伴蔵

飾磨大学       片岡亀蔵

牛窓十内       河原崎権十郎

中老淡路       市村萬次郎

近藤平次兵衛     市川團蔵

桃井修理太夫     坂東楽善

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんと、眞秀君だけでなく菊之助子息の和史君も
出演る。若き音羽屋同時出演は初めて?、わからぬが。
正月のご祝儀か。

さて。
通し狂言「姫路城音菊礎石」とはどんなものか。

普通に考えると、よくまあこんなにマイナーな芝居を
上演るものだ、と思うほど。説明をしようとすると
プログラムを丸写ししなければならないであろう。

ご興味のある方は、芝居を観てください、ということ
になろう。

なんでこんな芝居をするのかといえば、国立だから
なのであろう。

いや、決してけなしているわけではない。
観終わった感想は、かなりよかった。
歌舞伎座よりも、よかったかもしれない。

正月らしいし、なによりわかりやすかった。
長い通し狂言であるが、かなりの配慮だと思う。
一幕、一場の長さを短く作ってある。飽きずに観られる
というもの。

歌舞伎座で上演されているものは、そうはいっても
一幕一場は1時間を越える場合がほとんどであろう。
現代人には長すぎるのである。
まったく軟弱なもの。


ともあれ、この芝居、なにを書こうか。
考えよう。

 

 

  


つづく

 

 

 

真柴久吉公播州姫路城郭築之図
文久2年 貞秀

 

 

 

 

 

初芝居 歌舞伎座 その3

f:id:dancyotei:20190104154205g:plain
歌舞伎座初芝居、三番目。

三番目は「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」。

歌舞伎を観る場合はいつもイヤホンガイドを聴いているのだが
この芝居、かなりわかりやすかった。
帰ってきてから、日記を検索してみたら、2009年、一つ前に
上演されていたものを観ていた。

まったく記憶になかったのは、我ながら驚いた。
いい加減なものである。
書いていることも読み返してみると、なんだかよくわからない。
10年前。今も歌舞伎初心者だと思っているがこの頃はかなりひどかった。

ともあれ、ちゃんと書かねば。
これ、お話は八百屋お七である。
まず、八百屋お七のこと。
恋しい男のために放火をして火あぶりになった若い娘のお話。
実話である。

ある時、八百屋の娘お七は近くに火事が出てお寺に逃げた。
お七はその寺の若い寺小姓に惚れる。その後、どうしても
その男に会いたくてもう一度火事になれば会えると考え、
自宅に放火した。火事はすぐに消し止められ大事には至らなかったが
お七は捕まり鈴ヶ森で火あぶりに処せられた。

ただ、年代は定かではなさそうなのだが、
一般には天和3年(1683年)に処刑されているといわれている。
将軍は綱吉の頃。江戸も前期といってよい。年齢も、定かにはわからぬが、
15~6才。場所は駒込という。

初期のものは井原西鶴の「好色五人女」から始まり、
歌舞伎、浄瑠璃、実に多くの作品が作られている。
落語もある。先代桂文治師の音が残っている。

書いたように実説は駒込のようだが、この芝居の外題(タイトル)のように
湯島、あるいは本郷と近所の地名を使っているものもある。

作品のバックグラウンドはこんなところでよろしいか。

今回の芝居の作者、初演などをわかる範囲で書く。

たくさんの八百屋お七ものがあるので様々なものの
合体作品ということになるようである。
歌舞伎座のプログラムでは、文化6年(1809年)江戸森田座
初演された福森久助作のものを原作とし、その後黙阿弥脚色のもの
などをつなぎ合わせ、今のものになっているよう。
文化といえば、江戸も後期。黙阿弥は幕末。
事件の起きた頃から百数十年たっているが改作が繰り返され
幕末あたりのものが現代に残っているということであろう。

この作品は、歌舞伎には珍しい喜劇。それもドタバタ。
男に会いたくて、放火をしてしまうというエキセントリックな
お七を描くのに喜劇というのは、おかしいようだが、
そのまま描いてしまうと、とても観られないということ
のなかもしれぬ。

そんなわけで、正月らしく初笑いといってもよい
たのしい舞台である。

この作品には狂言回しのような舞台のキーになる男役、
紅屋長兵衛、紅長というのが出てくるのだが、これが座頭格。
前回は吉右衛門。今回はこれが猿之助
お七は福助であったが今回は七之助

お土砂の場という、ドタバタコメディー部分と
火の見櫓の場に分かれる。
ドタバタ喜劇はとにかくおもしろい。座頭、紅長の腕の
見せ所であろう。火の見櫓の方は、人形振りといって、
お七の後ろに黒子がついて、生身の人間が操り人形のような
舞踊を踊る。これがおもしろい。

戦後の上演回数を数えると今回で14回目。そう多くはない。
紅長は当代吉右衛門以外に、初代吉右衛門、17代勘三郎(先般亡くなった
勘三郎の父)、菊五郎もやっているが、このくらいの上演回数では
芸の継承、発展という意味では少したいへんかもしれぬ。

イヤホンガイドによれば今回の紅長は吉右衛門から猿之助
伝えられたようである。

昨年あたりからであろうか、歌舞伎界というのか
歌舞伎座で上演されるメインの芝居といったらよいのか、
では、世代交代に本格的に取り組んでいるようにみえる。
私のような者がいうのは、僭越の極みで、当たっている
かどうかわからぬが。

これもその一つといってよいようにみえる。

吉右衛門猿之助?。
七之助を、女形として立女形の道を意識させ、
より多くの役を付けていく?。

七之助はTVでルポを視たが、助六の揚巻を玉三郎から
特訓されていた。助六歌舞伎十八番であり江戸歌舞伎
代表する芝居であることは間違いないし、その中で
揚巻は立女形女形の座頭格、の役である。

女形の方は、福助の病気は大きかろう。
以前は、歌舞伎座へ行けば、女形のメインはほとんど
福助で、歌舞伎の女形にはこの人しかいないのかと私などは
思ったほどである。(福助は昨年9月舞台に立ち始め、
この昼の部にも出ており本格復帰を目指している。)

一方立役。勘三郎の早すぎる死によって歌舞伎界の立役の座頭格は、
急に心もとなくなってしまった。
幸四郎も隠居名の白鸚になったし、人間国宝吉右衛門も、肩の荷を
早く降ろしたいのではなかろうか。

そういう意味で、猿之助、なのである。

前から思っていたし、ここにも書いているのだが、
猿之助は役者として、歌舞伎界の立役、座頭格を背負える
器であるとみるのである。

四代目市川猿之助、43歳。

幸四郎(当代)、45歳。海老蔵、41歳。菊之助、41歳。勘九郎、37歳、
、、あたりがライバルか。
4人とも押しも押されぬ、名門である。

もちろん、4人とも持ち味はある。
だが、私は猿之助の器はもう少し大きいように思えるのである。

歌舞伎界はむろん門閥の世界。
偉大な祖父、父から芸を受け継ぎ、もちろんバックアップも
される。(偉大な父でもこれが早世してしまうと、
庇護者がいなくなり、役が付かずたいへんなのである。)

初代市川猿之助団十郎家の弟子筋で明治に家を興している。
だが、途中、様々な軋轢を生み、破門等々波乱のなかで澤瀉屋
(おもだかや)を生み育てた。
先代猿之助も、ご存知の派手なスーパー歌舞伎など自らの力で
切り開いてきた。(詳しくはこちら)

当代猿之助も、梨園中心に対しては様々な思いを抱えているの
かもしれぬ。

今回の紅長はまだ喜劇、三枚目役なので猿之助に役を付けた
ということなのか。

だが是非是非、猿之助を歌舞伎界中心の大看板に育てていただきたい
のである。勧進帳の弁慶でも、当代猿之助のものを歌舞伎座
観たいのである。(無理なのかな。)

 

 


松竹梅湯島掛額
明治18年(1885年)芳年

 

 

 

 

 

初芝居 歌舞伎座 その2

f:id:dancyotei:20190104154205g:plain
引き続き、初芝居、歌舞伎座

一番目の「絵本太功記」。

この物語に限らず、歌舞伎では明智光秀に同情的、
いやむしろヒーロー扱いであった件、で、ある。
驚きではないか。違和感の塊である。
もちろん、これは歌舞伎に限らない、江戸期の一般庶民の
評価、イメージであったはずである。

芝居から少し離れるが書いてみたい。

前号でも書いたが、光秀の評価は取りも直さず
信長のイメージである。今は、ヒーローは織田信長
歴史家の評価も、中世秩序を最終的に壊し、合理主義と
強い指導力で戦乱の時代を終わらせその後の、秀吉政権、
江戸幕府、近世を切り開いたといってよいのであろう。

だがこれ、実は最近のことなのではないか、と。

ちょいと調べてみた。

すると信長のイメージが変わったのは、NHK大河の
国盗り物語」からでは、というのが出てきた。

なるほど。
やはり、戦後。「国盗り」の原作は司馬遼太郎
司馬遼先生であったか。

国盗り物語」の大河は昭和48年(1973年)。
信長は、あの高橋英樹
私は10歳。小学校5年で、視ているはずだが
今一つはっきりしていない。
それでNHKオンデマンドで総集編を視直してみた。

確かに高橋英樹・信長はかなり魅力的であった。
年齢も29才~30才程度であるはずである。
あの明るいキャラで、していることは残忍、横暴
ではあるが、打ち消して余りある。

司馬原作のNHK大河が日本人の歴史イメージに与えている
影響というものは、実に侮れない。
(だから司馬史観には注意する必要があると思うのであるが。)

私などは大河の信長といえば、その後、平成4年(1992年)の
緒方直人版「信長 KING OF ZIPANGU」の方が
明瞭に記憶している。父信秀の葬式に普段着で現れ、抹香を父の位牌に
ぶつける姿は印象的であった。しかしその頃には既に信長は改革者の
英雄になっていたのである。

信長のイメージ、史上の評価、については確かに江戸期には
最悪であったことは間違いないようである。しかし、
江戸後期から勤王家として評価され始め、明治以降は徐々に
上がってきたということはあったようである。
アカデミア、司馬先生、NHK大河等々も含め、細かく
検討しなければいけないことが多々あるがそれは別の機会を
考えるとして、今は芝居に戻らねば。

もう一つ、この芝居を観た感想は、これ、人形浄瑠璃であり
芝居ではあるが実際には講談が下敷きなのではないか、と。
どうもテーストがそれっぽいのである。

むろん浄瑠璃作品をすべて知っているわけではないが、
歌舞伎にうつされているものの代表的なもの、
例えば、仮名手本忠臣蔵義経千本桜、菅原伝授手習鑑、
これらは年代としてはこの芝居よりも50年ほど前で、
思い出してみると雰囲気が多少違っている。

この尼崎の段は、光秀を中心に光秀の母、妻、息子、
さらに息子の妻らの光秀一家の浄瑠璃らしい口説き
人情の機微を描く場面が中心なのではあるが、背後では
戦いが始まっており、息子は戦場へ赴き、瀕死で戻ってくる。
なにか講談の戦闘場面、いわゆる修羅場のような
空気感が舞台にただよっていたように感じたのである。

太功記ではなく、秀吉の方の太閤記は、特に大坂では
定番のコンテンツとして、講釈(講談)、読本(小説、
絵入りのものも含めて)、人形浄瑠璃、歌舞伎を含めて
ずっと人気のあるものであったという。

その中で、先に忠臣蔵などから50年後と書いたが
この間に、実は時代の転換といってよいことがやはり
あったようなのである。

それは、飢饉。
天明の飢饉である。天明はこの芝居ができた、寛政の
一つ前。天明2~7年(1782~1787年)全国で数十万人の
死者が出て、江戸、大坂でも米価が高騰、打ちこわしも
頻発していた。これが田沼意次の失脚につながっている
ともいう。
こうした世相は幕府不信につながり、特に大坂では元来、
最初に繁栄をもたらした太閤秀吉人気がさらに盛り上がっていった
というのである。このような時代背景があって、この芝居が
生まれているらしい。(文化デジタルライブラリーより。)

大坂での幕府不信から太閤さん贔屓、さらに光秀贔屓、アンチ信長
というのがつながっていたというのはおもしろい。

さて、今回の芝居評も書かねば。
この配役は、5年前に一度上演されているもののようで、
こなれた芝居といってよいのであろう。
特に印象に残ったのは、初菊(光秀の息子の嫁)。
役者は中村米吉、25歳。今まであまり私自身は記憶に
ないのだが、なかなかよい姫になっていたのではなかろうか。
若い女形でこれ、という役者が少ないように思うのだが、
期待である。

と、いうことで休憩。

浅草今半の弁当。

牛バラであったか。
下の手ぬぐいは開演前に買った、猿之助のもの。
澤瀉屋(おもだかや)の家紋が大きく入っている。

次。
二番目。

「勢獅子(きおいじし)」。
これは踊りの幕。
と、いっても鳶や手古舞芸者達が踊る、群舞といってよいの。
赤坂日枝神社山王祭の一場面を借りたという設定になっている。

芝翫梅玉の二人がメインで芝翫の二人の息子
福之助、歌之助も出演ている。

獅子舞が出てくるので、正月のようにも見えるが、
設定が山王祭というのもいささか季節違いも感じる。
(鳥越神社の初詣で紹介したが、東京下町の祭りでは
神輿だけでなく、本来獅子も出るものであった。)
勢獅子は元来は曽我ものの芝居と一緒に出されるものだったようで、
曽我ものは、正月の決まりものの芝居である。
踊りの中で曽我の仇討の仕方話のようなものも出てくる。

芝翫というのは、こういう愉しい場にはいかにも似つかわしい。
人(にん)なのであろう。肩の力の抜けたよい一幕であった。

 

 

つづく

 

 

初芝居 歌舞伎座 その1

f:id:dancyotei:20190104154205g:plain
1月3日(木)
正月三日。
例年通りであるが、初芝居。
歌舞伎座、で、ある。

とはいっても、今年は時間があるので6日には国立のチケットも
取ってある。

歌舞伎座は夜を取った。
たいした意味はないのだが、夜は猿之助が出演るので。
猿之助はどうしても応援したくなる。

4時開場なので、着物を着て、3時頃出る。

着物はこのところ着ている青緑のお召し風紬。
白足袋、雪駄もいつもの通り。
茶のマフラー、とんびのコート。これは紺。

旧臘、ソフト帽を買ってたまに被っている。
そこそこ合いそうなので被ってもよいかと思ったが、
観劇中は邪魔になるかと、やめた。

稲荷町から銀座線、銀座下車。

三越の地下で弁当を買う。
初売りでごった返している。
さすがに日本人の方が多いか。
弁当は浅草今半のものにする。

歌舞伎座まで歩き、地下へ。
チケットを引き取って、売店で手ぬぐいを一本買う。
地下ショップで手ぬぐいも猿之助の紋とサイン入りのものがあったので
それを購入。
今日は手ぬぐいを持って出るのを忘れてしまった。

4時、開場。

席は一階、花道の脇。

完全な花道脇。11列でそこそこ前。
よい席であろう。

演目と配役を写しておく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

歌舞伎座壽 初春大歌舞伎
夜の部
一、絵本太功記(えほんたいこうき)
尼ヶ崎閑居の場

武智光秀 吉右衛門
操 雀右衛門
武智十次郎 幸四郎
初菊 米吉
佐藤正清 又五郎
真柴久吉 歌六
皐月 東蔵


二、勢獅子(きおいじし)

鳶頭 梅玉
鳶頭 芝翫
鳶の者 福之助
鳶の者 鷹之資
鳶の者 玉太郎
鳶の者 歌之助
芸者 雀右衛門
芸者 魁春

福森久助
三、松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)
吉祥院お土砂の場
四ツ木戸火の見櫓の場
浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」

紅屋長兵衛 猿之助
八百屋お七 七之助
母おたけ 門之助
長沼六郎 松江
若党十内 廣太郎
同宿了念 福之助
釜屋武兵衛 吉之丞
友達娘おしも 宗之助
月和上人 由次郎
下女お杉 竹三郎
小姓吉三郎 幸四郎


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


一番目が時代物、二番目は踊り、三番目は世話物。
一つの芝居をノーカットで上演する通しではなく、
一部分だけを演る、見取り狂言

時代物というのは、一般にいう時代劇という意味だが、
江戸の頃の“時代”は江戸よりも前ということになる。
また世話物は、江戸時代の現代劇という意味である。
ただ、実際は時代物とは武士の話をいうことが多く、
世話物は庶民の話。

武士の話は基本、当時の支配者階級の物語でかつ、
実話をもとにしているものが多く、実名を使わずに時代も
それ以前にずらして、架空のものですよ、という建前に
していたわけである。つまり武士のお話は必ず、過去の
設定になり、必ず時代物になる、ということなのである。

“時代”を先に上演するのは昔からのきまり。

一番目の「絵本太功記」は明智光秀の話。
太閤記、ではなく、太“功”記。
秀吉と光秀で使い分けている。

元々は人形浄瑠璃で歌舞伎に移された、いわゆる
義太夫狂言、丸本もの。
初演は人形浄瑠璃が寛政11年(1799年)、歌舞伎は翌年。
ともに大坂。
時代区分でいえば江戸中期末といってよろしいか。

お話は、光秀が信長への謀反を決意し本能寺の変を起こし、秀吉との
天王山の戦いから敗戦、土民に打たれるまでの13日間を十三段構成で
実録風に描いているというのが全体像。

ただ上演されるのは、例によって人気の十段目尼崎の段だけ。
初演後すぐに人気の十段目だけを上演するようになっている
という。太功記十段目というので、略して“太十”という
言い方まで定着していたようである。
義太夫としても人気であったようで、落語「寝床」にも出てくる。

上演記録を数えてみると戦後だけでも60回以上。
この芝居は、座頭、立女形、立役、姫、若衆、婆など歌舞伎の
典型的な役、キャラクターが登場しており、襲名披露
など使われやすいというが、やはり無難に人気のあった演目
ということができるようである。

主役の光秀を吉右衛門で座頭格、その子息の十次郎を幸四郎で若衆。

例によって、筋は追わない。

この作品、明智光秀を主人公に描かれている。
つまり、肯定的に扱われているのである。

明智光秀というのは現代的には、どうなのであろうか、
イマイチな評価なのではなかろうか。
それは取りも直さず、信長に人気があるからである。
信長は幕府、寺社など旧勢力を叩き、中世を終わらせた革命家であり、
合理主義の英雄。最初の天下人。

また、光秀は信長を滅ぼしたのはよいが、いうように三日天下で
秀吉の中国大返しなどにあって、あっというまに、滅ぼされ
その後は秀吉の天下になったのはご存知の通り。
身の程知らずというのか、あまり賢くも見えない。

そんな感じではなかろうか。

なのに光秀は肯定的に扱われている。

この作品以外にも、歌舞伎には「時今也桔梗旗揚」
(ときはいまききょうのはたあげ)

なんというのもあり、一度観ている。
ここで信長は悪役で、光秀はやはり主人公なのである。

光秀に同情的というのか、人気があったといってよさそうである。

なぜであろうか。

 

 

 

つづく

 

 

19年断腸亭の年越し

f:id:dancyotei:20190103114220g:plain
2019年平成31年
あけましておめでとうございます。

本年もあいかわりませず、ご愛読賜りますよう、
お願い申し上げます。
また、この一年のが皆さまに取りまして佳き年となりますよう
お祈り申し上げます。

断腸亭錠志

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、年が明けた。

平成31年は4月一杯。
5月からは、新元号元年となる。

昭和から平成の代替わり、時代替わりは昭和天皇崩御
よるものであった。天皇の重体、危篤。このあたりは自粛、
TVもCMなし、そして崩御大喪の礼、新帝即位と
なったわけだが、かなり慌ただしかった。

今回は、崩御ではなく生前退位のため、なにか落ち着いて
天皇の代替わり、時代替わりが穏やかに落ち着いて迎えられて
いるように思う。これはよいことであろう。

だが、いずれにしても新しい時代が始まるのは、
わくわくする。
個人的にも、旧臘一杯で30数年続けたサラリーマン生活を
終え、新しい生活に入るのはよいタイミングであったと
思っている。

皆様は、どんな新年を迎えられたであろうか。

紅白歌合戦で特別出演の北島のサブちゃんが、
紅白とはなんですか?というインタビュー質問に「生まれかわること」
という趣旨のコメントしていた。
日本人にとっての年越しというのは、民俗学では
死と復活・再生、と理解されているといってよいだろう。
サブちゃん、よくご存知。流石である。

紅白の終わり、あれだけのバカ騒ぎをして、NHKは
ゆく年くる年」に切り替わる。静かなどこかのお寺の除夜の鐘が
流される。
午前0時の年明けまでのあの時間帯、なんとなく一度死を迎える。
NHKの意図はどうなのかはわからぬが、私などはそんな気が
している。

そして、静かに新しい年が明け、また新たに誕生する。
日本人が長年続けてきているメンタル行事といってよい。

渋谷などで、欧米風のカウントダウンの年越しをしている
人もいるが、やはり違和感がある。
一度死んで生まれ替わるのだから、静かに迎えるのが気分
ではあろう。

正確にいうと、日本人の死と復活は、この年明けだけではなく、
半年毎にあって、つまり半年後の6月と7月の間にもあった。
今はほとんど忘れられているが。

天皇の代替わり、時代替わりも、やはり生まれ替わりと
いってよいだろう。
国民、国を挙げて生まれ替わるというのもなかなか
おもしろい民族であろう。

よほど生まれ替わるのが好きなのである。

さて、断腸亭の年越しは毎度お馴染み。
例年通り。

昼前に自転車で出て、上野広小路の[うさぎや]で

正月のお菓子、どらやきと最中を買う。

そこから、神田須田町のそば[まつや]で

予約をしておいた、生そばと、いつもの練りうにを
購入。これは下関の[岡本うに]のもの。
長年[まつや]で買って食べている。

店の方も長い列。

帰ると、これも毎年頼んでいる、お節が届く。

これは市谷の[鮨太鼓]のもの。
晦日に自宅まで届けてくれる。

福寿司といっている。

穴子、蒸し鮑、松茸、その他が入った混ぜ寿司。

お節、一段目。

左上から蒲鉾、伊達巻、笹に入っているのはあんこの入った
生麩の餅、胡桃の入った田造り、紅白なます、小肌入り。
いくら、黒豆、栗きんとん、にしん甘露煮を巻いた昆布巻き、
煮いかはやりいかか。

二段目。

同じく左上から煮しめ、薄味。にんじん、里芋、蕗、
細い筍、慈姑(くわい)、椎茸、麩。
有頭海老、下にばい貝。
甘く煮た柚子を巻いた干し柿、鰤照り焼き、はじかみ。
鴨ローススモーク、ごぼう八幡巻(焼き穴子巻き)、
からすみ、数の子

どれも、うまい。

紅白を視ながら[まつや]の生そばを茹でてざるそば。

鴨肉を入れたりすることもあるが、今年は
シンプルにざる。

元旦。
起きて、火鉢に火を入れて、

網を載せ、角餅を焼く。

雑煮。

しょうゆの鶏がらだしで、里芋、小松菜、三つ葉

初詣は昼。

産土神である、鳥越神社。

昼だが、多少の列。

鳥越自慢の千貫神輿と獅子頭

今は獅子舞は出なくなっているが、この本社神輿は
毎年6月の鳥越祭で各町内をまわる。

帰ってきて[うさぎや]のどらやきと、最中。

実にやさしい甘さのあんこ。

変わらぬうまさ、で、ある。

と、こんな具合。
毎度お馴染みの断腸亭の年越しである。

 

 

 


うさぎや
03-3831-6195
台東区上野1-10-10

まつや
03-3251-1556
千代田区神田須田町1-13

鮨太鼓
03-3267-6919
新宿区市谷砂土原町1-2-57 久貝ビル 1F