浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



3000号 断腸亭御礼口上おまけ/支那麺・はしご・銀座八丁目店

dancyotei2017-08-06


3000号。

毎度のことながら数え間違い数ある中、
メルマガの号数が3000号となりまた。


拙い文章ながらご愛読をいただいておられる皆様に
心より感謝申し上げます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そもそもこの日記を書き始めたのが、
98年、19年前。
私が35歳の頃。


これは名古屋に単身赴任中。


ここから2000年までが第一期。
東京に戻ってきて一先ず、中断。
ここまでは不定期。


その後、2004年、私が40を越えたのを区切りに
毎日、週五日書くと決め、ホームページ、はてなのブログ
(→Twitter)、メルマガ、と同じものであるが三つのルートで
配信を始めた。


ここから数えて13年で3000号。
よくまあ、長々書いてきたものである。


私自身、もはやこの日記を書かない毎日というのは
おそらく考えられない。
日常といってよいのであろう。


この日記が契機で、NHK文化センターの講師など
やらせていただいたこともあったが、その頃、
いい趣味ですね、といわれることがよくあった。
しかし、私自身、趣味というつもりはまったくなかった。
サラリーマンをしており、それが本業であることは
間違いないが、この日記も、講師の方も全力で取り組んでおり、
趣味といわれるのは、むしろ心外であった。
限りなく仕事としてやっていた。


サラリーマンとしと仕事をする。
落語をする。
講師をする。
この文章を書く。


その時々、それぞれ、全力で取り組んできた
つもりである。


まあ、人がどう思おうが関係はない。


以前は、助平心があった頃もあったが、
今は、私の書く文章なりを、一人の方でも
読んでいて下さっているのであれば、それでよい。
そう思っている。


50を越えてくると体力も気力も徐々に
落ちてくるのを感じる。
まあ、あたり前のことであろう。


そんな自分自身のペースに合わせて、


目の前にあることをできる範囲でやっていく
そんな感じであろうか。


意識している自分自身の課題、宿題は数多くあるのだが、
それをできる時にできるだけやる。


まあ、そんな感じであるが、
引き続き、お付き合いをいただければ、
ありがたく思う次第である。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


なんにしましても、これからも、相かわりませず
ご贔屓の程、何卒宜しくお願い申し上げます。m(__)m


また、暑中、皆様にはお身体ご自愛下さいますよう、
お願い申し上げます。



2017年平成29年8月6日


断腸亭錠志


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ということだが、まだ若干紙数があるので、
一つ、おまけ。


8月3日(木)夜


担々麺の[はしご]。


友人がFBに投稿していたのを見て、久しぶりに
食べたくなった。
東京の担々麺といえば、ここも忘れてはいけない。


オフィスからの帰り道、一番寄りやすいところ。
新橋で降りて、銀座八丁目の店。


だあろうだんだんめん、ご飯付き。




支店はそう数は多くはないが、まあ、チェーン店
といってよいのであろう。
ただ、一般のチェーンともちょっと違っている。
店の数もあまり増えないが、ほぼ味やメニュー、
店のイメージは変わっていないところ。


不思議といえば、不思議であるが、
逆にこれがよい。
いつきても、同じものが食べられる。


担々麺であるからといって、今風に激辛を
訴求するのでもなく、変わらない。
(辛ければよいというものでもない。
私自身、激辛マニアではないので。)


今日はだあろうにしたが、ぱいこうも
私は好きだが、これもずっと変わらない。


うまい担々麺を変わらず、ずっとどの店でも
提供し続けていくれている。


肩に力が入っていないというのであろうか。
これはこれで希少なことではないか。


本店は銀座店である。
以前の東芝ビルにあったのだが、創業はいつなのか。
昭和39年などという情報もあるが、定かではない。


私が社会人になって頃、つまり30年前には、
銀座八丁目や八丁堀、新小岩など、もう支店が
なん軒かできていたのではなかろうか。まあ、これも
定かではない。


なんだか謎に包まれているよう。
今度、どこかで聞いてみようかしら。
だがまあ、おそらく、店員さんは知らなかろう。


このまま、そっと、だが、しっかり、確かに、
うまいだんだんめんを食わせてもらえればよいか。






中央区銀座8-10-7 東成ビル1F
03-3572-6986