
7月24日(金)夜
さて。
浅草雷門通りのそばや[尾張屋]で、ある。
なにかというと、あそこの天丼が食べたくなった。
そばやだが、大きな海老天ののった天丼。
上天丼。
この店の、看板といってよいだろう。
ちょっと久しぶり、で、あろうか。
改めて、この店、調べてみると、ホームぺージが
できていた。
創業も以前には明治初年かと思っていたのだが。
万延元年(1860年)と書かれている。
数年だが、情報として更新されたのであろう。
浅草寺御用なんという看板も掛かっている。
なんでも、この店の初代は、新門という鳶にいて
この店を開いたと、聞いたことがある。
新門というのは、今も浅草寺出入りで三社祭などでも
主役として働いている。浅草界隈の鳶で、もちろん、
江戸期には町火消しであった。
幕末の頭(かしら)、新門辰五郎は有名で勝海舟、
さらに将軍慶喜とも繋がりがあり、勝の指示で江戸無血
開城が暗礁に乗り上げた場合、江戸市民を江戸から
避難させる準備をしていた、などとも語られている。
この店の屋号である[尾張屋]は、地名の尾張ではなく、
なんでも辰五郎に「海老の尾が張るように繁盛するように」と
付けてもらったとのことである。(塩見なゆSyupo)
ともあれ。
そばという値の張らないものを商う業態だからか、
古い暖簾は意外に多くはなく、浅草では最も古いそばや
といってよろしいか。
場所は、雷門通り。
雷門よりは田原町交差点寄りの北側。
さて。
今日は、晴れているが、なぜか少し涼しくなった。
とはいっても、最高気温30.7℃(13時42分)。
まあ、以前はこのくらいが真夏の気温だった
わけであろうが。
いつもよりも少し早い、13時すぎ到着。
多少ずれているので、空席もある。
入って右側のテーブルへ。
左側の壁には、元祖断腸亭永井荷風先生の写真が
今も飾られている。
特に戦後すぐ、晩年の荷風は浅草に毎日のように、
出没していたわけだが、昼飯によくこの店にきていた
という。
この人は、池波先生などと違って別段食道楽という
わけではなく、ここでも決まって同じもの、鶏南蛮
であったか、を食べていたよう。
生まれが武家で、食べ物にこだわることをよしとしない
教えがあったからとも聞く。
私の記憶が定かであれば、今はないがこの壁の上に、
神棚があったと思われる。まあよい席である。
荷風先生は、稀代の変人で、この席がお好みで
先客がここに座っていると、その人が立ち退くまで
鼻先に黙って立っていたともいう。
さて、ここ、そばやだがかなりの品数。
そばはもちろん、うどん、きしめん、茶そば、春の
桜切りなど、季節の変わりそばなどもある。
また、天丼を始め、ご飯ものも豊富。
もちろん、板わさだったりそばや定番の酒の肴もある。
そして、私はここで、秋には松茸の土瓶蒸しを
食べることを愉しみにしている。そばやではあるが、
こうした割烹店の料理も出す、のである。
なかなか貴重である。
ということで、掛けたら、迷わず、上天丼!。
並みの天丼もあるが、それではなく、上天丼。
3,500円也。
なかなかの値段、で、ある。
ややあって、きた。
天丼といっているが、お重。
ふたからはみ出している大きな海老天。
開けると、
こんな感じ。
お吸い物は、庄内麩、紐のように飾り結びをした
蒲鉾、三つ葉、柚子も入っている。
お新香は、きゅうり、大根、沢庵、柴漬け。
拡大。
厚衣の海老天、車海老。
厚い衣なので、往々にして衣ばかりで海老は小さい
なんということもあるが、意外といっては失礼だが、
衣は厚いことは確かだが、端っこまでちゃんと海老。
天丼なので厚衣、なのだが、本来の江戸・東京の
天ぷらはすべてこうであった。その上、大きさを
競ってもいた。
老舗天ぷらやが多い浅草には今も天丼でなくとも
この系統の天ぷらの店がある。
東京の江戸前鮨やや、天ぷらやの車海老はさいまき
海老などといって車海老でも小さいものを使うが、
車海老というのは、かなり大きくなるよう。
海老はもちろんプリプリ。
しゃっきり堅めに炊いた飯に、濃い甘辛のたれ。
これが、正しい天丼、で、ある。
うまかった、うまかった。
大満足。
ご馳走様でした。
台東区浅草1-7-1
03-3845-4500
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