浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神田神保町のこと~路麺豊はる

6月3日(水)第一食

さて。
珍しく、新しい路麺、で、ある。
路麺というのは、まあ、立ち喰いそば。
どちらかというと、チェーンではないもの。
まあ、そんなものを呼んでいる。

肉そば、というのが売り、らしい。

さて。この界隈、神保町あたりどんなところなのか。
あまり書いてこなかった。

まず場所、住所は小川町三丁目。
このあたり、駿河台下の交差点をはさんで靖国通りは
ゆるいS字になっているが、その交差点の東、
靖国通りの南側。

地図を出そう。

このあたり。
江戸、明治の地図も出そう。

まず、江戸の地図。

このあたり、すべて武家屋敷。
町人の住む町、寺社も皆無。私の住む浅草、御徒町界隈と
大幅に違う。武家屋敷でも、御徒組だったり、御先手組
だったりの与力同心の組屋敷はなく、すべて大名屋敷と
旗本屋敷。江戸府内では、こういう地域は比較的限られて
いるかもしれぬ。旗本屋敷というと番町あたりも有名だが
実は、あのあたりから、九段、飯田橋、そしてこのあたり
神田神保町、駿河台あたりまで。江戸城の内濠のすぐ外、
西から北、東に掛けて大小旗本屋敷が地続きで取り巻いて
いる、という構造になっている。
ちなみに、半蔵門から南、永田町、桜田門、日比谷、
大手町、今の有楽町、丸の内は、譜代、外様含め有力
大名屋敷である。

今、靖国通りと呼んでいる、九段坂へ通じている通りは
今の駿河台下の交差点の一つ先まででここからは
左に曲がり細くなり、名前は裏神保小路という名前に
なっている。また、今明大の前を通り、御茶ノ水駅まで
坂になっている通りはまだない。

裏神保小路の一本南、今、すずらん通りといっている
通りが表神保小路。ここに神保伯耆守という旗本の
名前が見えるがこの人が、どうも表裏神保小路の
名前の由来のよう。

ちなみに小川町も江戸、それも初期以前からある地名の
ようで、室町時代の太田道灌の詠んだ和歌にもあるよう。
小川が流れていたから、という、素朴な由来。西の方にも
「一ツ橋通小川丁」という通りの名前が見えるが、やはり
小川町というのは、このあたり比較的広い地域を指していた
地名といってよいよう。
また、北西側に表猿楽町という名前が見えるがこれは
能役者や一座の者が住んでいたことから付いたという。

東に錦小路という通りの名前も見える。この由来は
一色という姓の屋敷が二つあって、二色が錦になった
という説があるようだが、定かではないよう。

ともあれ、町やではないので、正式町名がなく、やはり
通りの名前が通称として呼ばれていたといってよさそう。

次、明治(40年)。

さて、明治になり、今挙げた通りの名、通称がほぼ実際の
町名になっているのがわかる。
その後、なん回か町の範囲が変わって現代に至って
いるよう。

で、江戸期、大名、旗本屋敷であったこのあたりは、
明治以降はどうなっていったのか。
これは現代を見れば皆様のよくご存知の通り。
いくつかの大学があり、学生街で古書店街、カレーやの街。

今大学は、明治、日大、専大、共立女子大など。

これらは、歴史的には長くさかのぼれるが、この界隈が
学生街になる元祖は、これらではない。
ご存知であろうか。
最も古いのは、東京大学。そう、東大、があったのである。
明治6年(1873年)、幕府の洋学機関「開成所」を元に
作った「開成学校」が東京大学として、今の学士会館の
場所にできた。これが最初。
ここが日本の大学発祥の地といってよいだろう。
そして、明治17年(1884年)東京大学は敷地のあいた
現在の本郷の旧加賀藩邸へ移転するが、明治20年(1887年)
前に一橋大学の前身の高等商業学校ができ、同時に私大も
できていく。

集まったきっかけはこんなことだが、ではなぜ、これだけ
集積していったのか。
一つは、明治新時代になりすべての武家屋敷が接収されるが、
江戸城外濠内、内濠外の武家地でも新政府によって
重要度が設定されていた。永田町だったり桜田門、など
などは重要で払い下げされず軍関係や、官庁地になった。
丸の内などは重要度は高いのだが使い道が未定のまま
使われずしばらくは空き地であったが、三菱に払い
下げられオフィス街になっていったのはご存知の通り。
だが、神保町界隈は、重要度が低く設定され、安かった
らしい。それで各私学が初期の校舎を作りやすかった。
また、東隣の神田各町は江戸からの町人の街で学生向けの
下宿やら食堂を提供するのに適している町であったこと。
こんなことがこの界隈が学生街に育っていた背景と
いえるよう。当然、学生街なので、古本屋が発達した。
まあこれは至極リーズナブル。カレーやは、学生が安く
食べられるので集まった、まあそんな理由であろう。

閑話休題。

路麺[豊はる]で、あった。

梅雨に入ったので、雨がいつ降るかわからぬので
タクシー、Goエコノミーに乗ってみた。乗り合い
ということなのであろうが、この時は、完全に
私一人で、400円ちょっとであった。

小さな立ち喰いの店だが中は思ったより広い。

15時少し前、半端な時刻だがなかなかにぎわっている。

東京の路麺は伝統的に天ぷらで種類の多いだが、ここは
天ぷら、かき揚げもあるが、肉そば、が売り。
ということで券売機で肉の入った、冷やし(+100円)
を買う。そば以外にうどん、きしめんもあるよう。

これ。

ぶっかけ。
天かすとねぎ、わさびに、甘辛く煮た豚バラ。
そばはゆで置き。

肉そばというと、浅草[角萬]の豚肉とねぎをつゆで
煮たものを思い出すが。

なるほど、こういうものか。

なぜこういうものを考えたのか、ちょっと不思議。
二郎系のにく、のようなものもあったり、ラーメン
寄りにしてみた?。

帰りは、小川町から地下鉄で。

 

千代田区神田小川町3-11-10 只野ビル 1F

 

 

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