
引き続き、イタリア、ジェノヴァ。
ジェノヴァ市にある世界遺産、赤白ともう一つの
旧貴族館にきている。
白の館から入って、大量の欧州絵画をざっと見て、
屋上庭園。
こんな植物があった。
これ、なんだと思われようか。

そう、藤。イタリア語で glicine、グリチネ。満開状態。
ただ、葉っぱが見えない。
これは、日本の藤とは近似種らしいが、中国ルーツの藤
とのこと。イタリアだと、フィレンツェの近くに有名な
藤があるらしい。欧州でも親しまれているよう。
この種類の藤は、花が先に咲いて葉は後になると。
この藤の幹がかなり太い。
そうとうな樹齢ではなかろうか。わからぬが数百年?。
白から、隣の館を見る。
この建物は、今は美術館でもあるが、市庁舎としても
使われているよう。
次に、赤に入る。
受付のおじさんが、やたらと陽気。
こういう人は、市の職員なのか、退職したボランティア
なのか。
こちらは絵画もあるが、こんな部屋もある。
寝室。
鏡貼り。
この赤の館は、1670年代の建築という。
この当時の鏡というと、仏、ベルサイユ宮殿の鏡の間を
思い出す。建築年代は、ベルサイユは1678~84年頃と、
ほぼ同じ。
当時の鏡はかなり貴重なもの。
もちろん、ベルサイユの方が大量の鏡を使っているが。
(余談だが、AI君によれば、当時の鏡はあの、ヴェネチィア
の独占であったらしい。ベルサイユのルイ14世はヴェネチィア
ムラーノ島から職人を秘密裏に引き抜いて作らせた、と。)
もう一つ。
こちらは、上品?!。
枕が一つだが、マダムの部屋か。
こんなものもあった。
明らかに、日本のもの。
今言う、古伊万里でよいのだろう。
17世紀末から18世紀初頭、江戸期。
当時伊万里、有田で大量に作られ、長崎出島、オランダ
東インド会社経由で、最大年間数十万点が輸出されていた。
(今は、有田、伊万里で分けているが、当時はどちらも
積み出し港の名で、伊万里といっていたらしい。
下世話な話、今、これがいくらくらいか、気になった。
調べると、大きくて保存状態がよければ、数百万だそう。
千万の単位ではない。もちろん高額だが、そんなものか。)
フィレンツェのPalazzo Pitti、パラッツォ・ピッティ
にも、いくつもあった。やはり当時欧州のお金持ちで
この東洋趣味、シノワズリが大流行していたのである。
後ろに鏡が置かれている。全体が見えるようにするため
なのであろう。
磁器室、などと呼ばれているようだが、観賞用の
専用の部屋を作っていたらしい。
絵画以外にもクラシックなバイオリンなどの楽器、などなど
貴重で価値のあるものも、もっともっとあるのだが、
このあたりで世界遺産の三館は、終了にしよう。
赤の館を出て、さて、どうしようか。
この先に、Piazza Raffaele De Ferrari、フェッラーリ広場
というジェノヴァでも中心と思われる広場があるので
行ってみよう。
このあたりやはり今も銀行が多いよう。
広場に出た。
あの、イタリア統一の英雄、Giuseppe Garibaldi、ジュゼッペ・
ガリバルディの像。
このフェッラーリ広場は、ラファエレ・デ・フェッラーリという
19世紀のジェノヴァ貴族の家に生まれた銀行家であり政治家の
名前を取っているよう。
(日本人だと自動車メーカーのフェラーリを思い出すが、まあ、
イタリア人の姓なわけだが、発音はフェッラーリが近い。)
広場は銅像のある部分と、噴水のある部分とあって、かなり広い。
パノラマで撮ってみた。
銅像の後ろが、Carlo Felice Theater、カルロ・フェリーチェ劇場
というジェノヴァのオペラ座。
で、驚いた。
赤い矢印を入れたが、Palazzo Ducale、パラッツォ・ドゥカーレ。
今は、ここも美術館になっているらしいが、
パラッツォ・ドゥカーレ、なにか聞き覚えはなかろうか。
そう、ヴェネツィアにあった政庁。
なんとジェノヴァにもあったのである。
ドゥカーレとは、共和国の長、ドージェの官邸であり、
政庁のことで、一般名だったのである。
つまり、ジェノヴァにもドージェという役職があったのである。
(そんなことなので、パラッツォ・ドゥカーレはこの二都市
だけでなく、他にもいくつもあるよう。)
ここで、おもしろいので、宿敵、ヴェネツィアと比較して、
ジェノヴァ共和国の政治を簡単にみてみたい。
たまたま、今回二都市へ行ったが、なにが違っていたのか。
年代的には、ヴェネツィアは697年共和国成立から1797年
ナポレオンによる崩壊まで、ずっとドージェはいた。
これに対して、ジェノヴァは1339年から1797年。
終焉は同じだが、始まりはずっと遅い。
ジェノヴァのドージェの始まりは、やはり中産市民層が
貴族政権を倒したことからのよう。
ヴェネツィアはかなり厳格な選挙を行って決めており、
また徹底的な権力の集中、独占を監視、排除していた。
これに対し、ジェノヴァは個人、有力貴族家の独立性が高く、
軍隊なども共和国のものではなく、それぞれの家のもので
あったという。
これによって、ヴェネツィアは長期の安定した共和国運営が
出来ていた。対して、ジェノヴァは内紛が絶えない不安定な
政治情勢であったと。
(この件、もう少し続く。)
つづく
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