浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



神田須田町・あんこう鍋・いせ源 その1

1月18日(日)夜

さて、また、鍋。

東京下町の老舗鍋店シリーズ?。

神田須田町あんこう鍋[いせ源]。

先日、同じ須田町だが、隣の軍鶏鍋[ぼたん]にきた。

この二軒、毎年、やはりこの時期にきたい。

ただ、今日の最高気温は13.4℃(12時22分)。
平年は9.5℃でやはりちょっと暖かめ。

[いせ源]の場所は今は須田町だが、以前は連雀(れんじゃく)町と
いっていた。
神田、千代田区は江戸以来の旧町名をそのまま使うところが
比較的多いと思うが、連雀町は東側の須田町に
吸収されている。

明治の地図を出してみよう。明治40年(1907年)頃。

現代も。

この旧連雀町あたりというのは、なかなかユニークである。

書くべきことはたくさんあるのだが、
まずは、万世橋駅であろうか。

JR(国鉄)中央線は、東京駅まで繋がっておらずこの
万世橋駅が始発駅であった時期があった。
つまり、ここがターミナルの駅前。駅舎も東京駅に
そっくりのレンガ造りであった。
それで、飲食店が多かった。

また、もう一つ、大きな点が、この界隈、珍しく
太平洋戦争で焼け残った。
少し前はもっとあったのだが、昭和初期の建物が
多く残っていた。
これが古い街並みや老舗が生き残った理由であろう。

もちろん、今は万世橋駅はなくJRのビルと
フォームのあった場所はカフェになっている。

そして、今回は、ここ。
どこかというと、上の地図、万世橋駅前南の三角地帯。
ここ、ちょっとした駅前広場のようなものであった。
万世橋駅前だが「須田町」という、市(都)電の線が
集まるターミナルでもあった。
今であれば、新宿駅前?。
星印を入れたが、この場所に、広瀬海軍中佐像が
あった。もはや、覚えておられる方も少なかろう。

銅像は敗戦とともにGHQの指示で取り払われた。
戦犯銅像として。

なんであろうか、戦犯銅像とは。
戦前は軍神、広瀬武夫
この人は司馬遼太郎原作NHKドラマ「坂の上の雲」にも
出てきた。もしかするとご記憶の方もあろう。
日露戦争旅順港閉塞作戦で戦死。
もちろん、日露戦争の戦死者はたくさんいるが、その後の
いわゆる特攻隊のような作戦に従事し、最初の軍神。
戦前のいわゆる軍国主義教育に使われた。
特に著名であったので、銅像だが、戦犯、という言い方を
されるようになった。

かなりマニアックな情報かと思うが、
この界隈であれば、戦前は皆があまねく知っていた
ものがきれいに忘れ去られた。
忘れ去られ、葬り去られたことは当然のこと
であると思うのだが、この一連のことは、歴史的
事実として知っておくべきことと思う。

と、いうことで、旧連雀町あんこう鍋[いせ源]。
江戸期、天保という、の創業。

以前は予約ができず、店前に出されたストーブに
あたりながら待っていたが、今は予約可。

18時。

例によってタクシーで向かう。

須田町の路地には入らず、外側で降りて、向かう。

右に[ぼたん]があって、左側に甘味の[竹むら]。
その前があんこう鍋[いせ源]。

玄関の右側にショーケースがあって、ここに
以前はあんこうがぶら下がっていたのだが、
今日は見えない。

暖簾を分けて入る。

下足の小父さんがいて、名乗って、下足札をもらって
あがる。

「お二階へ~」。

東京都選定歴史的建造物。
幅の広い木製の階段をあがる。

ぐるっとまわって、二階玄関上、メインの座敷へ。

赤い塗りのお膳の入れ込み。

昨日の[鳥安]は個室であったが、ここは隣の
[ぼたん]同様、各お膳が隣り合う、入れ込み。

客室の造りとして、個室なのか、入れ込みなのかは、
料理やとしてお客の扱い方によって決まっていた
と考えてよいと思っている。
今東京下町に残っている老舗の場合、入れ込みの方が
多く、個室の方が少ないが、原則的には入れ込みの方が
庶民的、かしこまらない。現代において、これは価格の
高低では必ずしもないことに注意したい。

さて。
どこの下町の老舗鍋やはそうだが、いろんなものを
頼みたくなるが、もうこの年だし、他はいらない。
あんこう鍋のみ。

ビールと鍋もきた。

ここは、意外に入っているものの種類は多い
かもしれない。

 

つづく

 

いせ源

千代田区神田須田町1丁目11番地1
03-3251-1229

 

 

 

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