浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草・六区・翁そば

12月11日(月)夜

今日は、雲はあるが最高気温15.5℃(14時12分)。
平年は12.7℃で、15℃を越えるとやはりちょっと
暖かいか。

なにを食べよう。

今日、思い付いたのは、浅草六区のそば[翁そば]。

書いていないこともあるような気がするが、
ちょっと久しぶり?。

ここは、カレー南蛮、かつ、極太そば、という
そばやとしてかなり個性的でレアな存在と
いってよいだろう。
極太というと、やはりちょっとこのところご無沙汰だが、
言問通り北の[角萬]。冷やし肉そばがうまい。

[翁そば]の創業は、大正3年(1914年)。
どうしてどうして、立派な老舗。

あるのは、六区の文字通り細い裏路地。なぜか道が斜め。
あのあたりちょっと不思議である。

六区を含め浅草の中心部、ではない浅草は、かなりきれいな
碁盤の目である。私の住む元浅草だったり寿だったり
雷門(現町名の雷門)も。
このあたりの六区、もう少し北の「花やしき」あたりも
ちょっと斜め。
区画整理のようなことがされていないのか。

元来江戸期最初から、今の浅草の中心部はほぼすべて
浅草寺の境内であり、所有地で、いわゆる公の町では
なかった。また、六区のあたりは、池があったり
田んぼがあったり。また火避け地的な機能もあったようで
原っぱも。そもそもが、江戸期には区画整理されて
いないままの状態であったといえよう。

こんな感じで明治になり、前に書いたように浅草寺
所有が東京市に変わり、興行街にするという方針になった
わけである。
原っぱのようなところは、今の六区の通り(ブロードウェー
といっている通り)など区画整理ができるところは
したようなのだが、興行街の裏にあたるここは、既に
人が住んだり商売をしているところは整理されず、
残ってしまったというようなことではなかったか。
本来、行政の仕事であると思うが、街を興行街として
発展させるのと、きれいに町割りを整備するというのが
行政の両輪になっていなかったのではなかろうか。

明治以降、大正末の関東大震災後も整理するタイミング
があったはずである。大きいところだと、昭和通りなど
東京下町の多くがこの時期に幅の狭い道路の拡張や整理が
多く行われている。
しかし、ここでも整理しきれず残った。
これは、この時期であると、既に(今以上の)一大興行街、
繁華街になっており、明治以上に商売をしている土地の利害
関係者が多く複雑で街を整理をする前に、震災から商売を早く
立て直したい、という人の力が強く、整理できなかった、
のかもしれぬ。
最近も伝法院通り北側で地代を払っていない、形としては
不法占拠という、業者の存在が表面化していた。
盛り場で儲かる場所なので業者は既得権を声高に主張する。
一方、江戸期から浅草寺東京市、後の東京都、そして
台東区と管理する行政が複数関わり、時代とともに
経緯がわからなくなっていたり、整理に時間が
掛かることは多いよう。

閑話休題

[翁そば]では、私は冬はもちろん夏でももうこれ一本。

カレー南蛮そば。

ちょっと縮尺がわかりずらいかもしれぬが、
今の一般のそばの丼と比べて、二まわりほどは
小ぶりなのである。これは、古いもの。
昔は、ざるでもかけでも、盛りの量は少なかった
のである。それで、落語「時そば」にも出てくるが
なん杯かお替りをするのが普通であった。

そこに、ここはすり切り、目一杯入っている。

また、入っている肉は、鶏。
文句をいう人もいるが、これには歴史があるのである。

今は東京のそばやのカレー南蛮は、豚肉を使うところが
多くなっている。脂があった方がカレー南蛮はうまい。
だが、元来は脂は少ないが鶏肉を使っていた。
これは、そばやには鶏肉はあったのだが、豚肉は
なかったから。そばやのかつ丼も、今は自家製とんかつ
のそばやも少なくないが、以前は肉やで揚げたものを
買って使うところが普通であった。
そばやには、大正期のかつ丼誕生以前から親子丼は
あったのではないかと考えている。また、鶏南蛮そば、
などもあったことは想像できる。そんなわけで、
豚肉はなかったが鶏肉はあった。それで、カレー
南蛮も鶏を使っていた、と。(カレー南蛮そばは
おそらく歴史としては意外に古く東京ではかつ丼以前、
明治期からあったと思われる。)

そして、そば。

この太さ。
そして、乱切り。
というのか、テキトウ?。

冒頭に書いた[角萬]もそうなのだが、なぜこんな
太い、乱切りのそばが出来上がったのか。

江戸から続く、粋文化の、東京のそば、で、ある。
それこそこれも「時そば」にも出てくるが、うどん
かと見紛うような太さは、野暮の最たるもので
あったはずである。

まあ、理由は、腹一杯食べたい、であったのだろう。
野暮なんぞ、関係ない、と。

今もここで時に演芸ホールに出演ている、前座、
二つ目の若手落語家を見かけるが、六区は明治大正
から芸人の街、若い芸人は多くいた。やはり安く
腹一杯に食いたい、という人々がたくさんいたのは
容易に想像できよう。([角萬]は六区ではないが。)

味は今の東京のそばやのカレー南蛮ほどのカレーの風味、
辛さも少なく、そばつゆ寄りだが味は濃い。量とともに
十二分に満足、腹一杯。

うまかった、うまかった。
ご馳走様でした。

 

03-3841-4641
台東区浅草2-5-3

 

 

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