
引き続き、スペイン。サン・セバスティアンから
マドリッドへ移動してきた。
翌午前、まずは、王国の首都なので、王宮へ
行ってみることにした。
アトーチャヒルトンからの通りは、旧市街。
そうである。
マドリッドの旧市街の通りに触れておきたい。
まず、マドリッドの旧市街はさすが首都だけあって
広いのだが、碁盤の目ではない。けっこうグチャグチャ。
古い街ほどごちゃごちゃしていそうだが、これは
これで、そうでもないか。ちょっと思い出してみる。
2月のイタリアも、いろいろであったか。
フィレンツェは中世以前からの街だが、意外に中心部は
碁盤の目に近かった。
シチリアのパレルモは同じく中世以前にさかのぼれるが、
こちらは、高低差もありけっこうグチャグチャ。
ミラノは同様に古い街だが、平地、やはり中はグチャグチャ、
なのだが、市を守っていた、市壁があったので、その跡が
環状の通りになっている。これが拡大していったので、
なん重かに囲んでいる、という構造になっていた。
そうである。フィレンツェはミラノよりも小さいが、同じく
市壁の跡の環状通りはある。だが中は碁盤の目という
構造であるのがおもしろい。
イタリアの古い街は市壁があったところが多いのか、
こういう街の環状構造はある程度特徴に挙げられそう。
しかし、意外に、そうでもないところもある。これは街
によっていろんな歴史を辿ったからであろう。パレルモは
おそらくその例。門がいくつか残っていたりする程度で、
環状の通りまではわからない。
付け加えて、挙げたいのはお城、宮殿の位置。
フィレンツェはちょっとわかりずらいが、ミラノと
パレルモは市壁の端に、文字通り、前線基地というのか、
砦というのか、防御施設という位置付けで存在していたと
考えられよう。日本の城と城下町の関係を思い出すと
おもしろい。もちろん様々な例があるが、江戸城を始め、
ざっくり日本の城は城下町の中心にあるのが普通。
イタリアにしてもスペインにしても城、宮殿と、王、領主の
住居は別のこともあったよう。また、城には軍事上いろいろな
使い方があるのであろう。ともあれ、この違いはおもしろい。
さて、今回のスペインはどうか。
まず、最初のバルセロナ。泊まっていたあたりは、
旧市街ではないので考察外だが、きれいな碁盤の目。
全部は歩いてないが、旧市街、Gotic、ゴシック地区。
ここも、まあところどころ碁盤の目に近いところも
あるが、ざっくりいうと、グチャグチャ。
市壁はというと、見てくればよかったが、実はローマ時代
までさかのぼれるようで、発掘した遺跡もあったよう。
ただ、特徴的なのは環状ではなく、ほぼ直線で囲われており、
あえていうと台形。それでであろう、今もバルセロナの
旧市街の境の通りは直線になっている。
サン・セバスティアンの旧市街も碁盤の目。古いことは
古いが、規模が小さく領主が住む街ではなかったので、
考察対象外でよいか。
で、マドリッドは、どうか。上の地図を見ていただきたい。
ここは、割にわかりやすい。環状道路が囲っており、
その北西端に王宮。ミラノだったり、かなり南欧州の
古い街の典型に近いのではなかろうか。
調べると環状道路はやはり市壁の跡のよう。
おまけに王宮の西は崖で下に川まで流れている
これは防衛上好適であろう。
マドリッドの歴史は9世紀に後ウマイヤ朝というイスラム
王朝の街として文献に登場するのが最初のよう。
スペインには、キリスト教勢力がイスラム勢力を南に
追い詰める時代があった。そう、ご存知のようにスペイン、
イベリア半島ほぼ全土が、イスラム勢力の支配を受けていた
時代があった。イスラム侵攻開始が711年、滅亡が1492年、
アルハンブラ宮殿陥落。かなり長い期間である。
キリスト教勢力側からは国土回復運動、Reconquista、
レコンキスタと呼ばれている。
その後16世紀初めにスペイン王国としてまとまり、1561年に
マドリッドに宮廷が移され、ここからが王国の都としての
スタートのよう。
その後、現代までなん度か、短期間他に移ったことも
あったようだが、ほぼ首都として機能していたよう。
ともあれ。
細くなったアトーチャ通りを行くと、突き当り右に
大きな広場が出てきた。
Plaza Mayor、プラサ・マヨール、マヨール広場。
バスク語がそうであったが、スペイン語もzは濁らないよう。
17世紀初期に王の指示で建設が決まったという。
やけに美しく揃った建物だが、なに、ということはない、
らしい。つまり民間の集合住宅なのであろう。
ただ、右に見える騎馬像は建設開始当時の王、フェリペ
3世という。
裏通りを歩いて、坂を下り、出てきた。
王宮。これは観光客の入る門。
王宮はこの右側に巨大な建物として建っている。
左側が、これも大きな王宮用の聖堂。
王宮は、スペイン語でPalacio Real de Madrid、パラシオ・
レアル・デ・マドリッド。
ん!あれ!?。
私は知らなかった。レアル・マドリッド。ご存知マドリッドの
サッカチーム。レアルは、英語だとloyal、ローヤル。
つまり、王(室)の。レアル・マドリッドは、王公認、といった
意味になるよう。
Palacio Real de Madridは直訳すると、マドリッドの王の宮殿
ということになるか。
チケットを買って入ると、白い石とグレーの石で色分けされ
美しい。だが、見ようによっては、シンプルで簡素とも感じる
広大な広場。右に王宮の建物。
これが正面入口。
この正面に向かって左側が西方向で、ここが高台、崖に
なっている。背後が、正門になるのか。
なんとなく、この王宮と前庭を見るとスペイン王国という
国がなんとなく想像できるような気がしてくる。
今の王宮は1751年、フェリペ5世の頃という。
我が国だと、宝暦元年。江戸中期、吉宗時代が終わり、
田沼時代の前。まあ、ここはあまりトピックスがないか。
欧州の王宮というと、フランスのベルサイユ、ルーブルも
元王宮か、は、どちらも見に行ったことがある。
時代的には、こちらよりもベルサイユの方が100年ほど前。
外観、全体像はベルサイユの方がゴージャス?派手?。
こちらの方がむしろ渋い?。
スペインの黄金時代はいつであったろうか。
もちろん、大航海時代。アジアから中南米まで進出し、
植民地化、日の沈まぬ国といわれた。年代とすれば、先の
レコンキスタ後、15世紀から、17世紀中頃あたりまでか。
と、すると、この王宮はその後のものになる。
つづく
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