浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭スペインへ行く その18

引き続き、スペイン、サン・セバスチャン

さて。
サン・セバスチャンなのか、サン・セバスティアンなのか
という問題、で、ある。

日本語表記のことである。
私は、ずっと“チャン”で書いてきた。
ネット上にあるSan Sebastianの多くが“ティアン”。
googleWikipediaあたりは“ティアン”であらかた統一されている。
ただ“チャン”表記のページもネット上には少なからず存在する。
外国語の日本語表記にはどちらが正解なのか、は、ない、
のであろう。まあ、慣習のようなもの。
ただ、最近はキエフではなくキーウなど、できるだけ現地の
発音に近付ける日本語表記にする方向になっているか。
Sebastianは、人名で各国で使われている。国によって多少の
違いはあるのか。試みにスペイン語、フランス語、ドイツ語、
イタリア語(イタリア語はSebastiano)の発音を調べると、
ほぼ皆“ティアン”と聞こえる。唯一、英語が“チャン”と
聞こえる。
まあ、大きな問題ではないのだがスペインなので“ティアン”に
するのが正しそう。と、いうことで、ここからは“ティアン”
表記に変えよう。

閑話休題
翌、朝。

今夜は、予約してある、サン・セバスティアンにある
三軒のミシュラン三ツ星レストランの内の一つ、
[Akelare]アケラレの日。
もちろん、ディナーで、やはり遅い時刻で20:45から。

問題は、この市街地から遠く、とても歩いて行ける場所ではない。
タクシーでも20~30分かかる。
先に書いたように、流しのタクシーを捕まえる街ではなく、
タクシー乗り場へ行かなくてはならない。
電話を掛けて、タクシーを呼ぶのは、語学力上難しい。
はて、どうするか。

ともあれ、予定は、明日はもうマドリッドへの移動。
くる時は、ビルバオからきたが、今度は、サン・セバスティアン
空港。東方向で、ほぼフランス国境だが、ここまではバス。
ビルバオよりも近そう。

と、いうことで、市内をぶらぶらすることに。

明日のサン・セバスティアン空港行きのバス停のある
ところに行ってみようか。
場所は、Gipuzkoa Plaza、ギプスコア・プラサという公園。

昨日、旧市街で古い大聖堂を見たが、ホテルの東方向に、
高い尖塔のある今の大聖堂が見える。
時間があったので行ってみればよかったが、行かなかった。
1899年(明治32年)に尖塔が完成しているとのこと。
まあ、欧州の教会とすればやはり新しい。

ギプスコア・プラサの手前にマーケットと百貨店が
きれいなビルに入っていたのでのぞいてみた。
San Martin Merkatua、サン・マルティン・メルカトゥア(バ)。
1884年創業というマーケット。

やっぱり魚。

バルセロナとあまり違いがないか。

右にムール貝。日本語のムール貝の語源はフランス語のmoule、
ムーリャ。mejillones、メヒヨネス(ス)、muskuilu、
ムスクイル(バ)。

手前にあんこうの頭。
その左に例の四角い平目、turbot、タルボー(仏)、erreboiloa、
エレボイロア(バ)、rodaballo、ロダバッジョ(ス)。

その奥が、またいた、merluza、メルルーサ(ス)、
legatz、レガッツ(バ)。

やはり、ここも海辺の街、魚が豊富のよう。

大通り、Askatasunaren Hiribidea、アスカタスナレン・
イリビデア(バ)、自由大通りを越えて2ブロック。

目的の、ギプスコア・プラサ(公園)に着いて、バス停で
空港行きのバスを確認。バスターミナルでもなんでもない、
ただのバス停。

ギプスコア・プラサ。

中央が、バスクの旗。
ギプスコアというのは、ここの県の名前。
で、正面の建物が、県庁。この街は県庁所在地。

カタルーニャ同様、バスク州は独立意識が強く、自治州。
地域とすると、バスクといっているのは、これも知られて
いるが、ピレネー山脈をはさんで、フランス側もバスク
範囲に入っている。

で、ちょっとだけgoogleのGemini君の力も借りて
バスク地方について調べてみた。

バスク民族というのは、欧州最古の民族などとも呼ばれ、
バスク語というのは、インドヨーロッパ属に入らない、
独立した言葉という。
これは山に囲まれたヨーロッパの端で戦乱の時代も長く
独立が保たれたから、という。
中世にはナバラ王国というのがバスク民族の国であった。

カタルーニャとの共通点、相違点で見ると、わかりやすそう。

どちらも、経済力が古くからあった。
海辺で交易、漁業。バスク地方は、中世、捕鯨の欧州一
の大拠点として大いに栄えたよう。
また、近世以降はビルバオの鉄鉱山も大切な収入源。
産業革命後のスペインの工業はバスクカタルーニャ
中心地といえるよう。
共に、稼いだ分をスペイン政府に吸いとられている、
という意識が強い。

また、フランコ独裁政権時には、バスクカタルーニャ
ともに言葉の使用禁止、自治権の剥奪などにあう。
ピカソの絵画、ゲルニカで有名だが、スペイン内戦時の
フランコ軍に味方するドイツ軍によるゲルニカ市の無差別
爆撃はこのバスク州

相違点は、カタルーニャは、比較的穏健な独立運動
これに対して、バスクは2018年に解散したが、戦後、
フランコ独裁政権時1959年に結成されたETAという
武装組織による独立闘争が続いていた。
バスクは過激な人もいた、ので、あった。

また、先に古くからのバスク民族の独立性を書いたが、
カタルーニャは民族、言語的には、スペインよりも
イタリア、フランスに近い、いわば東の国々の仲間、と。

なぁ~んとなく、両地域の歴史的背景による特質が
わかってきたような気がする。
(こうなってくると、逆に、スペイン王国という国は、
どんな国なのか、が気になってくる。)

さて。
ギプスコア・プラサのすぐ隣に、二軒、日本料理店が
あったので、その内の一軒に、どんなものか、入ってみた。

ビール。

ケレル、と読むよう。
なんと、ドノスティア、サン・セバスティアン
地元のビール。

 

つづく

 

 

 

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