
4807号
引き続き、浅草[弁天山美家古寿司]。
つまみ、たこと鰹、にぎりにかえて
すみいかと、鯛まで。
次も、白身。
平目。
昆布〆。
これも厚切り。
水分がほどよく抜けて、うまみが加わる。
江戸前鮨の技。
昆布〆、はて?、どこのものなのか。江戸?。
ここを含めて、江戸前を看板にする鮨やでは
必ず用意しているが。
これ、調べると、すぐにわかった。
農水省のよれば、昆布〆は江戸期富山で産まれている、と。
発祥である根拠はわからぬが、農水省なので、間違いは
ないのであろう。(検証が必要な気もするが。)
私も、富山、金沢などで昆布〆は食べている。鮨やなど
だけでなく、家庭でも広くやられているもののよう。
いわゆる白身魚だけでなく、北陸で好まれている、
かじき、あるいは、富山湾名物の鰤(ぶり)、さらに貝類の
ものまである。あちらでは東京などと比べても、圧倒的に
昆布〆は一般的である。
生魚の保存法でもあり、うまくもなる。
富山などでは、江戸期、蝦夷(北海道)からの
北前船の寄港地で、現代でも昆布の消費量は全国有数。
コンビニでは、とろろ昆布を巻いたおにぎりは定番
である。我々には考えられぬほど昆布が日常的に
使われている。
では、この昆布〆はいつ、江戸東京に入ってきたのか
で、ある。
はっきり書かれているものがあるのか、これ自体も私は
情報を持っていない。
ここからは私の推理になる。
これ、意外に、新しいのではなかろうか。
江戸期を考えると、蝦夷の昆布は北前船経由だとすると
上方(関西)からさらに送られたもの。おそらく江戸では
高価なものであったと思われる。と、すると、にぎり鮨が
産まれた頃、文政期(19世紀初め)には昆布〆はまだなかった
のではなかろうか。江戸期のにぎり鮨の浮世絵などでは
魚介類はゆで海老、小肌、穴子、ゆで白魚、煮いか、春子、
きす、鯖(押し寿司)、鯵、みる貝、あたり。江戸後期から幕末の
基本文献「守貞漫稿」を見ても、それらしいものは書かれて
いない。ヅケのまぐろでさえ幕末の登場である。
やはり昆布〆は江戸東京では明治になってから、と考える
のが自然なのではなかろうか。
次は、しまあじ。
これは、ノーマル。うまい。
ここから、光物。小肌。
先の江戸期のものにも名が挙がる、にぎり鮨でも
古株で、私は江戸前の真打だと思っている。
そこそこ大きなもののようだが、流石にプロの仕事。
大味になっていない。
そして、鯵。
これもここでは、浅めだが酢〆。
生とはまだ別の物として、うまい。
〆鯖。
炙ったもの。もちろん、バーナーではない。
香ばしくうまい。
貝類。
あれば必ず頼む、平貝。
貝類も、ここはほとんど生はなく、甘酢漬け。
サクサクで、うまい。
そして、つまみで出た、蒸し鮑。
長く切っている。にぎりでもむろんうまい。サクッとした
歯切れが愉しい。
海老。
もちろん、さいまき海老。
これも甘酢漬け。内儀(かみ)さん好みに
おぼろをたっぷりはさんでくれた。
そろそろ終盤。
まぐろヅケ。
特に言ったわけではないが、これ中とろ。
もともと、ヅケといえば赤身であったが、こちらの方が、
確実に、うまい。もったいないようだが。
しょうゆに漬けることで、アミノ酸が増えうまくなるが、
これに適度に脂がのった身がまさに堪えられなかろう。
海苔巻。
海苔巻といえば、干瓢巻。
さび入り。
先の江戸期の史料にも出てくるが、おそらく
初期の海苔巻は玉子焼きなども使ったようだが、
干瓢も登場する。おそらく、まぐろの鉄火は、明治以降。
まあ、まぐろ自体、江戸期にはあまり食べられて
いなかったから。
そして、内儀さんの最後のお決まり。
玉子焼きと、おぼろ。
もちろん、ここの玉子焼きは、昔からの江戸前流。
味としては、伊達巻を思い浮かべるといい。
玉子が貴重だったので、海老や白身のすり身を混ぜている。
今は、こちらの方が手間も費用も掛かるが。
以上、ここまで。
いつも通り、うまかった。
勘定は27720円也。
ご馳走様でした。
台東区浅草2-1-16
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