浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鳥越祭2025年 その2

4788号

引き続き、今年の鳥越祭。

これが新調された半纏の背中。

丸いところに、七軒。

毎度書いているが、この印(しるし)のデザインというのは、
これが、特にということではないが、なかなかのもの
ではなかろうか。洗練されている。現代でも十分に
お洒落であろう。

まあ、町名をデザイン化しているのだが、各祭、各町会
すべてでオリジナルにデザインされている。
一体どのくらいあるのか。
台東区千代田区中央区、港区、墨田区江東区
あたりを中心に、周辺部を含めていったい東京になん町
あって、半纏はなん種類あるのか。かなりの数であろう。
一度、全部を集めて写真集にしたいくらい。

江戸文字、勘亭流などというが、大相撲、歌舞伎、寄席
などで、それぞれ微妙に感じが違うが独特の太い筆致の
書体で、今でもむろん専門に書く書家がいる。
ちなみに勘亭流は、フォントにもなっており、この日記の
ちょうど今回の「鳥越祭」のタイトル画像は勘亭流である。
半纏に使う町名の印はこの江戸文字を原形にさらに丸く
デザインしているわけである。
現代に生きている江戸東京オリジナルのデザインとして
希少なものと考える。

さて、土曜日の町内神輿。

担ぎ始めて、右が神輿のテント。

左衛門橋通りを渡る。

土曜日の町内神輿は、勝手にあちらこちらを担ぐのではなく、
連合渡御といって、広い鳥越神社の氏子町の内、いくつかの
地域ごとに集まって担ぐ。

範囲としては、七軒町は元浅草全体付近を各町神輿が列に
なって担ぐ。
私は途中でリタイアしてしまったが、暗くなって
提灯に灯が入ったものを内儀(かみ)さんが撮ってきた。

こんな感じである。夜は、9時頃まで。
おそらく皆さん、酒も入って、くたくたであったろう。

さて、翌日は、神社の神輿、本社神輿といっている
ものの各氏子町内の渡御。
朝早い宮出しから、やはり夜9時ごろの宮入りまで
一日を掛けて行われる。まわる順路は毎年違っている、
今年、当町は、遅く17時から。北隣の永住町から、
春日通りを越えて、小島二西へ。

ということで、私はほぼいつもの日曜。
昼すぎ、郵便局へ行く用があり、田原町へ。

なにを食べよう。ちょいと久しぶりだが[尾張屋]。

これも久しぶり、上天丼にしよう。

もちろん、ここは浅草でも老舗のそばや。
元祖断腸亭、永井荷風先生も晩年昼飯をよく食べていた。

そばやだが、巨大な海老天の上天丼が看板なのである。

昨日も予報通り、降られなかったが、今日も曇天だが、
最高気温28.6℃(13時42分)。だが、さほど蒸し暑くはない。

鳥越祭もここなん年か、降られていないではなかろうか。

13時半頃。日曜だが、そう混んではいない。

上天丼。

お重から、はみ出した大海老天。

二本。

この海老、大きいが車海老。
車海老は、それこそ、江戸前天ぷらなどに使う、
小さなものからこんな大きくもなる。
もちろん、ちゃんとプリプリで、うまい。

お新香とお吸い物。
飾り切りをした蒲鉾と麩と三つ葉、ゆず入り。

さて、16時半。またまた、半纏を着て、出る。

一つ前の永住町との受け渡し場所の少し手前角。

お分かりになろうか、彼方に巨大な本社神輿。
手前に本社神輿に付いている睦全体の幹部の皆さん。
そして、白い、昨日書いた神社の印入りの“法被?”を着た
若い衆が運んでいる黒いものが、神輿の台、ウマ。

行列の先の手古舞(てこまい)のきれいなお姐さん。

昔は、芸者さんがやったという。これ女性なのだが男装
なのである。

受け渡し場所で待つ、鳶頭の皆さんなど。

永住町の担ぐ本社神輿が近づいてきた。

千貫神輿などという、巨大なもの。

終了。

後ろへ下がり、引き渡しの神事。わ組、ほ組、鳥越神社、七軒町の印が見える。

七軒町に交代。

担ぎ始め。

七軒町、神酒所前。

春日通りに出る。

これだけ大きな通りも交通をとめてしまう。

いきなり細い通りへ曲がり、

終了。

以上ここまで、お疲れ様でした。

 

 

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