浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



歌舞伎座 八代目 尾上菊五郎襲名披露 團菊祭五月大歌舞伎 その7

4774号

引き続き、歌舞伎座の八代目菊五郎襲名披露興行。

ここから二幕目、第一場 極楽寺屋根立腹の場

捕手に追われた弁天の新菊五郎極楽寺大屋根に
追いつめられる。

ここは斜めになった大屋根の大道具の上での立回りが見どころ。
よてん、などともいうが多数の捕手が登場し、その呼吸が
見せ場であろう。

菊五郎がインタビューで語っていたか、イヤホンガイド
であったか、菊五郎劇団にはこうした捕手などの演技を
専門にする役者さんもいるらしく、その高齢の大御所さんが、
若親方の晴れ舞台だからといって、登場しているという。

一方。
この幕、ここだけだと、話の筋がやはりわからない。
今回のようなおめでたい公演で、観ているお客もほぼ
内容はわかっているのでよし、とするのか。

「青砥稿花紅彩画(あおとのぞうしはなのにしきえ)」という
お話は、全体ではかなり長い。
まあ、ほとんどの歌舞伎がそうなのだが、やはり初見の者には
あらすじや、ガイドを聞いてもほんとうのところは、わからない。

毎度書いているがこれが歌舞伎素人にはハードルの高いところ。
通し、といって、頭から全部を上演するものを観る必要がある。
トウシロウこそ通しを観るべきである、というのが私の持論
ではある。

これだけ有名な芝居でも通しで上演されることはかなり稀。
私は、十年以上前になるが、歌舞伎座で上演されたものを
一度だけ観たことがある。

ただまあ、滅多に上演されない。

私などよりも、ずっと長く歌舞伎を観ている方は、一度は
観ておられるのであろうか。
こんなレアものでも観るべきかどうか、という議論になる。

同じ黙阿弥作品でも例えば「三人吉三廓初買」という作品
がある。これも超有名な「大川端庚申塚の場」。
月も朧に白魚の・・・の、あれ。
この作品もここだけが、あまりにも有名で、通しで上演
されることは、稀。
ただ、この作品は、通しで観るべきものと考える。
かなりの長編だが、頭からお仕舞まで観ると、かなりの
問題作であることがわかり、現代的にも作品性はかなり高い。
幕末の作品だが、当時の“悪党の世紀”とも呼ばれる
治安の悪化した社会背景があり、黙阿弥の白浪ものが
生まれていること、また、江戸落語にもある人間の業の肯定、
といったテーマが描かれている。
深いのだが、グロいともいえる。

では「青砥稿花紅彩画」を全部観ればそこまでのテーマが
あるかといわれると、まあ、そうでもない。よくある、
因果、因縁ものといってよいか。
じゃあ、観なくてもよいではないか。ああ、そういう
お約束ね、と。

実際、今、この芝居はそういう扱いで上演されていると
いってよいのであろう。
私のような好事家だけが無理して、通しを観ている?。

三人吉三」の方もあまりに重いので、通しは上演されない、
という側面もおそらくあろう。

エンターテインメントだからそれでよい?。
そうかもしれぬ。
だが、やっぱりそれだけでよいのか、と、私は思うのである。

作品性の高い「三人吉三」と「弁天娘」を同列に議論するのも
違うのだが、同じ作者の歌舞伎というエンターテインメンと
として上演されるもので致し方のないことであるのも
理解はできる。
結論は出ないのだが、やはりこの事実は知っておいて
ほしいことであると思う。

ともあれ、次は、第二場 極楽寺山門の場

筋を追うのはやめる、とすると、ここは山門で
日本駄右衛門團十郎が山門の二階部分に登場する。
ちょうど、石川五右衛門のご存知「絶景かな絶景かな」、
のオマージュ。(これは「楼門五三桐」という芝居。)
やはり、捕手がくるが、追い払う。

そして、第三場 滑川土橋の場 これが今日の大詰め。
幕が開き、板付きで七代目菊五郎。傍らに八代目。
この二人は、日本駄右衛門を捕らえる側。

山門からうかがっていた日本駄右衛門は潔く
捕らえられよう出るが、情けある七代目は、見逃し
後日改めてとし、幕。
曾我兄弟の大切りのような幕切れでお仕舞い。

まあ、これ以上ない、お約束の大喜利大切り)。

(完全に大余談。
大切り大喜利とは、今、バラエティー番組でお題に
対していかによくぼけられるか、という内容になっている。
三重、四重くらいに、転じていると思われるが、ご存知であろうか。
もはや、最初がわからない。
元々は、芝居や人形浄瑠璃の一幕(段)毎の最後を切り、
四段目の切り、などといい、最後の最後を大切りと言って
いた(る)。で、客商売で大切りは縁起がわるいので、
大喜利に書き換えた。

今も、今回のような幕の切り方の時に、座長格の役者
今回であれば、七代目が、本日はこれ切り、と言って
幕を引く型がある。これを、切り口上という。
お目出度い舞台なので切りは言わないのであろう。
また、ピンからキリまでというが、最後をキリ(切り)
と言っていた。これは博打用語でピンは一、キリは十二。
花札で十二が最後、また、十二は桐なのでシャレにも
なっている。
いずれにしても、日本語でキリは、切りで、意味は最後。
(これには異説もあるようだが、私はこちらを取りたい。)
キリ、切り、がいい、も例に挙げられようか。

おそらく、今の大喜利日本テレビ笑点」のお題を
出して芸人が答えるというあの形式の企画からきている。
あれは今はまずなく私も寄席で実際には観たことはないので
推測ではあるが、寄席で、多くは月末のその興行の最後の
日の最後に、余興として、大喜利大切り)といって、出演した
落語家が並んでああいった企画をやっていた。舞台用語として
先の歌舞伎から入ったと思われる。これを談志家元が番組に
したのが日テレの「笑点」。これは談志家元が言っていたと
思われる。こんなことではなかろうか。
閑話休題。)

お約束で出来上がっている歌舞伎らしいお祝いの
舞台ということになろうか。
まあ、これはこれでよいのであろう。

7回に渡って、八代目菊五郎襲名披露公演と、
初代からの菊五郎にもさかのぼってもみた。

これを書いていて、昼の部も観てみなければと
さすがによい席はもうないが、昼も取ってみた。

昼は、團十郎と八代目で勧進帳、八代目と菊之助玉三郎
加わって、道成寺
團十郎との勧進帳は八代目の希望のようであるし、
道成寺は、音羽屋十八番といってよい大切な演目なので。

ということで、こちらも大喜利

 

 

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