4773号
初代から菊五郎をさかのぼってきた。
そして、いよいよ七代目菊五郎。昭和17年(1942年)生まれ。
七代目尾上梅幸の長男。
この人、私が歌舞伎を観始めた頃にはもう既に人間国宝の
大御所で、若い頃はほぼ知らない。
20代のまだ菊之助時代に、昭和41年(1966年)NHK大河
「源義経」に主演。スターの地位を獲得し、同時に静御前
として共演した藤(富司)純子と後に結婚している。
昭和48年(1973年)七代目尾上菊五郎を襲名。
平成15年(2003年)人間国宝認定。
六代から続いて、菊五郎劇団を主宰し国立劇場で定期的に
興行を行っているのを、書いている通り私も毎年正月に
観ている。
六代目は昨日書いたように、松竹の歌舞伎座に対峙し
市村座に籠ったこともあり、独立して芝居興行を行う
気風というものが受け継がれているのであろう。
歌舞伎ではいわゆる成田屋だったり、大看板の親方が一門、
多くの弟子を抱えているわけだが、一門以外の役者も抱えて
公演を行なうのが劇団ということになろう。
国立なので、途絶えていた作品を掘り起こしているものも
多く、かなりのバリエーションのある芝居を座頭(ざがしら)
として手掛けているといってよいだろう。
もちろん、七代目も「弁天娘女男白波(青砥稿花紅彩画)」
「京鹿子娘道成寺」といった音羽屋お家芸は当たり役。
平成28年(2016年)歌舞伎座で予定していた舞台を体調
不良で休演。
令和5年(2023年)「脊柱管狭窄症、座骨神経痛」であることを
明かしている。一昨年正月の国立も舞台で観たが、舞台に出て
幕を開けるいわゆる板付きで、立つのも辛そう、また、口調も
心もとなく見えたが、今年の正月は、足元も口跡もかなりの
回復が見えた。
今回の襲名興行も無事に越えられそう、なのか。
だが、なんといっても今年83歳の高齢で、ファンの一人
として、大事にされ、八代目を見守られることをお願いしたい。
今月、五月は襲名披露興行であるが、團菊祭という
サブタイトルも例年通り付いている。襲名をここに合わせた
のであろう。
歌舞伎界は、團菊、成田屋市川團十郎家と音羽屋尾上
菊五郎家が歴史的にも、今も二大巨頭であることは間違いない。
團十郎襲名にあたって、團十郎は自ら白猿(はくえん)と付け、
今も白猿は看板などの表記にも使っている。自ら、先代、
先々代など歴代の團十郎の足元にも及ばない、と言ってもいる。
まあ、役者というのは、持って生まれた才能というのは
もちろんあるのであろう。
私などは、40代、50代の世代ではピカ一と、期待していた
猿之助があんなことになってしまい、また、コロナ禍も
あり火が消えたようになっていたと思われる。
八代目菊五郎はそつのない名優、真面目で物静か、
ゴリゴリと引っ張っていくタイプではないと思われる。
この襲名披露を観ても期待は大きかろう。同年の團十郎と
共に同じ舞台に立つことで團十郎への好影響もあるように
今回見受けられた。
ちょっと、まとめのようなことを書いてしまったが、
まだ、芝居は続く。
「弁天娘女男白浪」浜松屋見世先が終わって、
次が、稲瀬川勢揃い。
ここも超有名であろう。
この芝居「白波五人男」ともいうが、この幕のこと。
白っぽい揃いの浴衣のような着物を着て、傘を肩に
一列に並び、一人ずつ名乗りを上げる。
ここも、ご存知、であろう。
傘には、劇場前にあった人力車に書かれていた、
志ら浪と入っている。
登場は華やかに、花道から。
で、これが、皆、子供達、なのである。
この前の浜松屋は書いたように弁天が新菊五郎、南郷力丸が
松也であったが、同じ役も役者が変わるわけである。
まるで、どこかの素人子供歌舞伎のようだが、違うのは、
この子たちは皆、大看板の子息達。
弁天小僧菊之助が新菊之助11歳、忠信利平が亀三郎12歳、
(坂東亀三郎、口上にも出ていた楽善の孫、父は
坂東彦三郎。この家は、家系的にも近く音羽屋。
国立の芝居でもよく観る。菊五郎劇団といってよいのか。)
赤星十三郎が梅枝10歳。(中村梅枝、萬屋。時蔵の長男、
時蔵家も国立でよく観る。同じく菊五郎劇団といって
よいのか。)
南郷力丸が真秀12歳。(尾上真秀(まほろ)、ご存知
寺島しのぶの子息、七代目の孫。正月の国立にも新菊之助
とともに必ず登場している。どうでもよいが、お父さんの
フランス人ローラン・グナシアさんは真秀君が出演る
舞台には必ず劇場にいるよう。煙草を吸われるようで、
休憩時間に喫煙室や、近くのカフェで私は必ず見かける。
真秀は本名だと思うが、今後歌舞伎役者としてもやっていく
のであろう、役者としての名前を付けないのであろうか。
子役のうちはこのままかもしれぬ。)
親分の日本駄右衛門が新之助12歳。(ご存知、團十郎の長男、
勸玄君。)
ということで、五人、10歳から12歳。
弁天、菊之助が先頭で、花道でひとくだり。
観ていて、心配してしまう。五人で割り台詞。
ちょっと時間が掛かるのだが、それぞれ傘を片手で真っ直ぐ
立てて前に持つ。花道のすぐ下なので、よく見える。この年
ならば、手が震えてき、段々に下がってきそうなものだが、
さすがに十分に稽古を積んでいるのであろう。子供と
いっても流石にプロ。歌舞伎というのは、身体、手足は
もちろん頭から、顔、目線、形を決めて動かないというのは、
やはり基本中の基本なのであろう。
ここから、本舞台に5人移り、右端が親分の日本駄右衛門、
新之助に変わる。
ここの黙阿弥の七五調の台詞も、まったく有名。
日本駄右衛門から、
問われて名乗るもおこがましいが、産まれは遠州浜松在、、(略)。
次が弁天、そして忠信利平、
(前略)(私、落語「居残り左平治」にこの部分が出てくるので、
憶えているのである。思わず声を揃えて言ってしまう。)
幼児(がき)の折から手癖が悪く、抜参(ぬけめい)りからぐれ出して
旅をかせぎに西国を、廻って首尾も吉野山(後略)
赤星十三郎、南郷力丸
さてどん尻にひけえしは、、、(後略)。
10歳そこそこで、これだけの台詞をちゃんと歌舞伎の
発声、イントネーションで憶えているのも流石、大看板の
家の子供。この年だが、これからこの人生を歩いていく
という覚悟があるのであろう。
捕手(とりて)が出てきて、幕。
つづく
「白波五人男稲瀬川勢揃組上げ五枚続」
これ、ちょっとおもしろい。東京とあるので、明治のもの。
切り抜いて、パノラマを作ろうという子供用のものなのである。
この種の工作用のもの、実は江戸から多く出版されている。
弁天小僧、尾上菊五郎/日本駄右衛門、市川八百蔵/赤星十三、沢村訥升/
忠信利平、中村芝翫/南郷力丸、市村羽左衛門
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