4762号
さて。今回のイタリア旅行、まとめを書いてみよう。
昨日書いたように、イタリアという国は街によって
随分その印象が違っているのだが、このことについて少し
考えてみた。で、これはちょっとレポートのようなことで
長くなるので、後回しにして、先に今回のイタリア旅行に
ついていくつか書いてみたい。
まず、料理日記なので、一番、うまかったもの。
どれ、というのは絞りずらい。ただ、フィレンツェとミラノで
ミシュラン星付きのレストランへ行ったが、私の知識のなさもあって
ちょっと響くものがわからなかった。
イタリア、おそらく欧州の人気?、先端?レストランはこんな
感じになっているのであろう、と。であれば、これは、また
リベンジしたい。
で、それ以外、ということになるのだが、どこの街でも例えば
ファストフードや、スーパーで売っている、ハム、チーズ類まで
含めて平均値が高い。ほぼまずいものはない、ということ。
これが流石、イタリアといってよいだろう。
例えば、日本と比べると、日本もうまく、平均値はそこそこ高いが、
イタリアの方が平均値はもっともっとずっと高い。
差は大きいだろう。いわゆるイタリアはマスプロではない?。
わからぬが、日本のスーパーコンビニ、ファストフードで売って
いるものは30年、40年前と比べれば格段にうまくなっている
とは思うが、それでもどこかレストランや個人営業のラーメン店
などと比べれば、差は大きい。
イタリアは、 特に、伝統的なもの。ハム、ミラノのリゾット、
カツレツ、オッソブッコ。フィレンツェのビステッカ、カルボナーラ。
特に、有名なところでなくとも、うまい。
ハム、チーズなど伝統的な加工食品のレベルの高さ。
スーパーで売っているもの、街のトラットリアでも、昔からの
手作りに近い製法でちゃんと作られている、ということなのか。
日本は、ラーメンだったり、安くとも新しく尖ったもののレベル
が高い。これは、ちょっと特異な世界なのかもしれない。
また、日本が誇れるものは、魚の扱い。これは他のどこの国にも
負けない、世界一であると考えるが。
次。一番、印象に残っているところ、こと。
名もなき教会。
特にフィレンツェが凄かったが、建築、美術品の大洪水。
ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ先生の「最後の晩餐」、
などなど、世界遺産など一般の評価の高いもの、をたくさん
たくさん、観た。はっきりいうと、トウシロウは、疲れてしまった。
まあ、これこそ、よい経験になった。知識と免疫が少しできた。
おそらくまた、同じようなものに接した時の反応が違うのであろう。
そこへ行くと、ふと入った、ベルガモの名もなき教会の
美しさ、レベルの高さには、驚き、感動した。
フィレンツェ、パレルモ、ミラノでも目が行かないだけで、
無名でも素晴らしいものたくさんはあったよう。
イタリアの古い街の懐の深さというのか、裾野の広さ。
これが、イタリアである、と。
し残したこと。
他に行ってみたいイタリアの都市、ということになるが、やっぱり
もう一つとなると、かの、ヴェネチア。ヴェネチア共和国として
大繁栄した街。内儀(かみ)さんは行ったことがあったと思うが、
今回のシリーズに加えると、ここ。
大都市として、トリノ、ジェノバ。ミラノと並ぶ経済都市だが、
似たようなもの?、わからぬが。
もう一か所、忘れてはいないか?。そう、ナポリ。
ピッツァの本場。また、フランス統治時代の遺産。行っては見たい
のだが。ただ、南部の治安のわるさは有名。パレルモと比べて
どうなのか、これもわからぬ。
そして、食い物だと、ボローニャ。ご存知のミートソース、
それからミラノ同様別のものだがカツレツもある。やはり本場の
ミートソースは食べてみたい。
また行ってしたいこと。
先に書いたが、星付きレストラン、探訪。これは、リベンジしたい。
さて。
街による違い、の、件、で、ある。
なぜ違うのか、というと、一般にもよく知られているが、
イタリア王国統一は1870年あたり。
155年前で、そんなに古くないのである。
これも、ここまでなん回か書いてきたが、日本だと明治3年。
なにか、日本と似ているようにも見えるが、イタリアという
国はそこまで存在していなかったのである。
ただ、イタリア民族、イタリア文化、というのは一応それ以前から
認識はされてきたようだが。
さまざまな国や勢力に統治されたりもしてきたが、古代から
ずっとミラノはミラノ、フィレンツェはフィレンツェ、シシリアは
シシリアで別個の“国”として存在してきたわけである。
別個に存在してきた時間の方が圧倒的に長い。
そりゃ、独立色は強いだろう、と。
食い物も違う。
ちょっと、これを我が国と比べて考えてみたのである。
先に書いたがちょうどイタリアの統一と、日本の明治維新が
同時期なのはおもしろい。もちろん、これは偶然ではなく、
世界が、近世から近代へ移り変わる時期の、必然という見方が
できるか。
ともあれ。
地方毎の独自性が強いということは、現代的には地方創生、
地産地消、など我が国でもよいことではないか。
我が国は、地方の独自性が、むしろ、どんどんなくなって
いるのが現代で、それで困っている。
東京一極集中、地方の空洞化、消滅可能都市、、なんという。
これはどういうことなのであろうか。
そういえば、地産地消、というのもアグリツーリズムなどと
並んで、ヨーロッパ全体だが、特にイタリアで盛り上がって
いったと考えてよいか。
イタリアは見てきたように特に歴史的に地方の独自性が強く、
ごく自然な成り行き。むしろトスカーナはトスカーナ、
シチリアはシチリア、ロンバルトはロンバルトで完結したい
と住民は考えるのであろう。
アグりツーリズムような考え方は1965年あたりから始まっている
ようだが、イタリア統一後100年程度の頃である。ある種の
揺り戻しといってよいのかもしれぬ。
では、我が国における、地方の独自性とはどんなもので
あったのか。ここから考えてみよう。
歴史的にさかのぼると、どうであろうか。
日本だって、天皇(朝廷)であるとか、将軍(幕府)であるとか、
古代、古墳時代以降は一応中央集権体制ではあったが、江戸期で
あれば、封建大名がおり、内政は独立性のある藩体制であった
わけである。
イタリアとの違いを挙げるとすると外交。イタリアは各“国”が
独立した外交をしていた。
日本では戦国あたりは、大名が独自に外国と交易を行っていた
例もなくはないが、江戸期になれば、密貿易や薩摩の幕府許可の
琉球貿易は例外として、基本、藩には外交権はなかった。
この違いは大きいといえよう。
それ以前、室町、鎌倉、平安期も、基本、外交は朝廷、幕府が
担っていた。(これも多少の例外はあるが。)
イタリアは大陸と地続き、我が国は東アジアの端っこの島国。
この違いは大きいか。攻めるのも、貿易をするにもちょっと手間
がかかる。
同じような地政学的位置にあるイギリスを思い出す。スコット
ランド、ウェールズなど、やはり“国”に分かれていたが、
イングランドが強くなり、1707年に統一。
日本、イギリスは、各地域が独立しずらい環境であった、と、
いえるのか。島なので完結しやすい、と。
もう少し続けよう。
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