今日は路麺(立ち喰いそば)二題。
4154号
8月19日(金)第一食
路麺・仲御徒町[かめや]
あまりにも暑い日が続くと、冷たいものでもそば、
という気分にならないのが不思議である。
数日前から少し涼しくなった。
TVでは秋晴れという言葉を使っていた。
まあ、立秋をすぎたので間違ってはいなかろうが、
さすがに違和感があろう。
へでもと、考えた。
涼しいといっても気温で30℃は越えており、
それなりに暑い。
真夏のここであれば、冷やしまかないそば。
ぶっかけ、で、ある。
温泉玉子、天かす、わかめ、とろろ、ねぎ、
きざみ海苔。
すっかりかき混ぜて、手繰る。
具沢山でうまいぶっかけそば、で、ある。
03-3833-1380
台東区台東3-41-4 加藤ビル 1F
8月20日(金)第一食
路麺・日暮里[一由そば]
私が、路麺といっているのは、ただの立ち喰いそば
ではなく、正確には個人営業の、という冠を
付けていた。
やはり、あたり前だが個人なので営業努力を
しなくてはいけない。
チェーンとはまったく志が違う。
そして、店ごとに個性、特徴がある。
だが、この都内でも昔からあった個人営業のところが
一つ二つとなくっており、寂しい限り。
私が行くところも減る一方。
それで、チェーンでも多少特徴のあるところを
路麺という呼称を付けるようにしている昨今、
である。
そこで今日は、自転車で行くにはちょいとあるが、
日暮里の[一由そば]。
ここは正しい“路麺”であるし、
なにしろ元気がある。
私が行き始めて、そう長くはないが、24時間営業。
深夜にお客がどのくらいいるのかわからぬが。
[一吉そば]は日暮里駅前。
町名は荒川区、西日暮里。
ほんの少し昔のこと。
日暮里は古くは、新堀と書いていたよう。
ただ、ちょっとおもしろいのは、実際の新堀村は
もう少し北西の、今の西日暮里駅あたり。
日暮里駅、JRの向こう側は台地で谷中墓地やら
天王寺があって、台東区谷中。
明治の頃まで谷中という地名がこの台地の下の
日暮里駅の東まで続いていたのである。
今回は、明治25年(1892年)の地図を出してみる。
現日暮里駅と思われる付近に書き入れた。
表記は日暮里だが荒川区はまだなく、北豊島郡
日暮里村内で谷中本村となっている。
鉄道はできているが日暮里駅ができるのは明治38年
(1905年)。
味噌をつけて食べる谷中生姜というのがあるが、
由来は谷中村で作られていたもの。
今の台地上の谷中は江戸の頃から寺の多いところで
実際に作られていたのは、谷中村の平地であった
この日暮里駅前あたりの畑であったよう。
閑話休題。
拙亭のある元浅草から自転車で30分はかからない。
[一由そば]は駅前の再開発ビルの裏。
尾久橋通り手前の路地裏。
ほんの小さな店。椅子はほぼない。
1時頃到着。
ほぼ満員。注文の列に付く。
少し前にツイッターで「山形だし」なるものを
始めたというのを見た。
おくら、茗荷、なす、きゅうりなどの夏野菜を
冷たいつゆに入れたもの。山形の名物なのか。
これに[一由]名物の下足天を入れよう。
カリカリに揚がった下足天もうまいし、
冷たい野菜のつゆもうまい、、、のではあるが、
いかんせん、店内が暑すぎる。
汗だく。
丼を持って、外に出て食べている人まで
出てきている。
ともあれ、食べ終わる。
暑かったが、うまかった。
たまにはここにもこなければいけない。
荒川区西日暮里2-26-8
03-3806-6669
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