浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



カリーライス・神田・エチオピア

4124号

7月6日(水)第一食

さて[エチオピア]、で、ある。

名誉のために、というのもヘンだが、
やはり、本店へ行かねばと、考えた。

前号、上野の[デリー]のところで
エチオピア]の支店の味がもう一つである、
と書いた件。

調べたら、去年も同じようなことをしていた。

まあ、懲りもせず、いつも同じようなことを
しているものである。
季節も7月、まったく同じである。

今日もだいぶ涼しい。
ただ、日は出ており、日なたは避けて
通りたい。

拙亭のある元浅草から、神田の駿河台下までは
どうであろうか、それでも自転車で30分は
かからなかろう。
さほど一生懸命に漕がなくとも。

どう行ってもよいのだが、最終的には
靖国通りに出る。

春日通りを真っすぐ西へ行って、
天神下、明神下の通りで小川町の交差点に出る。
あるいは、最初に左衛門橋通りを南下し、
靖国通りへ出てもよい。

今日は、斜めに走り、妻恋坂下あたりで明神下の
通りに出た。

時刻は二時台。やはりそこそこ暑い。

靖国通りというのはこのあたりカーブが多いのだが、
これは、駿河台の坂を回避するために曲がっている。
つまりこのカーブは駿河台台地の裾に沿っている。

江戸の頃は、むろん靖国神社もないし靖国通りという
名前はあるはずもないが、この靖国通りにあたる
通りは同じところにちゃんとあった。
ちなみにこの界隈は町人の住む町や、寺すら皆無で
主として普代名門の旗本、大名の屋敷のある
区域であった。
江戸城至近で、重要な場所といってよろしかろう。
ただ、ドラマが起きそうになく、あまりおもしろみは
ないところ、かもしれぬ。
池波先生もこのあたりが舞台の作品はないのではなかろうか。
しかし、おもしろいことに、例の通称の“町”の名前は
やっぱりあった。猿楽町というのは江戸からの地名。
由来は、能楽師の屋敷があったからという。
駿河台というのは、江戸初期、家康が亡くなった際に
駿河で家康の周りに仕えていた旗本達が江戸に移り
住むのに開かれたので、駿河台といわれるように
なったというのは有名な話ではあろう。

閑話休題

駿河台下の交差点を渡って、坂上御茶ノ水駅方向に
歩いて、数軒。
小さな店舗が軒を連ねている一角。

一軒置いて手前に16年のカレーグランプリで優勝した
というカレーやがあったりする。
ここも一度食べてみようか。

エチオピア]。
ドアを開けて入る。

二階もあるが、入ってすぐ左に券売機。
ノーマルなビーフカレー、920円也。

奥に長いがかなり狭い。
左側、カウンター一番手前にあいていた
スツールにかける。

インド人らしいお兄さんが水を持ってくる。

食券を渡し、辛さを聞いてくれる。

10倍!。

ここのMAXは70倍まで指定できる。
ノーマルは3倍といっている。

前回、秋葉原では5倍にしてみたが、ちょっと
辛さが足らなかった。
よし、今日は10倍!。

ゆでたじゃがいもがくる。

神保町のカレーやでは、これ、多いかもしれぬ。

日本人は伝統的にカレーにじゃがいもを入れるが
欧風にしてもインド風にしてもじゃがいもは
入れないが、どうしてもじゃがいもを食べたい、
という人が多かったので付けた?。
わからぬが。

比較的、待つ。
どこからかわからぬが、注文が入ってから
それなりに作っているのか。

ややあって、きた。

10倍。
けっこう辛い。
このくらいで[デリー]のカシミールと同じくらい
かもしれない。

粘度は高め。ドロっ。
肉はほろほろに柔らか。
なぜか、ピーマンであろうか緑の野菜、
ひよこ豆なども入っている。

クローブの香りも強いし、生姜などの香りも新鮮。

ご飯の量がちょっと多めなのも特徴かもしれない。
学生街だから、か。

クローブなどスパイスが立ったうまいカレー
ではあると思うが、やっぱりこれ、日本人の舌に
合わせてある。
ネイティブなインドカレーとも違っている。
[デリー]もそうであった。
開業は昭和63年(1988年)とまだまだ、
インドカレーがあたり前でなかった頃というのが
背景であろうか。

私も新しいカレーを探そうか。

 


エチオピア

千代田区神田小川町3-10-6
03-3295-4310

 

 

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