浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鴨ぬき、鴨せいろ その1

f:id:dancyotei:20201103231544g:plain
11月1日(日)第二食

11月になった。

霜月。

晩秋。

11月になったら、鴨、で、ある。
鴨南蛮。

これはもちろん、浅草並木の[藪蕎麦]

なのだが、最初は、自作しようと決めた。

先日、鴨南蛮は季語であることがわかった。

では、鴨南蛮を使った俳句にはどんなものがあるのか、
気になってくる。
調べてみた。

意外に、最近のものが多そうである。


先口の鴨南蛮(かもなん)忘れ居らぬかや 高澤良一


蕎麦やでの、あるある。
先口は、せんくち。先に頼んだ私の鴨南蛮がこない。
なかなかよいではないか。

次。


二十日正月鴨南蛮を喰ふもよし 田中貞雄


今はもう言わなくなっているが、二十日正月
正月行事の開ける日。お節やら正月にまつわる食べ物から
離れて、鴨南を喰う。

もう一つ。


末枯れやカレー南蛮鴨南蛮 田中裕明


末枯れは、うらがれ、と読む。
晩秋の枯れた草木、その寂しい様子。
この句では鴨南ではなく、末枯れが季語になろう。
末枯れに、下世話なカレー南蛮、鴨南蛮を
重ねているところが、詩人であろう。

三人とも名のある俳人の方々である。
田中裕明氏が45歳で亡くなられているが、生まれは1959年で
年代とすれば一番下。他のお二方は高齢だがご存命のよう。

これ以外にネットでは見つからなかった。
鴨南蛮が、俳句に詠まれ、季語として認知されるのは
戦後、あるいは最近のことではなかろうか。

これは取りも直さず、鴨南蛮がポピュラーになったのは
そう昔のことではないということではなかろうか。

鴨南蛮そば、というのが、例えば浅草並木の[藪蕎麦]で
出されるようになったのは、いつ頃からのことで
あろうか。
並木[藪蕎麦]は大老舗のようだが、創業は明治ではなく、
大正2年(1913年)。先日の上野[翁庵]よりも新しい。

鴨南蛮はそばの中でも、かなり高級で、趣味的、
と、いってもよいかもしれない。昔も今も。
ただ、大正であればあったかもしれぬ。

もちろん、鴨自体は、江戸期の江戸でも食べられていた。
鴨鍋として。しかし、レアで鶏よりも大ご馳走であったろう。

蕎麦の種として使われるのは、ずっと時代が
下ってからのことではなかろうか。

天ぷらそばは、例の歌舞伎「直侍」には出てくる。
これは明治の初め。
また、ここに天(ぷら)のぬき、玉子のぬき、は出てくるが
鴨のぬき、というのは出てこない。

そんなことを考えていたが、ちゃんと調べると、
幕末の博物誌、定番の「守貞謾稿」には既に鴨南は出てくる。
意外に古いか。ただ、やはり高級なものではなかったか。
どのくらいポピュラーであったのか。

天ぷらはさらに20~30年ほど前、文政10年(1827年)の
川柳に出てくるよう。
これより前からあったということにはなる。
鬼平には出てくる。作品の時代設定は、田沼時代。
文政10年までは30年程度の間がある。池波先生は
考証されていたのか。わからぬが田沼時代はちょっと
怪しいかもしれない。
いずれにしても、やはり天ぷらそばと鴨南には文献上は多少の
時代の差があったようである。

さても、さても、鴨南蛮。

鴨は、昼すぎ、ハナマサで、冷凍の合鴨胸肉を買ってくる。
よくある鴨ロースというのは胸肉。

タイ産。一つ300円程度で意外に安い。

これを少し切って、叩いてつくねにし、つゆに入れて煮る。
つくねが一番鴨の出汁が出る。
あとは、きれいに焼いて、スライスで入れる。

作るのは、鴨南蛮ではなく、鴨ぬきと、鴨せいろ、
で、ある。

鴨をそばにするのであれば、鴨南よりも
鴨せいろの方が、よいだろう。
扱いやすい。
呑んだ後に、ざるで手繰るのがちょうどよい。

生蕎麦も買っておいた。

カチンコチンなので、パックのまま水に入れて
解凍しておく。

作る。

溶けた胸肉はこんな感じ。皮側。

裏。

これを1/4ほど切る。

脂身も身も細かく切って、叩く。

これをつくねにする。

残りは焼く。

どう焼こうか考えたのだが、例の新グリルで
焼いてみようか。

 

つづく