浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



駒形どぜう

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7月15日(水)第1食

まだまだ、梅雨が続いているが、
そろそろよい季節であろう。

どぜう

もちろん、秋や冬にも行くこともあるが
やはり本来、東京の鍋料理は、暑い季節のものである。

雨のやみ間を狙って、2時前、自転車で出かける。

ここへ行くときには、なぜか素足に雪駄をつっかけて
いきたくなる。
なんだか、そんな気分。
雪駄といっても、馬鹿にしてはいけない。
私の履いているのは、そこそこする、のである。
裏は皮であるし、竹皮の表。
鼻緒は本物の印伝である。

元浅草の拙亭から、ほぼ真東に真っ直ぐ行くと
蔵前(江戸)通りのバンダイと[駒形どぜう]の角に
出る。

ガードレールに寄せて自転車を停める。

店前の戸口前には紺の浴衣を着て、フェイスシールドを
した若いお姐さんが立っている。

戸口に近付くと、いらっしゃいませと
迎えてくれる。

ここはドアではなく、腰障子(こししょうじ)。

腰障子というのは、腰程度から上の半分が障子で
下が木の戸。
昔は一般的な戸であった。
長屋などでも、商売をしている家は、この障子に
屋号を書いたりしていた。
よく落語では、床やの戸の説明に出てくる。
床屋は、○○床という屋号が多かったのだが、
例えば、海老床であれば、海老の絵を書いて
看板にしていたのである。

ともあれ。ここの腰障子はなにもない白。
開けてある。
夏なので、暖簾は麻の白にどぜう。分けて入る。

雪駄を脱いで、あがる。
今は、下足札をやめているよう。
ここの下足札は、勘定をする時の目印にもしている。
席で勘定をし、済むと、裏が「代済」に替わって
戻ってくる。
今考えても、なかなかよいシステムであろう。
おさまったら、この習慣も戻してほしい

お客は、土間のテーブルに二組ほどで、
上の入れ込みには、誰もいない。
この広い板の間、二十畳?もっとあるか
板の間に簀の子。
お膳がわりの黒光りした長い板が、奥から並び、
座布団が間を開けて置かれている。

一番奥のさらに一番縁側寄りに案内される。
壁を背にして、胡坐をかいて座る。

これだけ広い入れ込み座敷に一人っきり。
やっぱり寂しい。
ウイークデーの半端な時刻というのもあるが、
観光客が皆無、なのであろう。

やはり浴衣姿のお姐さんが注文を取りにくる。

注文は、ビールと丸鍋
丸鍋は、開いていないどぜうの鍋のこと。

いつもはねぎなどの入った、薬味入れの木箱が
置かれているが、これもなし。

ビールとねぎの盛られた皿、薬味、割り下
などがくる。

いい画であろう。

焜炉にどぜうののった鍋をのせてすぐにきた。

ビールを一杯。

ねぎを山盛り。

アップ。

どぜうには火は通っていて、味も付いているので、冷たいが
食べようと思えばすぐにでも食べられる。だが、やはり、ここは待たなければ、
いけない。

どぜうの鍋だが、ねぎ。
書いている通り、ねぎは、今も薬味として薄い小口切り
であるが、薬味ではない。
これは、山盛りに盛って、割り下で煮た小口切りのねぎを
喰う鍋、なのである。
従って、ねぎが煮えるまで待つ。

ねぎも煮えてきた。

小皿に取って、

どぜうもねぎも、一緒に食べる。
ここのどぜうは、味噌、それも江戸甘味噌

で下煮をしている。わずかだがこの味噌の風味がする。
他にもどぜうやはあるが、この味は、ここだけ、
ではなかろうか。これが、この店の身上。

割り下は、味噌ではなく薄い甘辛のしょうゆ味。
ねぎは、この味。
浅い鉄鍋なので、食べているうちにつゆは煮詰まってくる。
この多少濃くなったつゆで食べるねぎがまた、とまらない。
まさに堪えられない。

鍋一枚食べ終わり、お替り。
同じ鍋に、皿から器用に滑らせて追加してくれる。
ねぎも同時に一皿なくなっていた。
これも、お姐さんは替えてくれる。

二枚目もねぎも平らげて、ご馳走様。
勘定をして、出る。
ねぎの匂いをぷんぷんさせ、ねぎまみれ。

これが心地よい。

前の大通りは、今は、江戸通りなんという名前に
なっているが、蔵前通りであり、江戸から北へ向かう
奥州街道の本道であった。

江戸から変わらずここに二百余年。
私も変わらず、食いに来なければ。

 


駒形どぜう

台東区駒形1-7-12
TEL.03-3842-4001