引き続き、浅草[弁天山美家古寿司]。
光物をにぎってもらい、海老をはさんで、白身に。
白身は、昆布〆の鯛と平目。
ここまで。
そして、かじきとしまあじ。
左がしまあじ。
親方が言っていたが、
この店で今日唯一の“仕事をしていない”種。
創業慶応2年(1866年)。
おそらく、現代まで続く鮨やの暖簾では、
最も古い店の一つといってよいと思われる。
冷蔵設備のなかった頃、にぎる種には、煮る、茹でる、〆る
など“仕事をする”のが当たり前であった。
ここはこの100年以上の歴史のある“仕事”を看板にしている。
ただ、そうはいっても、この店も変わってきている、
ように見える。
どちらがうまいのか、ということでよいのであろう。
変えた方がうまいものもあろう。
変えない方がうまいのであれば、続ければよい。
親方に聞くとかじきは、昆布〆とのこと。
私が、金沢や富山だったり、北陸では昆布〆にしますよね、
というと、親方は、そうなんです。私もあちらへ行って知って
いただいたんです、と、正直な方。
東京ではかじきは生で食べる習慣は今もないが、
北陸では伝統的にかじきが好まれてきた。
よく獲れたのであろう。
昆布〆は、かじきに限らず一般的な鯛などの白身はもちろん、
名物の鰤(ぶり)などでもする。
もともと、生のかじきもうまいのだが、
昆布〆はさらに濃厚。
これは流石であろう。
富山、金沢でもいろいろな技があろうが、
むろんのこと、この店流にしてある。
さて。
生のいかを忘れていたことに気が付いた。
生のいかは、もちろんすみいか。
厚い。
あまいのだが、この季節ちょいと硬い。
すみいかといういかは、一年しか生きない。
夏に生まれ、これが新いか。
8月、9月のこの、小さな子供のすみいかは柔らかく
応えられないうまさである。
それが段々に大きくなり、今が一番大きい。
東京の鮨やでも、この3月あたりから、すみいかは
使わなくなるところも多いが、ここはすみいか一本。
次。
ヅケのまぐろ。
よい塩梅。これも流石。
まぐろのヅケというのは、一説では、天保の頃
(1830年~40年頭)馬喰町の鮨やで始めた、
という。「守貞謾稿」という天保から幕末の風俗辞典にも
まぐろのしょうゆ漬けは出てくるので、幕末期には
一般的であったのであろう。
まぐろは鯛や平目に比べ下魚と呼ばれており、あまり
食べられなかったなどというが、これがまぐろが食べられて
いなかった本当の理由ではないのでは、なかろうか。
江戸っ子の初鰹好きは有名であったし、赤身を嫌ったとは
思えなかろう。実際には、まぐろは足が速く、常時流通するもの
ではなかった。つまり積極的に獲ってもいなかったと考える。
大量に獲れると塩漬けにし、庶民には出回っていたともいう。(前出)
幕末から明治、ヅケの一般化とともに、まぐろを狙って
獲るようになり、流通もするようになった。
そういうこと、なのではなかろうか。(私の仮説である。)
ただ、脂のあるトロを積極的に食べるようになったのは
大正期、日本橋の[吉野鮨]を待たなければならない。
ともあれ。
そろそろ、終盤。
玉子のみ。
これも、伝統のもの。江戸前を看板にしている鮨やにはある。
玉子だけでなく、白身魚を入れている。
玉子の方が貴重であった頃のものだが、今となっては
手間のかかるこちらの方が、高価である。
巻物。
かんぴょうと、鉄火。
かんぴょうは、わさびを入れますか、と親方。
もちろん、お願いする。
かんぴょうは濃い味。
わさび入りは、鉄砲などともいうが、定番。
今さらのことなのだが、海苔というものの味が、
やっとわかってきた。
これは自分でよい海苔を買って巻物やらおにぎりに
使うようになってからである。
かんぴょう巻は海苔のうまさがよくわかる。
鉄火。
ねぎは入っていないが、中トロあたりをちょいと
叩いたものではなかろうか。
ばかうま。
堪えられない。
ここまで。
いつもながら、うまい鮨を食べさせてもらった。
勘定は、二人で酒も入れて、2.5万。
つまみ3品、ビール二本、こんなものであろう。
ご馳走様でした。
今日も、おいしかったです。
台東区浅草2-1-16
03-3844-0034