浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



浅草・そば・尾張屋本店

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12月21日(土)第1食

寒い。

鴨南が喰いたい。

もちろん、鴨南蛮そば。

「町歩き」もするので、浅草へ行こう。
まあ、そうでなくとも毎日のように浅草はブラブラしている
のではあるが。

土曜なのでどこも混んでいよう。

着こんでマフラー、手袋もし、さらにソフト帽も被って
自転車で。

国際通りを渡って、裏通りから雷門前の並木通りに出てくる。

右に曲がると、そう、並木[藪そば]。

案の定、店の前に6~7人の列。
時分時(じぶんどき)でもあり、まあ、こうであろう。

最近は、ウイークデーでも列になっているのを見る。

となると、もう一軒。
雷門通りの[尾張屋]で、ある。

ここの看板は大海老天。
天丼や天ぷらそば、で、ある。

鴨南、ではない。
尾張屋]では、私はおそらく食べたことはない。

そもそもあるのか。

まあ、ない、ということはあるまい。
行ってみよう。

尾張屋]は季節ものをけっこう置いている。
秋であれば、松茸ののった、松茸そば、なんというのも
食べたことがある。

並木通りから雷門前を左折。
右に曲がった雷門脇に支店もあるが、やはり
本店へ。

店前の歩道に自転車を停めて、入る。

12時台であるが、意外にすいている。引けたところのよう。

あいたテーブルに掛ける。

ちょうど断腸亭永井荷風先生の写真と向かい合う席。

今日は帽子を被ってきたのだが、写真の荷風先生は
トレードマークのロイド眼鏡に帽子姿。
別段、意識してきたわけではないのだが。

浅草[尾張屋]というのは、荷風先生の行き付けで
あったことはつとに知られている。

そして、この店にくると、同じ席に決まって座る。
その席に先客がいると、その目の前に立って
待ったという。
この状態で耐えられる人はおそらくいなかったろう。
まあ、希代の変人っぷりをこんなところでも
発揮していたわけである。
それでその席の壁に、荷風先生の写真が
いつも置かれているのである。

そういえば、今年は、荷風先生の生誕140年、没後60年。
江戸博で記念イベントなども行われていた。
明治12年生まれて、亡くなったのが昭和35年で享年80歳。
今となっては、80歳というのは、そう珍しくはないが、
長生きされたものである。
明治、大正、戦前、戦後とまさに、希代の変人、
波乱万丈の人生であった。

尾張屋]、で、あった。

品書きには、ちゃんと鴨南はあった。

お酒をやっぱりもらおう、お燗、ぬる燗で。
板わさ。
それから、鴨南。
一気に頼んでしまう。

酒。

ここは大関の一合のガラスのお銚子。
なぜだか、浅草はこのメーカー既成のガラス瓶で出すところが
少なくない。

板わさがきた。

真ん中の細いのは、きゅうりを、薄く切った蒲鉾と海苔で
巻いたもの。ちょいと乙。

鴨南もきた。

鴨肉。

鴨肉は五枚。

そば。

ここのそばは、ちょっと更科風の白いもの。

ここの創業は幕末、安政6年(1860年)というが、
昔からなのであろうか。

実際のところ、私はここではそばではなく、看板の
天丼ばかり食べている。

つゆが意外に薄い。
ここで温かいそばを食べたのは初めてではないと思うが
こんなものであったか。

東京下町、特にこの浅草界隈は、つゆが濃い。
それもしょうゆが立っている濃さ。
NO.1はやはり、並木[藪そば]であるが、
拙亭そばの、元浅草[砂場]などもなかなかである。

物足りないということではないが、比べると気持ち薄め。

ともあれ。

温かい鴨南と、燗酒で、今日の鴨南欲は満たされた。

立って帳場で勘定。

ご馳走様でした。

温まりました。

 

 


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