引き続き、文楽師「心眼」。
茅場町のお薬師様。
目を開けたいと、三、七、二十一日、満願の日。
梅喜、お賽銭を出して、祈る。
「へい。梅喜でございます。今日は満願の日ですよ。
お薬師様ぁ!」
だが、開かない。
「お賽銭、毎日あげましたよ。
タダ取り、ですか?。
あ~。
目が開かないんなら、一思いに、私を殺しちゃって下さい。」
(大きな声。)
と、
「おい。なにを言ってるんだ。
おい、梅喜さんじゃないかい。
なんだ、大きな声を、、
おい!。」
(肩を叩く)
梅「へい。
どなた様です?。」
「あ!、、、おい、お前、目が開いたね!。」
(自分の両掌(てのひら)を見つめて。)
え?!。
あ!。
へ~~~~、目が開きました!。
目が開きましたが、、、あなたは、どなた様で?。」
上「いや~~、不思議なことがあるんだね~~。
私は、馬道の上総屋だよ。」
梅「あ~、あなたが上総屋の旦那ですか。
あなたは、そういう顔でしたか~。」
上「なんだい、そういう顔だ、てぇのは。
人間の一心てぇのは、おそろしいものだね。
もっともね、お前さんとこのお内儀さんがね、
自分の寿命を縮めてもお前さんの目を直そうって、
一生懸命信心をしたって、話しを聞いたが、
夫婦の一念が届いたと見えるんだね~。
この先も、信心を怠ったらいけないよ~。」
馬道の上総屋は、これから馬道の家に帰るという。
じゃあ、一緒に連れてって下さい、と梅喜。
目が見えない頃は、なんなく歩くことができたが、
目が開いたら、急にどこがどこだかわからなくなった、と。
上「は~、そんなもんかね~。」
(お薬師様へ。
パンパン、と手を叩く。)
(当然、お薬師様はお寺である。文楽師は二回軽く柏手を打っている。
手を叩くのは神社というのが今、うるさくいわれるが、以前はかなり
いい加減であったのか。おそらくお寺側ではなく、神社の側の差別化
戦略であろう。ともあれ。)
梅「ありがとう存じます。
このご恩は決けっして忘れません。
いずれお竹がお礼参りに参りに伺います。
ありがとう存じます。
(上を見上げて。)
なんです、旦那これ?。」
上「これ、納め提灯だ。」
(雷門にぶら下がっている、赤いあれ。)
二人、歩き始める。
(梅喜、杖を突いている。)
旦那に指摘される。
梅「長いこと、クセになってるんですね~。
旦那の前ですが、この杖てぇものにも、長いこと厄介に
なりました。あたくしねー、これ、家にお祀りしたいと
思います。
あたくしはね~、うれしくって、うれしくってねー。
早く帰りたいって。
と、急に、目の前を人力車が通る。
梅「あ~っと。(大きな声)
あー、びっくりした。
旦那、なんです?今、す~っと通った。」
上「あれは、お前、人力だよ。」
梅「あー、そーですか。
あたくしどもの子供の時分にゃ、あんなものなかった。
(生まれながらの盲人ではなく、子供の頃には見えていた、
という設定。)
よく家内がね、お前さん、車が危ないからって、出るたんびに
そいってくれました。
乗ってるのは女のようですね。」
上「芸者だよ。」
梅「あれが!。そーですか。
あたくしにはわかりませんが、いー女のようですね。」
上「いい女って、東京でなんのなにがしって、一流の、指折りの
芸者だよ。」
梅「あれが。そーですかねー。
旦那ねー、つかぬことを伺いますがね、あたくしどものお竹ね、
お竹と、今の芸者とどっちがいい女ですかね?。」
上「オイオイ!。ヘンなこと聞いちゃ困るよ。
つもっても知れそうなもんじゃないか。」
梅「そいじゃ、なんですか?。私共のお竹の方が、いくらかまずぅ
ございますか?。」
上「おい!、図々しいこと言っちゃいけない。
今の芸者は、東京で指折りの芸者だ。
お前さんとこのお竹さんは、、、
お前さんの前では、言いにくいけど、東京でなん人という指折りの
まずい女だ。」
梅「そんなに私共のお竹はまずぅござんすか?」
上「人の悪口に“人三、化け七(にんさん、ばけしち)”なんてぇことを
言うだろ。ホントのこと言うと、お前さんには悪いけど“人なし、
化け十”と言って、人間の方に籍が遠いんだ。」
梅「“人なし、化け十”ですか~。そーですかねー。
へ~~。知らないってぇのは、しょーがない。長いこと夫婦に
なってたんだから、、、。
旦那の前でござんすが、みっとものうござんすねー。」
上「おい!。
ふざけちゃいけない。人は目より腹、心。
いくら顔かたちがよくたって、心立てが悪かったひにゃ、なんにも
ならない。
お前さんとこのお竹さんは、心立てから言ったら、東京はおろか、
日本になん人といって指を折ってもいいくらいのもんだ。
実に聞いてるけど貞女なもんだ。お前さん一人に稼がせちゃすまない。
夜、寝る目も寝ずに、仕事をしてお前さんの手助けをする。
第一、お前さんに※ツルを返したてえことがない、てえじゃないか。」
※「ツルを返したてえことがない。」
この部分、このように聞こえる。「ツルを返す」は文脈上、口答えをする
という意味であろうと思われる。ツルは弓の弦であろうか。辞書を引いても
この言葉は発見できなかった。
つづく