浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界 ~断腸亭考察 」その30

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引き続き「品川心中」。

金蔵一人、海に突き落とされて、ずぶ濡れ。
元結(もっとい)が取れて、ざんばら髪。
海藻はつく、船虫なんぞが這いまわる有様。

このまま桟橋に上がって、白木屋に戻るのは恥の上塗り。
そのまま、ざぶざぶと遠浅の海を歩き、岸に上がる。

くそー、おそめのやろう。

ずぶ濡れのまま、歩く。犬には吠えられる。
自分の家は既に引き払っているので帰れない。
親分の家へいってみる。

親分の家では、ちょうど博打の真っ最中。
金蔵が戸を叩くと、中では、手が回ったと勘違いし、
灯りを慌てて吹き消すやら、大騒ぎ。

ここは、かなり傑作な光景が展開され、爆笑。
普通はここまでで切る。「上」終わり。

「下」は、今はほとんど演じられないのだが、
金蔵がおそめに仕返しをする。
親分に訳を話し、親分も、ふてえ野郎だと乗ってくれて、
死んだ金蔵が幽霊になって化けて出る、という芝居をして、
おそめに髪を切らせて坊主にし、香典として金も取る。

「品川心中」ざっくりこんな噺である。

親分というのは、本職(?)の博打打ちではなく、はっきり
説明はされないのだが貸本やの親分という設定でよいのか。

ただ、堅気(?)の人々の博打の場面が出てくるのは
この「悪党の世紀」の裏付けになるのか。
(この親分、兼業?かもしれぬ。)

ともあれ。
いろんな意味で、よくできている。
落語らしい落語といえるのではないか。

「品川心中」は廓噺(くるわばなし)の例としても取り上げて
みたわけである。

「品川心中」は品川であったが、むろん吉原が最も多い。
他に、四宿の新宿もあれば千住を舞台にしたものもある。

人情噺として有名な「紺屋高尾」。
吉原、三浦屋の高尾と紺屋の職人との純愛を描いたラブストーリー。
廓を舞台にしたものとしては異色かもしれない。

たいていの廓噺は「品川心中」同様にお客が女郎に騙される、
手玉に取られるというもの。成功噺はほぼない。

三枚起請」「五人回し」「お見立て」、、。
どれもそうである。

女郎は客を騙すのが商売、などと騙す女郎はケツを捲る。

今でもあるだろう。水商売の女とお客の関係。
いや、水商売に限らないか。
「品川心中」の金蔵など、噺の中で、おそめだけでなく、
若い衆にも笑われているが、男など皆、こんなものなの
である。騙すよりも、騙される方がよいではないか。

かと思えば「文違い」なんという噺もある。
これは新宿が舞台。
女郎に入れ込んで真夫(まぶ)を気取った男が、実は騙されており
金を貢がされ、さらにその女郎は、別の男に騙されており、その金を
別の男に貢いでいたという。

男と女の泣き笑い。
廓噺には実に様々なドラマが語り込まれている。

男とはこんなもの、女とはこんなもの。
昔から今も繰り返されていること。
文字通り、人間が描かれているといってよい。
これが落語の凄いところである。

さて「品川心中」のおそめ。
この女もそうであろう。売れなくなって、恥ずかしい、悔しい。
心中を思いつく。
相手の金蔵を突き落として、自分は生き残る。これぞ女郎?!。

心中、あるいは心中のふりだけして、男を殺す、というのは
今、忘れてしまったが落語には他にも例があったはずである。
レアではあるが、例がないわけではない。

他の男を騙す噺と比べても、もっとも酷い。
もちろん、未遂に終わり、それが笑いになっているのだが。
(普通は、かなり後味のわるいことになるのだが、それを明るく
描くことに成功しているのはこの噺の傑出しているところであろう。)

「悪党の世紀」だからこの噺があるとまでいうのは
無理があるとは思う。

ただ「既成の価値観や権威に疑いを持ってみる」というのは
文化・文政に生まれ、天保嘉永文久、明治0年代と
「悪党の世紀」を通して、落語が、江戸庶民が、といってもよいだろう、
身に付けた人生観といってしまうのは、言いすぎか。

騙し、騙され、犯罪が横行し、食うや食わず。文字通り底辺の、
限界状況の生活をしていた人々の多くは、生半可な底の浅い
作り噺では到底納得しなくなっていたであろうと思うのである。

それで落語の多くに人間を深く描いているものがある。
これほどの質の高い口承文芸、それも一人芸は世界どこを探しても
ないのではなかろうか。

さて。

最後にしよう。
黄金餅(こがねもち)」。

このシリーズにふさわしい。
円朝作。

と、言われており、円朝全集にもはいっており、このシリーズの
先にも、私も円朝作と書いている。

が、しかし。
この文章を書いていく間、全集、解説本その他、読んでいく中で
「落語の鑑賞201」(延広真治編)によればどうも最近は「黄金餅
円朝作説は、誤りであろうとの見方が多く出ているとのこと。内容的に
円朝の仏教感ではあり得ないと。ではなぜ、円朝全集に入っているのかが
疑問になってくる。円朝自身がまったく演らなかった噺が全集に入るのも
考えにくい。完全な円朝創作ではないが手は入っている、のでは
なかろうか。

黄金餅」。
落語ファンであれば、聞いたことはあるだろう。

この噺は、私には、志ん生→談志という流れである。
むろん志ん朝師も演った。
そのお掛けで、今は皆が演る。

下谷の山崎町に金山寺味噌を売る、金兵衛という男がありまして、
 金兵衛の隣に住む、願人坊主(がんにんぼうず)の西念。この西念が
 風邪をこじらせてどっと寝込み、、、。」

この噺が現代に残っているのはひとえに五代目古今亭志ん生
お蔭である。この世代では志ん生の音以外残っていない。

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より