浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



鳥越祭2018 その4

dancyotei2018-06-14

6月10日(日)

日曜日の鳥越祭。

天狗様の猿田彦。行列と神様の道案内である。



肝心の御本社神輿も近付いてきた。



永住の担ぎ手の取り巻き、というのか。

ちょっとコワイ感じの方も混じる。

一般に各町の担ぎ手は、住人の町会員だけでは

足りずに、神輿サークルに協力を仰ぐ。また、

鳥越以外から個人的な知り合い、つてをたどって担ぎにくる

人がたくさんいるがそれらを受け入れている。

こういう神輿フリークは仲間達で作った半纏を

着ていたりしている。それで氏子町会以外の半纏を

よく見かけるのである。その町会で担ぐ場合には、

ルールなのでそこの半纏を即席で借りて担ぐわけである。

こういう人の中には、つてをつたって一日中追っかけて

担いでいる人もいるようである。

この紺色の半纏が永住町。

永住が元浅草では最も大きな町域ではなかろうか。

担ぎ終わると、後ろへ整然と下がる。

入れ替わりに、前方に控えていた七軒町の担ぎ手の

皆さんが登場。

担ぎ手の方々は、この時刻の遥か前に集合し、

座って待っているのである。

七軒町では町会、それから同好会という言い方をしているが

毎年決まった神輿サークルに担ぎにきて

いただいているようである。

神輿には全部で4本の担ぐ棒がある。

これを前後に分けて計8本。

神輿は棒の一番前、端棒(はなぼう)というようだが、を担ぐのが

花とされている。我先にここに取り付こうと争うところもあるが、

そういうことのないように、8本の棒の場所に合わせて8本の列を

作って待っているのである。

取り付くと、町会神輿同様に七軒の睦の代表の方が立ち、

一言、手〆、拍子木カンカンで担ぎ始め。




我が町内は大人しいのか、喧嘩などは

見たことがない。外から来ていただいている

方々もそういう気持ちが伝わっているのか。

細い通りを曲がる。

また曲がる。

一度置いて、小休止。

すぐにまた、出発。

春日通りに出る。



七軒町は春日通り沿いなので、毎年春日通りを

担いでいると思われる。

交通を止めて広い通りに広がるのは、気持ちがよい。

左側に見えているのは台東区の区内循環バスの

めぐりん。

大江戸線とTXの新御徒町の出入り口の脇の通りを入る。

これを入った先は旧小島小学校。

到着。

手〆をして後ろへ退散。

お疲れ様でした。

特段のトラブルもなかったのではなかろうか。

私は帰宅。

午後、雨が降り出した。

私は家でちょいと仕事。

町会神輿は、雨の中担いでいたよう。

本社神輿はこの後も各町を渡して担がれ、

夜、やはり8時、9時頃であろう、

最後の宮元の後、睦の方々によって鳥越神社に宮入。

(宮元町会というのは文字通り、神社のある町会。

鳥越祭では唯一この宮元町会のみが宮出し直後と、

宮入直前の二回担ぐ。

大方どこの祭にも神社直近の門前町会のようなところが

宮元といっているのではなかろうか。下谷神社なども

確かそうであった。ただ、これは前に述べた旧町名でもない。

宮元町会、他の町会とはちょっと扱いが違う。神社お膝元で

関係も深いということがあるのか。

そういえば、三社ではそういう名前の町会はない。

仲見世町会などがそんなものにあたるかもしれぬが

仲見世仲見世と呼ばれている。

宮元は宮入直前の神社の前の蔵前橋通りの路上。

過去、私が見たことのある範囲でも、

かなり荒っぽい年もあった。

機動隊も出て高い塀が作られ、関係者以外は

道路に出られないようにしていたが、今年は

どうであったのか。

まあ、個人的にはそういう情景はあまり目にしたくはない

ので滅多に行かない。

今年は雨でもあったし。

ただせっかくなので鳥越神社に

お参りくらいはした方がよかったか。

ともあれ。

怖かったり、危なかったり、というのも

含めて、それが祭というものではあろう。

元来そういうもの。

私もそれに反対はしない。

ただ、それは本来の祭の構成員、住人であり

鳥越の氏子の、という限定はつくはずである。

2018年鳥越祭、お疲れ様でした。

また来年。