浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



東海道・丸子宿・丁子屋とろろ汁 その1

dancyotei2017-12-18


12月16日(土)夜



いきなりであるが、
この浮世絵をご存知であろうか。


おそらく、皆さん一度ぐらいは見た記憶がおありになるのでは
なかろうか。


広重の東海道五十三次「鞠子宿」名物茶屋。
最近、広重やら北斎がまた再評価というのか、
注目があたっているが、この作品も改めて眺めてみると
味わい深い。


一軒の茶店。左側に向かって少し坂になっている街道。
旅人なのか、一人の長い棒を肩に担いだ男。
茶店の背景は裏山といった趣きの山。
左側は大きく余白。
反対に右側が黒っぽい配置で、この対象が気持ちがよい。


鞠子は丸子とも書くが、読みはマリコ
今は静岡市駿河区丸子町
東海道では日本橋から20番目、府中(静岡)と
岡部の間の宿。


丸子と岡部の間には宇津ノ谷という峠があるが
その峠越え直前の宿場ということになる。


鬼平にもこの宇津ノ谷峠は舞台になっている。
平蔵が木村忠吾をお伴に京への旅をする行き帰り。
「盗法秘伝」「駿州・宇津谷峠」がその行き帰りに
なっている。


決定版 鬼平犯科帳 (3) (文春文庫)

鬼平犯科帳3 文春文庫


作品には鞠子宿もこの茶店も出てはこない。
ただ、このあたりの池波作品を読んでいると、
なんとなく江戸の頃のこのあたりの雰囲気が体感できるような
気がしてくる。


この浮世絵に描かれている茅葺屋根の家は
東海道に面した茶店


中央の看板には「名物 とろろ汁」とある。




梅若菜丸子の宿のとろろ汁 芭蕉




芭蕉はこんな句も詠んでいた。



この句は、元禄4年(1691年)のものとわあっているよう。
あの忠臣蔵の赤穂事件が元禄15年なので
その11年前。


この店は[丁子屋]といって今も
静岡市丸子町旧東海道沿いにある。


芭蕉の、元禄の頃には既にあって、東海道の旅人の間では
名物になっていたということがわかる。


創業はなんと慶長元年(1596年)。


家康が征夷大将軍になるさらに4年前。
つまり、江戸時代になっていない。
安土桃山時代というのか、、、。


そんな前のこと。


当代で14代目。


この若旦那が、クラウドファンディングで今年、

今の店舗の茅葺屋根の修復費用を工面されている
というので、
一口参加させていただいたというわけである。

その[丁子屋]さんからのお礼の品が金曜日に拙亭にも届いた
のである。



それが、これ。


自然薯、味噌、名入りのあたり鉢と飯茶碗、あたり棒
たれ、押し麦。こんなところ。


なんだかとてもうれしくなった。


残念ながらというべきか、私自身は丸子にも、
[丁子屋]さんにもまだ行ったことはない。
静岡市街からも少し離れており、わざわざ足を運ばないと
出張のついでなどに行ける場所ではない。


ただ、この広重の浮世絵に書かれている
とろろ汁の茶店が、この21世紀の現代にも
存在しているということは知っていた。
とろろ汁、とろろ飯は好物であり、
かなり興味はあった。


また、冒頭の鬼平を持ち出すまでもなく、
東海道の静岡あたりまでは、東京人にとっては、
かなり馴染み深かったのではなかろうか。
少なくとも私は子供の頃から親しんでいたと思われる。
古くは、十返舎一句の「東海道中膝栗毛」もあれば
先の広重の浮世絵もそう。清水の次郎長は講談、浪曲、映画、
その他で人気のものであったし、、、。
東京人定番のロードムービーの舞台であったわけである。


そんな私にとって、東海道の歴史を体現されている
といっても過言ではない丸子宿のとろろ汁[丁子屋]さんを
ご支援することは、むしろ当然のことのように
感じたのであった。


一応のところレシピが書かれた栞が入っていたのだが、
今一つ、ピンとこない。
まあ[丁子屋]さんで食べたこともなければ当然か。


まず、これ。



自家製の味噌。
これで味噌汁を作る?。


そもそも、私が作るとろろ汁では、だしは取るが
味噌は使わない。
味付けは、酒としょうゆ。


はて?、、と、しばらく考えてしまった。


あ〜、もちろん具なしだが鰹だしに味噌味を付けて、
これであたった自然薯を伸ばすのである。
そういうことか。


それから、麦飯。


麦飯というのも私は炊いたことがない。
30%という。



なにが?。




つづく





元祖・丁子屋