浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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團菊祭五月大歌舞伎 その4

dancyotei2017-05-16

歌舞伎座5月團菊祭の最終回。

三つ目は「四変化 弥生の花浅草祭(やよいのはなあさくさまつり )」
という踊りの幕。

これは立役二人で踊る。

踊るのは、尾上松緑と襲名した坂東亀蔵

浅草祭なので、通称「三社祭」と呼ばれている。

歌舞伎舞踊としては、ある程度定番の演目のようで
この季節に、よく掛けられている。

陽気でたのしいものなので、今月のような
襲名披露が入っているプログラムなどには、合っている
のであろう。

ちなみに今年の三社祭はまさに今週末である。

今の東京下町のお祭はほぼすべてお神輿の祭であるが
江戸の頃は、京都の祇園祭と同じような山車の祭であった。

踊りの趣向とすれば、山車の人形が踊り出す、
というところから始まる。

比較的長いもので、四変化する。

トウシロウの私も一度観たことがある。

どこかといえば、5年前の2012年5月の浅草、平成中村座

この時踊ったのは、染五郎勘九郎であった。

もちろん私は初見で、当時はっきりいうと踊がわからないので
踊りの幕は、睡魔に勝てないことも少なくなかったが、これは
そうとうに愉しめた。

途中、善玉、悪玉という、人のよい心とわるい心が戦う
というのが特におもしろい。
(詳細は上記のリンクをご参照されたい。)

画:国芳 「忠孝善玉悪玉おどり」
弘化4年(1847年)江戸 河原崎座 時翫雛浅草八景(しきのひなあさくさはっけい)
善玉:二代目市川九蔵
悪玉:四代目中村歌右衛門

前に観た平成中村座と比べて、どうであったかといえば
圧倒的に、平成中村座の方がおもしろかった。
基本の内容は同じなのであろうが、むろん踊り手も違う、
そして演出も違っていたのであろう。

演出が誰であったのか。
勘三郎であったのか、わからないが。

勘三郎はこの年の12月にこの世を去っているので
これが最後の舞台であったのか。

この5月は、ゴールデンウイークに昼夜、中村座を見ることができた。
これは本当に、幸せなことであったと思う。

昼は「め組の喧嘩」、夜は「髪結新三」がメインであった。
どちらも今も明瞭に記憶に残っている。
特に「新三」のお仕舞、大切りで、切りの口上の後、背後の
壁を開けた。背後は夜の隅田川スカイツリーに月が見える。
「これ、いつもは開けないんですが、今日は、お月様がきれいなんで、、」
という勘三郎の粋なコメント。
こんなことができたのは、勘三郎以外にはあるまい。

この時は、隅田川沿いの旧山谷堀が隅田川に入る、隅田公園脇の
原っぱで、コンパクトな仮設の劇場。
江戸の頃の庶民の芝居小屋を復活させたいという勘三郎の意図である。
このコンパクトさもよかった。
どの席に座っても、役者の顔がよく見える。

また、この時の「め組の喧嘩」「髪結新三」ともに
ほぼ通しの構成で、私のようなトウシロウが観ても、
理解しやすいし、たのしめる。

勘三郎平成中村座の歌舞伎界に与えた功績は計り知れなかろうが
こんなことも歌舞伎ファンのすそ野を広げるという意味で、
大きなポイントであったろうと思っている。

ふり返って、今回の「團菊祭」。

勘三郎以外にも大スター、大看板が次々と亡くなってしまった。

これに続く、子供の世代、今回の海老蔵然り、
勘九郎七之助染五郎菊之助松緑、、、。

海老蔵の孤軍奮闘する姿もなんだか痛々しいし、
各面々、まだグーともいわせない役者としての存在感には
時間がかかるのであろう。

と、なると50代。
昨年襲名した、橋之助改め芝翫もよい役者であると思うのだが、
グーともいわせない、大物という人(にん)でもないような感じもするが。

端境期、ということなのかもしれぬ。

一方で、歌舞伎座以外の新橋演舞場やらの花形歌舞伎や
地方公演などは、意外に活発のようにもみえる。
また、猿之助スーパー歌舞伎では「ワンピース」を掛けて
好評のようである。

若い女性(といっても30代あたりまで?)は意外に多く
観ていると思ってよいのかもしれぬ。

エンターテイメントであり、愛之助、松也、その他、(私は
あまり花形役者は詳しくないが。)などお客を呼べるのであれば
それは歌舞伎にとってよいことであろう。

来月のプログラムを見ると、猿之助が「一本刀土俵入」などで
歌舞伎座に出るようである。

この人などはもっともっと、歌舞伎座に出てはもらえなかろうか。
昨年であったか、澤瀉屋お家芸義経千本桜」の通しで
出演したのを観た。

押し出しもよく人柄も練れているように見え、
大物になる素養はありそうである。

この人で、成田屋歌舞伎十八番なども観てみたい。
演じた履歴はないようなのだが、だめなのであろうか。

猿之助澤瀉屋(おもだかや)は、明治の初代から成田屋
市川宗家の弟子筋から始まりある種、歌舞伎本流とは
一線を画してきた。(そうせざるを得なかった、という
ことだったのかもしれぬ。)
いろいろな恩讐はあるのであろう。

どうしたって歌舞伎座でよい芝居を観たい。
やはり今の状況は少し物足りぬ。

新しい歴史を作ってみてもよいのではないか。

そして。
誰でもよい。願わくば、勘三郎のようなスーパーマン
また現れてくれぬであろうか。