浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



日本橋・蕎麦・やぶ久

なんだか自転車操業になってきた、、、。



11月28日(月)夜

五反田のオフィスからの帰り道、

東京駅で途中下車。

大丸で買ったスーツの寸法直しを引き取るため、

で、ある。

なにを食べようか、考えてきた。

東京駅からなので、日本橋

今日は呉服橋の[藪久]で、天ぬきで燗酒を

呑もうかと考えた。



江戸の地図



今は、八重洲仲通りという方がわかりやすいだろう。

東京駅八重洲口の駅前を横切っているのが外濠通り。

むろん、以前は外濠があったわけである。

その外濠通りと高島屋丸善がある中央通りの間、

中央通りなどと並行して中央を走っているのが八重洲仲通り。

東京駅八重洲口前のこの一画はちょいとした

盛り場になっている。

ただ、この界隈、駅前だから盛り場になったわけではない。

意外にご存知の方は少ないかもしれぬが、以前のこのあたりは

日本橋という名前の芸者さんがいる花柳界であった。

(今でもわずかに料亭が残ってはいる。)

日本橋花柳界は歴史的には、江戸までさかのぼれる

東京では数少ないところのようである。

契機とすれば、今の人形町にあった元の吉原遊郭が、

浅草北部に新吉原として移転したわけであるが、

この時に、土地に残った者達が母体になっているといわれている。

(「近代東京における花街の成立」)

ただ、他の花柳界に比べて、規模も小さく、置屋なども

分散していたようではある。

ともあれ。

戦後の八重洲の盛り場はこのあたりのサラリーマンに加えて、

出張などで東京にきた人々の電車待ち、時間調整のための場所、

になって久しいといえよう。

八重洲一丁目の外濠通りの信号から中央通りに向かう通りは

桜並木で日本橋さくら通りという。今はこの時刻、LEDできれいに

ライトアップされている。

仲通りを左に曲がって、二本目右側が[藪久]。

店に入ったのは、8時前。

ここは、夜は居酒屋の色も濃く、11時すぎまで

やっているよう。

入った一階はほぼ満席。

やはりにぎわっている。

一つだけあいていた出入口前のテーブルに掛ける。

忙しく立ち働くお姐さんに、お酒お燗で、

というと、お決まりの、熱燗ですね!、と。

いや、熱くしないで、普通で、と応じる。

なんだか心配になってきた。

それから、天ぬき。

ここは、季節のものを、かき揚げにしている。

ん!。

白海老とほたてのかき揚げ、というのがある。

これを一応お姐さんに、天ぬきにできますか?

と聞いてみる。

板場へ聞きにいって、OKとのこと。

お姐さんは、天ぬきなるものを理解していないような

様子であったが、まあ、信じよう。

それから、多少時間がかかるであろうと考えて、板わさも。

板わさとお酒。



温度は、微妙。

ぬる燗に近いか。

まあ、熱燗よりはよい。

ゆっくり呑んでいると、天ぬきがきた。

ノーマルなかき揚げの天ぬきはここのメニューに

載っているので、そちらがきてしまうのではないか、

というのが、危惧、で、あった。

見た目ではわからないので、食べてみる。

ん!。間違いなく、白海老

いやしかし、天ぬきというのは、うまいもんである。

こんなものが、と私自身も思う。

天ぷらが揚げたてだからであろうか。

甘辛のつゆに天ぷらの衣がひたっているのは、

ほんとうに堪えられないうまさ、で、ある。

メインの白海老やほたてもさることながら、

ちょっと入っている、玉ねぎがまた、うまい。

これで酒を呑む悦び、で、ある。

呑み終り、天ぬきのつゆも、飲み干す。

そして、もりを頼む。

後にしてくれ、という交渉が面倒なので、ここで頼んだ、

のではあった。

私の住む、浅草あたりよりは、多少薄いか。

しかし、東京では標準的なつゆの濃さ、で、あろう。

この季節、ここも新そば、で、あろうが、私には香り、

というのは、今一つわからないが。

東京の濃いつゆであれば、致し方ないのかもしれぬが、

池波先生などは、最初につゆをつけずに食べて、香りを

味わう、なんということをされていたようではある。

私などは、香りなんぞは忘れて、真っ先につゆにつけて

手繰ってしまう。

ただ、ここのそばはのど越しがよい。

また、もりも多い。

うまかった、うまかった。

毎度、ご馳走様でした。









藪久