浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



叔母のこと〜大森海岸・洋食入舟 その1

11月14日(月)夜


先週末、身内に不幸があった。


亡くなったのは私の父の妹。
叔母である。
88歳。
生涯未婚で家族はなかった。


父は三人兄妹の真ん中で、姉がいたのだが、
私の父も父の姉も既に他界している。


父の姉、伯母には二人の娘があり、私には従妹にあたる。
私は兄が一人。


つまり叔母の身寄りといえば、この四人。
今日(月曜)、葬儀というほどのことはせず、
我々甥姪だけで斎場でごく小さくお別れをした。


送られる側よりも送る側の方が人が減っていて、
これからこういう形が増えていくのかもしれぬ。


以前にも書いていると思うが、父の生まれ育ちは
品川区の大井町であった。


いや、父以前、祖父、曾祖父、、先祖代々、江戸の頃から
同じところである。
以前に古い戸籍を取ったことがあるのだが、戸籍でさかのぼれる先祖は、
祖父の祖父まで。


この人の戸籍にある名前は浅五郎という。
五代前になるこの人は江戸の生まれ。


大井町あたりというのは、明治までは江戸・東京郊外の農村で
この先祖の家も農家で、江戸の頃から今、私が名乗っている苗字を持っており、
当時は庄屋でもしていたのかもしれない。
祖父が生まれた頃は米屋をしていたと聞いている。


祖父は次男で家を出て、その本家とは


今はもう私などは付き合いはない。


本家は、戦前まで随分土地も持っていて、戦後の農地改革で
みんな取られた、なんということも聞いたこともあった。


祖父母は明治の30年代の生まれ。
晩年は、父の家に同居していたので二人ともよく覚えている。
祖父が小学校3年の頃。祖母は私が中学3年、
高校受験年の2月に亡くなっているので明確に覚えている。


父は勤めていた機械メーカーが西武線沿線にあった関係で
沿線に家を持って、私はそこで育ったわけである。


しかし、父の姉は結婚したが元々の地元である、
大井町あたりから離れず商売をしており、
今回亡くなった父の妹は、同じく地元の精密機器メーカーに入り
やはり、大井町からさほど遠くないところに一人で
暮らしていたのである。


先に書いたが、父の姉の娘が二人。
この二人も結婚し子供もいるが、
やはりずっとこのあたりに住んでいる。


私の子供の頃は祖父母が父の家にいたため、
伯母従妹家族も、叔母もよく家に遊びにきていたのだが、
逆に私達が、彼女達の家に行くということはほとんどなかった。


また、父は私が大学3年の頃に亡くなっていたたというのも
あってか、成人後は従妹や叔母らとの行き来はほとんど
なくなっていた。


それで私などは、私のルーツの土地ではあるが、
大井町あたりには今までほとんど行ったことがなく、
土地勘も皆無であった。


ともあれ、そんな関係で、今回斎場は大井ふ頭の臨界斎場であった。


私は行ったことはないが、江戸の頃からあのあたりで
火葬場といえば桐ケ谷で落語「黄金餅」にも出てくる。
金山寺味噌やの金兵衛がお骨のなかから金銀をさらっていくのが
桐ケ谷であった。
今ではさすがに桐ケ谷だけでは足らず、大井ふ頭に大きな
公営斎場ができたということであろう。


火葬が終わり、精進落としというほどのことはないが、
皆で食事にいくことになった。


場所は、従妹の希望で大森海岸の洋食[入舟]というところ。
従妹達もよく知っている。
父、叔母らも子供の頃から食べていたという。


父の生まれが昭和2年、叔母が昭和3年
[入舟]の創業はその少し前で、大正13年
今は4代目とのこと。


「天使の海老フライ」というのが名物で人気とのこと。
私は知らなかったがTVなどにもよく出るようである。


タクシーで着くと、普通の住宅のよう。
知らなければ通りすぎてしまうであろう。


5時から予約をしていたが、少し早く着いてしまった。


住宅のようだが、入口が二つ。
左側は門があり、敷石が奥に向かってある。
右側はガラスのドア。


ドアを開けるとテーブル席。


まだ営業前で、誰もいない。


奥に声をかけると、コック姿の若い方が出てきて、
予約をしている旨話し、入れてもらう。


座敷を予約していたので、先ほどの左側の門から入り、
右に曲がって母屋があり、下足があって、あがる。


この家には二代目にあたる世代なのか、お婆さんがご健在。
この方が従妹のお母さん(私の伯母)と女学校が一緒で、
親友であったという。予約をする時に、このことを従妹が話していたため、
我々が着くと、わざわざ車いすで出てきていただいていたのであった。


この方は90歳と仰っていた。
しかし、言葉ははっきりしている。


父達兄妹は家族で、よくここで食事をしたり、
カレーライスの出前を取っていたりしていた、という。


伯母と親友であったというので、私の父親のことまで
憶えておいでで「あ〜、あなた○○ちゃんのお子さん。
陸士へ行った秀才だったのよねぇ〜」と。
三者からこんなことを聞いたのは初めてである。
父は町内でも評判であったという。
親友の弟で父のことをよく知っていたのであろう。


父親は祖父に入れられた学校がどうしたわけか
当時の高等学校受験資格を得られないところで、
それでも受けられる陸軍士官学校を受けた
というのが、父親本人から聞かされたいた説明であった。
こんなことろで、私の父親の若い頃の話まで聞けようとは。
これもやはり引き合わせ、なのであろう。


今のこの店のある場所は京急大森海岸駅そばで、
その昔は、大森海岸の花柳界があったところという。
しかし、聞けばなんでもその前はもっと駅の近くに
あったとのことで、父親や伯母達が食べていた頃は
そちらであったのかもしれない。
そういえば、父達の育った家がどのへんにあったのか
なんというのもまったく聞いたことがなかった。
出前を取れるというのは、そこそこ近いところにあったのであろう。









つづく








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