浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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中村芝翫襲名披露・十月大歌舞伎 その5

dancyotei2016-10-19




歌舞伎座芝翫襲名披露夜の部、5回目になってしまった。

今日はいよいよ、最終幕。

玉三郎大先生の、舞踊「藤娘」。

お目出度い披露興行を飾る最終幕として豪華で華やかで
なにより。

最終幕の開幕が近くなると、アナウンスが流れる。
開幕に遅れると、入れないとのこと。

はて。
忠臣蔵」の腹切りの幕でもなし、、、。
(「忠臣蔵」の『四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場』は
別名通さん場などといって、一度幕が開くと出入りが禁じられた。
それだけ厳粛な幕であるということ。)

さすが、玉三郎先生、ということか。

急いで、席に戻る。

幕は祝いの引幕ではなく、緞帳(どんちょう)にかわっている。

歌舞伎座などの舞台には大きく分けて二種類の幕がある。

いつも使っている、お馴染みの三色、黒、柿色、萌葱(もえぎ)の
定式幕(じょうしきまく)というもの。
これは下手から上手に向かって引いて横に開ける。
今回のような特別な祝いの幕も同じように引いて開ける、引幕。

もう一つあるのが、緞帳(どんちょう)というもの。
これは下から上に開ける。
歌舞伎以外の劇場はすべてこれである。

同じ幕なのであるが、こと歌舞伎から見ると明確な区別がある。

ちょっと余談であるが、説明する。
江戸の頃から歌舞伎芝居というのには明確な定義があった。

つまり、幕府から公(おおやけ)に芝居興業を許された劇場。
これが江戸で三つ。江戸三座と言われたものである。
それ以外の小芝居の小屋もむろんあったのだが、これらは
もぐり、ということになる。

歌舞伎座などでは今も作られているが、劇場の正面上の方に
櫓(やぐら)が組まれて太鼓を叩く。これが公許の一つの証(あかし)。
そして、横にひいて開ける、引幕を使った。
三座以外はこの引幕は使えず、上下に開く、緞帳を使っていたのである。
歌舞伎からみて、小芝居を馬鹿にする言葉は、緞帳芝居、というのだが
そういう区別があったのである。

今回の「藤娘」はそういう意味で歌舞伎ではありません、
という形を取っているということになるのかもしれぬ。

ともあれ。

開幕。
場内の灯りがすべて消される。
真っ暗。
ここでドアは〆切りなのであろう。

ややあって、点灯。

既に幕は上がって、広い舞台。

中央に既に玉三郎
背景は、大きな、大きな松の木と、それにからまる藤の花。
これが実に美しい。

文政9年(1826年)江戸中村座初演、二代目關三十郎
もともとは文化文政当時流行った、変化舞踊(へんげぶよう)という、
踊りながら、早替わりで衣装を換えて別の人になり
踊る、というものの一つであったという。

今の藤娘一本にしたのは先代の菊五郎ということで、
これが昭和初期。
さほど古いことではないようである。

私、元来、踊り、というものが、恥ずかしながら、
ほとんどわからなかった。

まあ、こういう表現芸術というもの、
わかるわからない、ではなく、感じるもの、であろう。
つまり、感じなかったのか。

子供の頃から観たこともなく、まわりにも演る人もおらず、
素養というのか、経験というのか、そういうものが
まったくなかった。

それが歌舞伎をポツポツと観にくるようになり
中には踊りの幕もある。
最初は正直のところ退屈で、瞼が重くなったものであった。
(まあ、もったいない話し、ではある。)

しかし、不思議なもの。
ここ1、2年、段々に眠くならずに観ていられるように
なってきた。

慣れ、というのか、少しずつ経験値が上がってきたのであろう。
やはり、芸術というものはなにもしないでも
感じるものではないようである。

そこで、今回の玉三郎先生の「藤娘」。
なん回か、衣装がかわったりしながら、いくつかの
パートに分かれている。

おそらく、着物の柄であるとか、持ち道具であるとか、
書かなければいけないのであろうが、悲しいかな、
素養がなく、まったくわからない。

だがまあ、トウシロウとしての、感想らしきもの。

20分〜30分?もなかったかとは思う。

意外なほど長く感じなかった。
そして、わかりやすく感じた。

また、観ていて、愉しかった。

踊っている玉三郎本人が愉しそうに観えた、
といってもよいのである。

わずかながらではあるが観ている私の進歩でもあろうし、
当世一、人間国宝の表現を観て、なにか感じない方が
どうかしている、といった方がよいか。


心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

か。

玉三郎先生もいい加減よいお歳ではある。
なにかドキュメンタリーでも視たような気がするが、
肉体的にもきつくなっている、と。
いつまでも観られるものでないということも覚悟を
しなければいけないのであろう。

やはり、できるだけ多く私自信のレベルが上がるように
拝見させていただきたいもの。

そして。
次世代。菊之助、あたりなのか。
継ぐ踊り手に期待をしたいものである。



豊国画「藤娘」「福ろく」初代中村福助

福助という名前も成駒屋であった。