浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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歌舞伎座6月大歌舞伎・義経千本桜 通し その3

dancyotei2016-06-07



引き続き、土曜日に観た、歌舞伎「義経千本桜」の通し。



三部制。
一日、AM11時からPM9時までの長丁場、で、ある。
これを、文字通り通しで観る。


一部は2時ちょい前終了。
二部は2時45分開演。


席は違うが、チケットは三部とも買ってあるので、
中にずっといてもよい。だが息抜きのためにもちょいと出て、
コンビニで飲み物やらを調達。


再度入場。


二部。


一部もそうであったが、多少の空席はある。
今度も花道の上手側。


二部は通称「いがみの権太」という名前で
「木の実・小金吾討死」「すし屋」の三幕(二幕?)。
終わるのは5時23分。


最初に書いたように、三年前に通しを観たとき
しっかり観ていたはずなのに、この幕の内容は
すっかり忘れていた。


第一部の「碇知盛(いかりとももり)」は原作の
人形浄瑠璃の台本では二段目の一部。
二部の「いがみの権太」は三段目のほぼ全部
ということになる。


このなん段目という言い方は、やはり人形浄瑠璃から
移された「忠臣蔵」でも使う言葉なので、耳にしたことが
ある方もあろう。


「千本桜」も長いが五段目まで。
例えば「仮名手本忠臣蔵」はなんと十一段目まである。


さて。


ここの主人公は、いがみの権太、その人。


今回はこれを幸四郎が演じている。


この千本桜は、猿之助染五郎と最初に書いたが
二人は二部には二幕目の「すし屋」に出ているだけ。


幸四郎はいうまでもなく、染五郎のお父っつあん。
(ついでにいえば、娘は松たか子。)


猿之助染五郎は二部では一幕お休み。


やはり、この「いがみの権太」は
誰が演るのか、なのであろう。


前回観たのは、仁左衛門先生。


「いがみの権太」の“いがみ”というのは“ゆがみ”のこと。
与太者というような意味である。


仁左衛門先生はあたりの柔らかい
上方言葉で、この与太者を演じていた。
(与太者の上方言葉は、ちょっとよいのである。)


七十近い年で尻っぱしょりをして、足を出していたが
この足が、見事。
とても六十後半のお爺さんには見えなかった。


これを、幸四郎が演じている。


実のところ幸四郎の演じる“いがみの権太”には
因縁というのか、歴史がある。


当代幸四郎は、九代目。


歴代幸四郎の中でも一二を争うほど
名前が残っているのは、五代目といってよい
のであろう。


鼻が高かったので、鼻高幸四郎
文化文政の頃の人気役者であった。


この人が、いがみの権太を当たり役にしていた
というのである。


それで、その後の幸四郎も代々この役を
演じ、当代まで引き継がれているようである。


五代目幸四郎は左眉の上にほくろがあり、
今も、五代目の当たり役を演る場合は、
同じところにほくろを書いている。


幸四郎は東京の人。
まわりがすべて、上方言葉なのに、
幸四郎先生だけは、江戸弁の巻き舌、べらんめいで
喋っているのが、かなり妙な感じはしたのだが、
これが五代目からの伝統なのであろう。


当代松本幸四郎という役者は柔らかい。


仁左衛門もそうなのだが、権太というのは、
与太者だが、この柔らかさが必要なのであろう。
そういう意味で、当代幸四郎の人(にん)なのだと思う。


例によって、私などからみると、
この話し、突っ込みどころ満載なのだが、
幸四郎先生のお蔭で、最後まで観ることができた。


「ヨッ、高麗屋っ」。



と、いことで、五代目、鼻高幸四郎
「いがみの権太」が見つかった。






豊国 文化8年 (1811年)江戸市村座
いがみの権太 五代目松本幸四郎



すし屋なので、桶を持っているのである。





つづく