浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



京都駅・蕎麦・松葉


5月27日(金)昼



午前、滋賀出張。


すぐにとんぼ返り、東京に夕方戻る。


昼は、、、?


京都駅で駅弁を買って新幹線車中で食べようか。


いや待て。


30分程度あれば、蕎麦が食える。


ちょっと遅らせて、コンコースにある
[松葉]にしよう。


[松葉]というのはご存知の方も多かろう、本店は
私もなん回か足を運んでいるが、京都四条大橋東詰にある
歌舞伎も上演される南座に入っており、にしんそばを看板にしている。


京都の蕎麦といえばにしんそばというくらいにした、元祖の店。


創業は幕末、文久元年(1861年)という。


文久元年の創業といえば、私などは
浅草のうなぎや[色川]を思い出す。


幕末、風雲急を告げていた頃。


1月(万延元年12月4日)に米国総領事館の通訳、
ヒュースケンが芝で薩摩の尊皇攘夷藩士らに
襲われ殺害されている。


改元はこの年の3月(文久元年2月)。


幕府の公武合体運動が実り、皇女和宮が将軍家茂へ
降嫁のために京都を立ったのが11月(文久元年10月)。


一方、歌舞伎では、かの黙阿弥翁の名作「白浪五人男」が
翌、文久2年3月(1862年3月)に江戸市村座
初演されている。



三代目豊国 江戸市村座『青砥稿花紅彩画』
(あおとぞうし はなの にしきえ)『稲瀬川勢揃いの場』
「日本駄右衞門 三代目關三十郎」「赤星十三郎 初代岩井粂三郎
(=八代目岩井半四郎)」「南郷力丸 四代目中村芝翫
「忠信利平 初代河原崎権十郎(=九代目市川團十郎)」
「弁天小僧菊之助 十三代目市村羽左衛門(=五代目尾上菊五郎)」
Wikipedia



こんな時代にも庶民はたくましいというべきか。


実際のところ、京都にしても、江戸にしても
物価の暴騰、戦乱を避けて人口の減少などが
起こっていたのではある。
逃げる人、残る人。
この頃の庶民感覚、なんとなく、ではあるが想像できる気もする。



ともあれ。



京都駅新幹線コンコースの[松葉]。


12時20分頃、入ると


おいでやす〜。


ここは京言葉で迎えてくれる。
商売用かもしれぬがよいものである。


腰掛け、品書きを見る。


少し前にも昼、ここに入り、親子丼と
温かい蕎麦のセットを食べており、ご飯ものもある。


なににしようか。


盛そばもある。
カレーうどんはあるようだが、さすがにカレーせいろは
ないか。


ん?


看板のにしんそばの冷やしがある。
ぶっかけか。


以前からあったのか、わからぬが、試してみようか。


冷やしのにしんは、とろろか、おろしの二品。


とろろの方を大盛で頼む。


きた。





身欠きにしんの甘露煮にとろろ、うずらの卵。
青海苔


つゆは徳利に入って、別。


薬味は、わさびと青ねぎ。京都風に九条ねぎか。


アップ。



つゆの濃さがわからぬので、徳利の5〜6割入れて、
とろろもにしんもともに、よく混ぜて、食べる。


ん!。
やはりこれでは私には薄い。


つゆは全部入れてしまう。
OK。


京都の温かいかけのつゆは、色の薄いものだが
盛用のつけ汁は、濃いもので東京のものと
かわらない。


ただしょうゆの勝った私の地元、東京下町と比べると
しょうゆも薄く、多少甘め。


そばはシャッキリ。


大盛にしたので、かなりのボリューム。


にしんの甘露煮も食べでがある。


食べ終わると、
お茶が差し替えられる。


お茶も飲み終わる。


立ってお勘定。


ご馳走様でした。


おおきに、ありがとうございますぅ〜。








松葉
京都駅2階 新幹線コンコース内
(075)693-5595