浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



蔵前・ラーメン・元楽

1月25日(月)昼

さて。

昼、移動中、蔵前を通りかかり[元楽]に入ってみた。

実のところ、蔵前は近所なのだが、入ったのは二度目。

有名な店なので、行かれたことのある方も少なくなかろう。

蔵前通り(江戸通り)の隅田川側。

春日通りの交差点から南。隅田川側に入る二本目。
入って一本目裏通りの角。

さて、いきなりの余談で恐縮ではある。

この蔵前通り(江戸通り)と並行している[元楽]の前の通りは
「御蔵前通り」というらしい。
いつからなのかわからぬが、知らなかった。

現代の地図




江戸の地図



ここを通る大通りは、正式には江戸の頃は奥州街道の本道であった。

浅草見附、今の浅草橋から北へ向かい、花川戸、今戸を抜け、
小千住、今の南千住へ向かう。

そして、浅草見附の少し北から隅田川に沿って幕府の米蔵、浅草御蔵があった。
街道の反対側にはその蔵米を旗本、御家人のために
換金する、札差が軒を連ねていた。

御蔵の前なので、この札差が軒を連ねている町々が広義に
御蔵前と呼ばれていた。
それで、ここの奥州街道も御蔵前通り、明治以降、蔵前通りと
呼ばれていた。

そして、理由はこの南で直交している蔵前橋通りとの区別のためというが、
いつの頃か、蔵前通りから江戸通りに名前が替わっていた。

正式名称「江戸通り」が道幅は広がっていると思うが、
江戸からの幕府の米蔵、浅草御蔵の前の通り、いわゆる蔵前通りであると
思っていたが、違うのであろうか。

この裏通りのある場所は旧浅草御蔵の敷地内であろう。
違うのであろうか。本当はこちらが本道で作り変えたのか。

それとも、歴史ある蔵前通りという名前を抹殺してしまった
罪滅ぼしに、裏通りに復活させたのか。
だが、誰が?。
東京都か?、まさか都がこんな裏通りに名前は付けまい。
台東区か?。

この界隈の方々は納得の上なのであろうか。
あるいは界隈の方々の希望であったのか。

閑話休題

[元楽]のことであった。

創業が1995年、平成7年。
昨年20周年を迎えた。

今はもはや、あまりいわなくなっていると思うが、
当時流行った、背脂チャッチャ系。

この系統は[千駄ヶ谷ホープ軒]が嚆矢であろう。

この系統では[元楽]の少し前、ホープ軒から分かれた
[香月]あるいは環七の[土佐っ子]なんという店が話題を集め
[元楽]が店を開いたのは、その少し後、ということになるのか。

当時私は三十前半で葛飾四ツ木に住んでいたのだが、
都心への行き帰りの途中、一度寄って、それ以来
きてはいなかった。

理由は、あまくてとても食べられない、と、感じたから。

ラーメン評論家なる人々が、説明をしてくれるようになったが、
動物系のダシ(エキス分?)が濃いと、人は、あまい、と、
感じるという。

ようは、当時まだこのくらい濃いスープは珍しかったのである。

その一回で私はやめてしまったのである。

[元楽]蔵前本店。



(この店の前の裏通りが「御蔵前通り」らしい。)

以前はここ、ラーメンやか、あるいはなにか飲食店であったのであろう。
そのまま使っているようで、20年以上の年季の入っていそうな店内。
作っている人々も、経営者ではなさそうだが、年季が入っている。

チャシューご飯「ぶためし」(登録商標)と
ノーマルなラーメンのセットにする。



これが背脂ちゃっちゃ。

太麺。スープはしょうゆとんこつになるのか。

今となっては、この濃さはさほど珍しくもない。

横浜の「家系」なども同時期に生まれたのか、少し前からか
背脂チャッチャではないが、エキス分の濃さやしょうゆ味の塩梅は
似ているかもしれない。

慣れてしまっているので、まったく普通に食べられる。

いやむしろ、懐かしさすら感じるくらい。

うまいラーメンである。

「ぶためし」もここの看板でセットになっているので
頼んでしまった。

カウンターにはたれとごま油をかけてと書いてある。

ラーメンの濃いスープが残っているので、たれはなしで、
スープを飲みながらで食べる。
(ぶっかけるともっとよいかもしれぬ。)

うまいもんである。

が、いささか食べすぎ。

ご馳走様でした。

今までこなかったのが、やはりもったいなかった。

またこよう。





元楽


台東区蔵前2-12-3
03-3851-4537